雨宮由希夫

書評『六莫迦記』–これが本所の穀潰し

書名『六莫迦記(ろくばかき)――これが本所(ほんじょ)の穀潰(ごくつぶ)し』
著者 新美 健
発売 早川書房
発行年月日  2020年1月15日
定価  ¥660E

六莫迦記 これが本所の穀潰し (ハヤカワ文庫JA)

六莫迦記 これが本所の穀潰し (ハヤカワ文庫JA)

 

 250年以上の長きにわたり「太平の世」が続いた江戸時代だが、化政期から天保初期までの時期を中心、寛政の改革天保の改革の間の40年ほどの時期、つまり家(いえ)斉(なり)(1773~1841)の将軍時代も含めて家斉の治世全般を、「大御所(おおごしょ)時代(じだい)」という。一揆・打ち毀しの「内憂」と異国船の来航の「外患」に象徴される如く、財政の危機や身分や社会秩序の動揺など多大な難題が激化してきているのに、表面では「泰平謳歌」として現れている時期という逆説的な意味が「大御所時代」には込められている。
 8代将軍吉宗(よしむね)の曽孫である家斉は天明7年(1787)14歳で11代将軍に就き、将軍在位足掛け実に51年に及び、歴代将軍で最長。大塩(おおしお)平八郎(へいはちろう)の乱が起きた天保8年(1837)66歳で家慶に将軍職を譲るも、大御所として君臨。明治維新の27年前の天保12年(1841)に没しているが、放漫な側近政治と勝手気ままな享楽生活を謳歌。妻妾およそ40人に及び、16腹に男子28人・女子27人の計55人もの子を産ませ、「オットセイ将軍」の異名を奉られている。
 文政12年(1829)刊行の柳亭種彦(りゅうていたねひこ)(1783~1842)の『偽紫(にせむらさき)田舎源氏(いなかげんじ)』は将軍家斉の奔放な閨房生活の内情を描写したものとの風評が立ち、後に天保の改革で絶版とされた。なお、戯作者柳亭種彦は本名を高屋(たかや)知久(ともひさ)という小普請組(こぶしんぐみ)二百石取りの旗本だが、武芸にはついぞ関心がなく、余技に戯作を書いていた。
 稀に見る漁色家で奢侈を好んだ将軍家斉の豪奢な生活は大奥だけにとどまらず、権力内部の紊乱腐敗により、幕政はなおざりにされた。そうした状態が長期化すれば、刹那的で向上性のない、投げやりな生活感情、享楽的な風潮が一般社会へ蔓延していくのは当然であろう。幕府滅亡の凶兆は実に家斉にはじまると言い切る史家もいる。
 天明(1781~88)のころより「大江戸」と称するようになった江戸は町方人口50万、武家人口60万、寺社人口10万。加えるに、地方で困窮した逃散農民などが流れ込み、人口100万をゆうに超える大消費地であった。
 また、江戸は武士より町人の世なのであった。御家人株の売買がいつ頃から行われるようになったのか判然としないが、町人でさえ武家株を買えば大小を差す身分になれた。江戸中期以降、武士の生活は貨幣経済の波に翻弄され、困窮は深刻になる中で、小禄の下級旗本や御家人の窮迫が最も激しかった。武家株の売買は経済的窮迫を図る武家方の究極の解決策の非常手段であった。

 前置きが長くなったが、本書は大御所時代を時代背景とし、将軍のお膝元・大江戸を舞台とした時代小説である。
葛木(かつらぎ)家の当主の葛木(かつらぎ)主水(もんど)とその妻妙(たえ)。狸面(たぬきづら)の主水は小普請組に属す。家格は微妙を極め、柳亭種彦と同じく二百石取りの小身武家。狐面(きつねづら)で、歳の頃は40の境の、いかにも武家の女という感じの妻とともに本所の外れに住んでいる。
 文政元年(1818)「江戸朱引図(しゅびきず)」が作成され、朱引内という境界画定を行い、江戸の東西南北の範囲を明確にした。「本所の外れ」は大川のさらに東を流れる横十間川(別名・天神川)を渡った先にある。歌川(うたがわ)広重(ひろしげ)(1797~1858)の描く『名所江戸百景』「柳しま」の南方に主水の屋敷はあることになる。
 葛木家には、成人した男の六ッ子がいる。みな莫迦である。内訳は、戯作莫迦の長男逸朗、傾(かぶ)奇(き)莫迦の次男雉朗、撃剣莫迦の三男佐武朗、葉隠(はがくれ)莫迦の四男刺朗、守銭奴莫迦の五男呉朗、町人かぶれ莫迦の六男碌朗の六人である。
六ッ子各人に〈幕〉(章)が振り分けられている。各章とも、テンポよく、軽妙洒脱にストリーが転がっていく。
「――穀潰(ごくつぶ)しども、たんと召し上がれ」菩薩のような笑顔の母御の毒舌を浴びながら、葛木家の朝餉が始まる。主な登場人物はこれら葛木家家族8人に元御庭番(おにわばん)の下男安吉(やすきち)、下女鈴(すず)(安吉の孫娘、16歳)の二人を加えた10人である。
 家禄は低くても、父親が壮健であれば飢えることもない。矜持を捨て日銭を稼ぎ、高望みさえしなければ、これほど安楽な身分はない、と六ッ子たちは若き武士でありながら、学問所や剣道場へ通うわけでもなく、売りたいほどに暇を持て余している。武家の対面などどこ吹く風で、屋敷の裏口から、彼方此方へ――浅草寺の奥山、上野、両国の広小路、吉原遊郭、深川、品川宿。本所南の悪所。岡場所。色茶屋。猫茶屋、巫女茶屋――と、こっそり出入りを繰り返している。「太平の世」はかくのごとき珠玉の莫迦どもを生み出すに至った。
 部屋住みの厄介者、役立たずの六ッ子を前にして、悩んだ父親の主水は宣言する。「莫迦どもの中で一番ましな者に家督を譲る。それ以外の五人は座敷牢に閉じ込める!」と。六ッ子にとって、危機存亡の際、乱世が到来したのだ。
 役職にある幕臣は、一般的には70歳前後になると、辞職願を出し、一旦寄合組(よりあいぐみ)か小普請組に入ってから、何年かして致仕願を出し、家督や知行地、拝領屋敷などを子に譲って隠居するのが通例であった。

 主水は年齢不詳だが、隠居するのはまだ早いと思われた。
 慌てた六ツ子は我こそ跡継ぎにと主張し、ある者は戯作者、ある者は歌舞伎役者、その他、撃剣道場の主、算盤侍、遊び人志望などなど。自立を探る道を求めて、知恵を振り絞り、力の限りを尽くす。一章一章読み進むうちに、六ッ子の身上や人柄が明らかになってゆくのは面白おかしいことこの上ない。
 謎解きの最終章〈結〉で、「徳川家の当代将軍」が登場する。家斉の名はないが家斉であることに違いあるまい。葛木家の跡目争いは「当代将軍」が主水に命じた秘事であった。六ッ子は22年前、色好みの将軍が双子の女中に産ませた子、つまり六ッ子は畏れ多くも将軍の庶子であった……。
 跡目争いは暗礁に乗り上げ、行き詰まり、六ッ子たちは諦観と弛緩に至っている。六ッ子に限らず、武家の先行きも闇であった。御家人の多くはただ武士だというだけで扶持米を貪ってきたのだ。いつなんどき、どのような理不尽に有ったとて、これは甘受すべき運命なのであろう。
 国内では戦争のない「太平の世」である大御所時代は、幕藩体制の長い解体過程であった。六ッ子たちは歴史に名を残さない。だが毎日の生活の中にも歴史は入り込む。作家のまるで手品のような軽妙な六ッ子の莫迦ぶりのその裏に、皮肉と諧謔を込めた作家の鋭い歴史への洞察眼が凛と光っている。
 御馴染みになった登場人物とこのまま別れてしまうのは実に惜しい。六ッ子たちはもちろんのこと、主水・妙の夫婦、重要な役割を務める下男安吉下女鈴のその先が読みたいと思うのは評者(わたし)ばかりではあるまい。
 作家・新美(にいみ)健(けん)は1968年生まれ、愛知県在住。2015年、デビュー作『明治剣狼伝 西郷暗殺指令』で第7回角川春樹小説賞〈特別賞〉、第5回歴史時代小説作家クラブ賞〈文庫新人賞〉をダブル受賞。既刊に『つわもの長屋』「隠密同心と女盗賊」などのシリーズ、『満洲コンフィデンシャル』等多数。
           (令和2年2月5日 雨宮由希夫 記)