書名『武士の流儀(九)』
著者 稲葉念
発売 文藝春秋
発行年月日 2023年10月10日
定価 ¥730E
『武士の流儀』は2019年6月にスタート。本作は第9巻目である。
文政3年(1820)4月 将軍家斉の治世下の江戸が舞台背景である。
主人公の桜木清兵衛は52歳、元は北御番所(北町奉行所。奉行は榊原忠之)の風烈廻り(火事を防ぐことを役儀第一とした)与力で、既に隠居の身である。
清兵衛が50歳の若さで隠居したにはある事情があった。当時、死病であった労咳と診断され、それで御番所から身を引いたのだが、医者の誤診で咳気(気管支炎)と判った。が、今更隠居を取り下げるわけにはいかない。家督と八丁堀の組屋敷を倅・真之介23歳に譲り、今は妻の安江と鉄砲洲の本湊町に移り住んでいる。
妻と朝から晩まで顔を突き合わせていれば、つまらぬこと、些細なことで口論になるのは当然である。何か趣味でもと思い、俳句を一ひねりするも気の利いた出だしの句が浮かばず、勢い、外に出て町を歩く他ない。退屈しのぎの町歩きだから、歩く範囲は限られるが、散歩は日課になっている。
本シリーズは「事件」の展開を〈捕物帳もの〉のようにひたすら追うのではなく、「日々是好日」、平穏が一番と思って日々を過ごす主人公の清兵衛が外歩きをしつつ市井の揉め事に首を突っ込み「事件」と遭遇するという舞台装置での展開である。
本巻第一編の「三行半」を読みすすめたい。
その朝、外歩きがてら、清兵衛は「商家の女中にも、長屋のおかみにもみえる若い女」を見て、気がかりとなる。やがて、その女がおのりという名で六つのこどもを持つことを知るが、翌日、またしても、おのりとその子・大吉の母子を見かける。
おのりは24歳 丸太問屋「伊豆屋」に勤めている。15のとき日本橋薬種屋「大和屋」に店奉公に出て、18のとき、大和屋の手代だった利八の嫁になった。やがて大和屋の番頭になる利八とは17という年齢差があった。夫婦になって分かったことだが、利八はしみったれのどケチで、家賃も食費も折半、生計の半分をおのりに出させる守銭奴・とんでもない亭主であった。自分の運の悪さを知ったおのりはきれいさっぱりと縁を切りたいと思い、離縁してくれと利八に迫るも、利八は「三行半」を書こうとしない。正式な離縁ができないなら、せめて利八の顔を見ずに暮らしたいと、おのりは大吉を連れて家を出て、南八丁堀の五丁目の長屋に引っ越した。だが、別居して安堵するのも束の間、二カ月前に大和屋を辞めたという利八がおのりの住まいの近くに越してきたのだ。
「弱き者、困っている者には慈悲の心をもって接するのが武士の習いである」を信条としている清兵衛はお節介なほどに世話好きでもある。
おのりの身の上を知った清兵衛は「何かお困りのようだが、困りごとがあるなら相談に乗ってもよい」とおのりに伝える。一方、妻の安江には隠し事はできないので、おのりのことを話すが、安江は「貴方様も暇でございますね。他人の家のこと、下手に首を突っ込まない方が良いのでは。世間には離縁した夫婦はたくさんいて、それも子供を母親が引き取ることも珍しくありません」と冷ややかである。
〔おれも暇なものだな〕とひとり苦笑いする清兵衛だが、清兵衛は知っていた。女手ひとつで大吉を育てようという気概のおのりが、我が子を一人前にするために、どれだけ苦労しているか。金と我事しか眼中にない夫の身勝手な行状にどれだけ振り回されているかを。
「三行半」を書いてほしいとのおのりの「必死の訴え」を聞いた清兵衛は「これは放っておけるとではない」と腹をくくる。「もういい加減になさったらいかがです」と夫をなじる安江を振り切るように、利八のことをも調べはじめる。
やがて、面倒な事が起こる。事の発端は父親の利八がわが子大吉を兜市(かぶといち)に連れ出したことである。兜市は毎年4月25日から5月4日まで、尾張町や茅場町あたりで開かれる市で、兜人形や節句人形などの人形や飾り物が並べて売られ、ちょっとした人出で賑わう。兜市を楽しそうに見てまわっていた大吉は背後にいた客に身体を押されたはずみで不始末をおかしてしまった。利八は即誤ったが、話はこじれ出す。要するに大吉だけの責任ではないはずだが、相手は、弁償せよの一点張り。いくらだと聞けば、はじめは「三両だ」と吹っかけられ、やがて、五両、十両と吊り上げられていく。
大吉が人質にとられ、芝口一丁目の香具師(やし)の頭の辰蔵(たつぞう)の家に留め置かれる。とにかく五両の弁償金をまず弁償しないことには大吉は返してもらえない。
大吉が人質にとられた仔細を知った清兵衛はなにはともあれ、無事に大吉をおのりの下に連れもどすべく、利八に弁償の金五両を支払わせる……。
人一倍正義感が強く、曲がったことが大嫌いな清兵衛はいかにして、おのりの「事件」を解決したか。
おのりが利八ときっぱり縁を切らないことには、おのりは幸せにはなれないということ、先ず、これが大前提である。
清兵衛が“大吉人質事件”を足掛かりにし、質の悪い香具師の親玉・辰蔵とわたりあい、「あと五両上乗せだ。それで手打ちだ」という金に汚いヤクザな辰蔵のたくらみを逆手に取るべく、元風烈廻りの人脈を活用して策を弄し、賠償金問題をおさめ、返す刀で、守銭奴に過ぎない利八に「三行半」を書かせ、加えて利八を厄介払いする。小気味の良く、胸のすくようなケツマクである。
清兵衛は時代小説にしばしば登場する難事件をわけなく解決してしまうヒーロー的な与力ではない。とりとめのない日常の中で、退屈しのぎに“事件”に首を突っ込んでは、人生の機微を知り、与力時代から培った知恵と勘を働かせ、自らの意志と正義を敢然と貫き、責任ある温情で“事件”を斬る。
主人公と関わり合った人々が織りなす人情と匂うような江戸情緒に酔うた。
(令和5年12月1日 雨宮由希夫 記)
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