雨宮由希夫

書評『新・木戸番影始末(七) 迷いの果て』

書名『新・木戸番影始末(七) 迷いの果て』
著者 喜安幸夫
発売 光文社文庫
発行年月日  2023年10月20日
定価  ¥680E

 

 新・木戸番影始末(七) 迷いの果て(文庫本)

江戸時代、江戸・大坂や京をはじめ、多くの城下には町ごとに木戸が設けられ、その木戸には「番太郎」または「番太」と呼ばれる番人が置かれた。木戸番の主たる仕事は盗賊や狼藉者、不審者の通行・逃走を防ぐための朝晩の木戸の開け閉めと火の用心の夜回りである。
本書の主人公である杢之助は泉岳寺門前町の木戸番小屋の番太郎である。
時代小説は主人公の人物造形がいのちである。主人公ひとりの個性が多くの人の共感を得られるかが作品の命運を左右するが、杢之助の素性の造形に読者は大いに惹き付けられること疑いない。
木戸番人は大抵が妻子の無い老人で、番小屋に住み込みで居住していたが、杢之助は妻子どころか身寄りのない還暦まじかの年寄で、「町内に住ませもらい、ありがてえ」と町に感謝の念を持っている。また杢之助は年に似合わず達者で、下手なヤクザものなど即座に蹴り倒してしまう不思議な足技の持ち主である。それは飛脚と盗賊時代に身につけた足の踏み方であるという。杢太郎はなんと元盗賊だったのである! 
目次には短編4作が表記されている。が、読みすすめるうちに、一編一編が独立した短編ではなく、4作連作で一つの長編となっているのがわかる。
物語のはじまりの「第1編 奇妙な家族」から見ていきたい。
天保9年(1838) (前年の天保8年には大坂で大塩平八郎の乱が起きている)8月のある日の朝早く、泉岳寺門前町の坂上の裏手に住む指物師彦市の女房お勝が木戸番小屋に赴き杢之助に相談を持ち掛ける。
お勝は杢之助が「面倒見の良い爺さん」で、町内の夫婦喧嘩から親子喧嘩、どんな揉め事でも杢之助が出れば、たちどころに収まってしまうことを町の噂として知っているのだ。
「うちの亭主が、おかしい」と訴えてお勝が去った後、入れ替わるようにやってきたのは亭主の彦市で、彦市も「せがれのやつがどうもおかしい」と。家族三人が互いに寝ぼけの酷い症状にさいなやまされているといいたて、三つ巴で言い争っているのである。普段は互いにかばい合うように暮らしている指物師一家の裏に何かが流れていると杢之助は察知するも、この段階ではまさか泉岳寺門前町を揺るがす大事件に発展するとは杢太郎は露ほども感じていなかったのであるが……。
「突拍子もない話」がたて続けにつづられる。棚から牡丹餅ならぬ、棚から五十両もの小判が出てきた話。江戸ご府内に入った増上寺門前町の町々で、空き巣に居直り強盗の類が頻発するという話である。
これらの話に最も深く関わり合っているのが杢之助であるが、ここにもうひとりの人物・仙蔵が登場するに及び、“事件”らしきものが形を成してくる。三十がらみの働き盛りで、芝高輪界隈を流している「ながれ大工」の仙蔵はその実、火付盗賊改め方与力に直属する密偵である。仙蔵本人は隠しているが、杢之助はそれと知っている。一方、仙蔵も杢之助から堅気でない臭いを嗅ぎ取り、並の人じゃねえ、わけありの過去を持つ人と見抜いている。元盗賊と密偵の二人が持ちつ持たれつの関係にあるという設定が興味深い。仙蔵はこのシリーズに欠かせない重要人物なのである。
 かくて、この仙蔵が杢之助に、高輪大木戸で岡っ引きが盗人を取り逃がしたという話をするに及び、次第に“事件”は現実味を帯びて来る。
町方が逃がし、火盗改が探索している盗賊三人組の片割れが、二度も木戸番に杢太郎を訪ね来て、杢之助の元盗賊としての勘が働く。火盗改が出張ってくるような事件がおきれば、木戸番小屋が詰所になる。火盗改の与力や同心と直接相対することは何としても避けねばならない。火盗改の目が杢之助の過去にまで向けられないとも限らないのである。
杢之助は盗賊たちが画策しているものは空き巣やコソ泥のようなケチ臭いものでなく、袖ケ浦の浜を舞台にした殺しを含めた大掛かりなものに違いないとみる。はたして、盗賊どもの企ては、繁華な田町4丁目の札の辻に暖簾を張る干物問屋・海道屋の奥向きの揉め事にからむものだった。
盗賊三人組のたくらみの全容さえわかれば、俄然、杢之助は企て粉砕に向かって走り出せるのだが……。
火盗改の役人が町に出向いてくるのを防ぐことに細心の注意を払いつつ、いかにして自分を表に出さず、町にはなんら波風を立てずに、何事もなかったように収めるかを策しつつ、杢之助は、「存在するかもしれないもう一人の差配人」「得体の知れない商家の旦那風の男」「壱郎太たちを陰で使嗾する男」、まだ見えぬ“敵”の姿に恐怖にも似た疑念を感じている。
杢之助の脳裏は殺しの舞台を如何にして他所へ移させるかに染まっていくが、ここに、もう一人の人物翔右衛門が登場する。木戸番小屋の向かいの茶店日向亭のあるじで、町役でもある翔右衛門は杢之助のよき理解者であり、盟友でもある。翔右衛門も、「なにごともない普段の日常」の中に時が移り行くことを尊び、悪を懲らしめるより、身勝手ではあるが町の安寧・静かさを優先させようとする人物であった。
 かくて、“事件”は一件落着、「木戸番はなあ、誰にも町で面倒を起こさせねえのが仕事よ」との杢之助の独白を聞くことになるが、“敵”の正体を暴き完膚なきまでに懲らしめ退治することを期待する読者はこの幕切れに拍手喝采するであろうか。
 本書、本巻のみを読んだ読者は、杢之助が「町の平穏のために奔走する男」であることは理解できるも、なぜ必要以上に「己の過去を隠す」のかに理解に苦しむであろう。
『大江戸木戸番始末 (全14巻)』を引き継いで再スタートした『新・木戸番影始末』はそもそも『大江戸番太郎事件帳』(廣済堂文庫)がスタートであり、廣済堂出版から 光文社と出版社を跨いで継続しているロングセラー作品なのである。
泉岳寺に辿り着く前に、江戸府内で四ツ谷左門町や両国広小路など何カ所かの木戸番小屋で活躍した木戸番人・杢之助がひたすら隠そうとする過去とはいったいいかなる過去であったのか、それを知るには、過去の既刊本を紐解くに如くはない。多くの読者諸兄が既刊本を手にされることを願いつつ。

(令和5年12月2日  雨宮由希夫 記)

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