頼迅一郎(平野周) 頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー

第44回「足利将軍たちの戦国乱世 ―応仁の乱後、七代の奮闘」(中公新書)

頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー44

足利将軍たちの戦国乱世-応仁の乱後、七代の奮闘 (中公新書) 「足利将軍たちの戦国乱世 ―応仁の乱後、七代の奮闘」
(山田康弘 中公新書)

 室町幕府の将軍は15代足利義昭まで15人います。このうち、戦国時代の始まりとされた応仁の乱後に征夷大将軍になったのは7人です。
 戦国時代とは、足利将軍の権威が衰え、全国を統べるべき幕府が力を無くして、大名同士が争った時代といわれています。それでも応仁の乱後およそ100年にわたって幕府は存在し、将軍も7代にわたって受け継がれてきました。
 本書は、副題の通り、その7人の将軍の奮闘を伝えるものです。
 では、その7人とは誰で、作者はその7人をどのように評しているのでしょうか。本書あとがきから抜き出してみましょう。
 ・第9代将軍足利義尚(寛正6年(1465)~長享3年(1489))24歳
  父足利義政(8代将軍)の干渉から脱しようと苦闘した「悲運な若武者」
 ・第10代足利義稙(文正元年(1466)~大永3年(1523))57歳
  虜囚の辱めを受けるも決して諦めなかった「不屈の闘将」
 ・第11代将軍足利義澄(文明12年(1481)~永正8年(1511))30歳
  変人・細川政元との関係に苦悶し続けた「孤高の悲将」
 ・第12代足利義晴(永正8年(1511)~天文19年(1550))39歳
  勝てざるも負けなかった「隠れた名将」
 ・第13代足利義輝(天文5年(1536)~永禄8年(1565年))29歳
  凶刃にたおれた「未完の英主」
 ・第14代将軍足利義栄(天文7年(1538)~永禄11年(1568))30歳
  父の宿願をはたした「阿波の哀将」
 ・第15代足利義昭(天文6年(1537)~慶長2年(1597))60歳
  将軍家再興の素志を曲げず、強敵信長にいどみつづけた「希代の梟雄」

※年齢は目安です。

 その生涯を顧みて非常に言い得て妙というべき評で、一言で表している「」は、文学的といってもよいかもしれません。
 例えば、足利義栄が、父の宿願を果たしたにもかかわらず、なぜ「哀将」なのか等々の疑問は、本書をお読みいただければ、かなり生き生きとその生涯が想像できるとともにその評価と形容に納得がいくことでしょう。
 ちなみに、上記7人の将軍の生没年を見ると20代、30代で亡くなった将軍が5人もいます。それほど将軍位を巡る争いは、過酷だったということでしょうか。

 ところで、本書では、現代の私たちが、歴史の一時代である戦国時代をなぜ学ぶのか、そこにどんな意味があるのか、そのことに対する筆者の考え方が、はしがきで述べられています。
 過去を知ることによって未来を知る、あるいは現代に活かせる、といったようなことがよく言われるところですが、筆者はそうではなく、戦国時代には現代の世界と類似する部分が多くある、といいます。多くの主権国家が存在しながらも、それらを統御する天下人(国際機関)の欠如などです。
 「戦国時代の日本列島と現代の世界とを比較することで、これまで気づかなかった」世界が見えてくる。「同時に、いままで気にも留めていなかった現代の世界もよりいっそう見えてくる」のではないか。だから、戦国時代を学ぶ意味があるというのです。
 では、なぜ力が衰えた足利将軍に注目する必要があるのか。それは「将軍とは何であったのか」とうことがわからなければ、戦国時代の日本列島を十分に理解することができないからだと述べています。
 果たしてそうなのか、そのこともぜひ本書を手に取ってお読みください。読み終わったとき、戦国史研究の最新の課題の一つを知ることとなるでしょう。

 さて、話は変わりますが、戦国時代の7雄と呼ばれる大名をご存じでしょうか。
 織田信長、今川義元、武田信玄、毛利元就、上杉謙信、北条氏康、豊臣秀吉の7人です。(『読史備要』(東大史料編纂所))
昔は、名数表に必ず載っていたものですが、最近はとんと見掛けなくなりました。
 もともと戦国の七雄は、中国の春秋時代を生き抜いて戦国時代に活躍した7雄、すなわち、秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓の七国に由来します。
 中国の長い歴史の中で、春秋・戦国時代ほど群雄が割拠し、長い間国が争った時代はありません。戦国時代の呼称もそこからきているのです。
 ということは、春秋・戦国時代を学ぶこともまた現代の世界できづかなかったものが見えてくるのでしょうか。
 春秋・戦国時代、特に春秋時代の特徴は、統一王朝周の力が衰え、約200の国に分裂、割拠していたことです。しかしながら、周王朝の権威は活きていました。そのため、周王朝を尊崇しながら諸侯をまとめ、天下を取り仕切った英主がいたのです。史上これを春秋五覇といいます。
 斉の桓公、晋の文公、秦の穆公、宋の襄公、楚の荘王の5人です。(諸説あって、呉王闔閭、越王勾践が入る場合もあります。)
 足利将軍が奮闘した時代は、戦国時代というよりも、この春秋時代に類似しているかもしれません。
 中国の春秋五覇にならって、足利将軍を助けて主に政治・軍事面で活躍した日本の五覇を選んでみました。
 大内義興(足利義稙の将軍再任に尽力、その後10年京都にあって義稙を支えた)
 六角定頼(足利義輝の烏帽子親で、その父義晴を支えた)
 三好長慶(足利将軍とは始め敵対するが、後義輝を京に迎えて支えた)
 織田信長(足利義昭の上洛、将軍就任に尽力、義昭を支えたが、後に信長を敵視したため、京から追放する)
 五覇といいながら、後一人が決まりません。
 若狭の武田元信、近江の朽木稙綱、あるいは松永久秀、柳本賢治あたりでしょうか。
 本書を読んで、そんなことも考えてみました。
 なお、細川氏と畠山氏は、元来管領として将軍を支える家柄ですので、細川高国、細川晴元、畠山尚順、畠山稙長等は除外しています。

 足利将軍を指す呼称に「流れ公方」という言葉があります。すでに、水上勉の『流れ公方記』をご紹介しましたが、本書を契機に7人の将軍を取り上げた作品が世に出ることを願っています。いったいどのような将軍(公方)として描かれることでしょうか。

 

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