頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー45
史上日本には、統治機構としての幕府が3つ有りました。鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府ですが、そのうち最も支配機構が整備されたのが、江戸幕府の時代です。
鎌倉時代の支配機構は、将軍、執権のもとに侍所、政所、問注所の三つの機関が組織された簡素なものでした。室町時代も基本的には、鎌倉時代の支配機構を継承しました。
しかしながら江戸時代は、先行する二つの時代とはことなり、老中(大老)、若年寄のもと寺社、(江戸)町、勘定の三奉行の他に大目付、遠国奉行、目付、五番組などがあり、より権限が細分化されていました。
こうした機構や組織でそれぞれが個人の意思としてではなく職務として執行する人的集団を本書では「官僚制」と定義しています。
官僚制というと、専門化・階層化された職務体系に明確な権限の委任、文書による事務処理、規則による職務の配分といった、優れて近代的な統治機構をイメージすることでしょう。
確かに官僚制というと近代以降の支配機構なのですが、上記のように定義してその構成や成り立ち、権限等を分析することで、近代以降の官僚制との類似や差異を明らかにすることが可能となるのではないでしょうか。
江戸幕府の支配機構を官僚制の観点からのべたものが本書なのですが、幕府の成立と共に官僚制が確立されたわけではありません。
徳川家康は、豊臣体制下にあっておよそ250万石という大大名でした。三河の弱小大名から織田信長の時代を経て大きくなっていったのですが、その間領国の支配体制が大きく変わることはありませんでした。
家康は江戸に幕府を開くにあたって、源頼朝と鎌倉幕府を参考にしたようです。また、武家の典礼等は室町幕府の先例を重視しました。しかしながら、統治機構については、侍所、政所、問注所の三つの機関に集約する体制をとりませんでした。ある程度出来上がっていたものを再編することは困難だし、そもそも上記三つの機関に集約することが妥当ではなかったのでしょう。(領地に係る訴訟は、鎌倉時代、建武の新政において重要でしたが、戦国時代を経て封建制が進化し、領地に係る訴訟が減少、内容が変化したことも要因の一つと思われます。)
江戸幕府は、15代の将軍のもと約260年間続きました。幕府の成立とともに官僚制が確立されたわけではないと先に書きましたが、当初は大久保長安などの出頭人が活躍することとなります。
出頭人とは、家康が大きな信頼をおいた人物のことで、大久保長安は、奉行、代官頭等を経て年寄(後の老中)に列せられますが、同じく年寄(老中)として政権の中枢にあった土井利勝や酒井忠勝との違いは明らかです。戦ではなく実務で、家柄ではなく能力で成り上がったのです。
大久保長安は、絶大な権力を持つようになりますが、その源泉は最高権力者(徳川家康)の信頼です。それは、いわゆる「属人主義」とでもいうべきものです。そのため、家康が亡くなり、政権が安定すると後に粛正されてしまいますが、こうした「属人主義」を経たうえで官僚制も安定、成熟化してこととなります。
本書では、これを「人」があって支配・統治の範囲が決まる段階から、職に人が対応させられる段階、「人」から「職」の転回と捉えて、大久保長安、大岡忠相の二人を取り上げて「職」=幕藩官僚が生み出されていく過程を明らかにしています。
現代においても、部署においては「小長安」とでもいうべき人物が活躍し、それを「属人主義」だとして事務のやり方が批判されることがありますが、縮図のようなものでしょうか。
江戸時代の中期、大岡忠相の登場によって官僚制はさらに整備され、後期には安定した体制により運営されていくこととなります。
田沼意次など例外を除いて、旗本であれば番入りから勘定奉行、江戸町奉行までの昇進コースも確立されていました。布衣や五位任官などもルール化されていたようです。
ところで、その確立された昇進、あるいは布衣や五位任官などルールは、閉鎖的に運用されたのでしょうか。本書はこの点についても明らかにしています。
本書は以下の5章立てとなっています。
1章 大久保長安と大岡忠相
2章 「人」から「職」へ
3章 「職」の形成とその特質
4章 17世紀中葉の幕府官僚たち
終章 まとめにかえて
官僚といわず、組織に属する(属した)者としては、誰がどんな役職を経て、どのように昇進していくのか興味のあるところですね。そうした意味で、わたしはⅣ章の「3 昇進の諸相」を興味深く拝読しました。
なお、本書は単行本(「江戸時代の官僚制」(藤井讓治、青木書店)の文庫化ですが、新たに幕府職名索引が追加されており、これが非常に便利です。
今回ご紹介する小説は、そんな江戸時代後期に立身を夢見て何とか番入り(就職)を目指す幕臣の物語です。
タイトルもずばり「立身いたしたく候」 (梶よう子、講談社文庫)。