雨宮由希夫

書評『まむし三代記』

書名『まむし三代記』
著者 木下昌輝
発売 朝日新聞出版
発行年月日  2020年2月28日
定価  ¥1800E

まむし三代記

まむし三代記

  • 作者:木下 昌輝
  • 発売日: 2020/02/07
  • メディア: 単行本
 

 

 木下(きのした)昌輝(まさき)は2012年、デビュー作『宇喜多(うきた)の捨て嫁』が第152回直木賞候補となった。一作のみでははかりがたしとする意見が選考会で大勢を占め直木賞を逸したと仄聞するが、この種の見解がはなはだしき的外れであったことは、その後の木下の瞠目すべき活躍を見れば明らかであろう。デビュー以後、一作ごとに工夫を凝らしている絶妙な小説作法から見えるのは時代・人への透明感ある冷徹さである。
 『宇喜多の捨て嫁』で戦国の三梟(きょう)雄(ゆう)の一人、宇喜多(うきた)直家(なおいえ)を書いたので斎藤道三(どうさん)か松永久秀(ひさひで)のいずれかを書かないかと依頼されたことが執筆のきっかけだったという。

 かつて、「道三は一介の油売りから身を起こして一代で大国美濃(みの)の戦国大名となった」とするのが通説であったが、昭和39年(1964)に始まった『岐阜県史』編纂の過程で発見された、道三の出自に関する確たる情報が盛り込まれているとされた古文書「六角承禎(ろっかくじょうてい)条書写」によって、美濃の国盗りは道三一代のものではなく、道三の父と道三の二代で美濃国を簒奪したのではないかという説が有力になっている。
 道三が油売りから戦国大名になったという旧説に基づいた小説としては、坂口安吾(あんご)の『梟雄』(昭和28年)、司馬遼太郎(しばりょうたろう)の『国盗り物語』(昭和38~41年)などがあり、国盗りは父子二代で行われたとする新説を踏まえた最初の小説は宮本昌孝(みやもとまさたか)の『ふたり道三』(平成15年)であった。歴史時代小説界の麒麟児・木下昌輝は当然に新説を踏まえるのだろうが、はたして、いかなる斎藤道三を描くのか。

 戦国乱世。美濃国土岐(とき)家に限らず、諸国の守護大名家のほとんどは烈しい内訌を繰り返している。「道三の父」は油売りの行商をしながら、美濃国に狙いを定める。
では、いつの時点で、いかなる形で、「道三の父」から「道三」へバトンタッチされたのかは真実の「道三」を知りたいと思う者にとっての最大の関心ごとである。
 歴史学では例えば、小和田哲男は「天文2年(1533)以前に道三は家督相続。病死した父・新左衛門尉(しんざえもんのじょう)の跡を継いだ」と推察しているが、われらが木下昌輝はいかに物語るか。

 本書は3話(章)構成。各章に主人公がいる。「蛇ノ章」の主人公は法蓮房(ほうれんぼう)(道三の父)。松波庄五郎、西村勘九郎、長井新左衛門などと名乗る。「蝮ノ章」は道三自身。「龍ノ章」は豊太丸(とよたまる)こと斎藤義龍(よしたつ)(道三の嫡男)。新九郎、范可などと名乗る。
 道三が弘治2年(1556)、長良川(ながらがわ)の戦いで嫡男の義龍に討たれるは史実である。が、おおよそ知られている後半生よりも、作家の構想力、創造力をためされるのは前半生の描き方である。その意味でとりわけ法蓮房が主人公の「蛇ノ章」は目が離せない。

 応仁の乱(おうにんのらん)が終結して24年後の文亀2年(1502)、応仁の乱における東軍の総大将・細川(ほそかわ)勝元(かつもと)の嫡男である細川政元(まさもと)の暗殺計画から、物語はスタートする。「道三の父」法蓮房は政元暗殺の一団に紛れ込むことによって、時の権力者細川政元に取り入り武士として風雲に乗ろうと画策するのである。
物語をリードし、全編を貫くキーワードは二つある。一つは「国滅(くにほろ)ぼし」である。
 著者はわずか20行足らずの「前書き」を用意し、短い表現ながら「国滅ぼし」の意味するところを暗示しているのはきわめて刺激的である。
 国盗りの野望を抱く法蓮房は“国滅ぼし”の存在を示唆する。「城攻めの武器、大筒」、「敵を倒す武器」、「銅を使った凶器」などの暗示的な表現から、読者は最新兵器なのかと想像しつつ、その正体は何なのか、探りつつ注意深く読みすすめることになろう。「国を医(いや)す薬」を経て、ある意外なものを通説より早く国産化していた事実にたどり着く。もう一つのキーワードとは「国を医す」であった。さらに、「信長も国滅ぼしの正体を、直感で見抜いた」の表現もある。「国を医す」をめぐって、応仁の乱細川勝元から信長までを透視したこの時空の広さは著者の懐の深さでもある。

 二代目を受け継いだ若き道三の描写。「父は国手などではない。父は国を毒する男。父が毒蛇なら、私はその毒を医す力を身につけたい」との道三の語りがある。国手とは、国を医す者のことである。道三自身は自らは蛇ではないとする。
 父道三はやはり蛇であると見做す「龍ノ章」の主人公たる三代目の義龍は道三の狂気を目の当たりにしつつ、「正気のあるうちに、美濃統一を」と策す道三に対して、「つくづく父上が歩むのは、蛇の道」と言い放つ。道三と義龍との関係性では、義龍が土岐(とき)頼芸(よりなり)の落とし胤で道三の子ではないという説を踏まえた作品が多いが、道三と義龍の父子の争いにも独自の解釈がなされている。

 本作には影の主人公がいる。それは冒頭の政元暗殺計画に参加した源太(げんた)である。源太は小牧源太道家という義龍の配下で長良川の戦いで道三の首をとったとして史料に名を残す実在の人物と同名であることが着目される。本作での源太は「父子三代の国盗りの結末をその目に刻みつける」役目を帯びている視点人物なのである。
「美濃の蝮(まむし)」こと斎藤道三の物語は結局のところ国を医すための父子三代の永い戦いであった。「父子三代の力で国を医したのだ。父子三代とは、道三の父、道三、義龍ではなく、道三の祖父、道三の父、道三だ」と、源太と義龍が回顧し、その上で、道三の祖父である松波(まつなみ)高丸(たかまる)を「国を医したまむしの親玉」とみている二人が「一度でいいから見えたかった」とするシーンは感慨深い。これにより本作が「道三一族の三代記ではなく、道三一族三代によりそった男の一代記」として書き上げられたことがわかる。本作は視点人物たる源太が道三一族四代の素顔に迫った歴史小説なのである。

 本作はもともと『蝮三代記』と題して、「小説トリッパ-」に2017年秋号から2019年夏号まで9度にわたり連載された。
 ふたつの「まむし三代記」がある。雑誌掲載の“蝮”と今回の単行本の“蝮”である。3章立ての構成は不変だが、そこでは、同じ“蝮”ながら、全く異質の“蝮”がそれぞれ這いずり回っていると言わざるを得ない。
 したがって、というべきか、「本書は書下ろしである」と、「あとがき」で作家は言い放つ。
 単行本化するにあたり大幅に加筆しようと思ったが、大幅改稿を決意したという。

 なぜ、加筆ではなく、改稿を決意せざるを得なかったのか? 締め切りばかりが念頭にある編集サイドから「一冊に収めるには三代記は長すぎる」と指摘された(?)ことが原因の一つであろう。長すぎて大いに結構ではないか。宮本昌孝の『ふたり道三』は単行本時4巻、文庫化3巻であった。木下昌輝に無尽蔵の時間と紙の量を与えて執筆させてほしかった。『国盗り物語』や『ふたり道三』に描かれた「道三」ではない。全く別の顔の「道三」を巻数物でじっくり味わいたかったと思うのは評者(わたし)ばかりではあるまい。おかげで、二匹の“蝮”を味わえるという余禄に与ることを寿ぎつつ。

 

                   (令和2年3月25日  雨宮由希夫 記)

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