書名『焰の剣士 幕末蒼雲録』
著者 新美 健
発売 KADOKAWA
発行 2018年2月25日
定価 本体920円(税別)
北野上(きたのかみ)七軒(しちけん)の妓楼〈紅梅屋(べにうめや)〉の用心棒の椿(つばき)という少年が主人公。天人のような美貌の持主ながら、無頼の浪士すらも戦慄する奇妙な剣をふるう。紅梅屋の先代の為右衛門は有栖川宮家から嬰児の椿を預けられ廓の子として育て、椿は京洛の巷で漂うように生きてきたのだ。椿の剣の師で<吉野党>の漂月斎は椿を「御身は南朝の天子様なり」と崇め仕えている。読者は、椿の身の上には更に大きな真実が隠されているのかもしれないと期待に打ち震えつつ読み進めるであろう。
奇想天外の展開が繰り広げられるのだ。そうした椿の周りには、幼馴染みで、有栖川宮家が高級遊女として囲い込んだ〈紅梅屋〉の天女のような遊女・菊(きく)御前(ごぜん)、誰が親ともわからない穢れの子として生まれ落ち、都の貴人に尽くすために養われ、剣の技を磨いてきた女剣士の早咲(さき)の二人の女性がいる。椿は彼女たちに少年には似つかわしくない性技で接する。3人に共通するものは諦観もなく、運命に立ち向かうでもなく、人の世など意に介しない魂である。
幕末の京都。会津と薩摩の姦計によって、長州勢力が京洛から一掃され、〈会奸薩賊〉の合言葉が志士のあいだで流行っている元治元年(1864)春の京都が舞台。天誅が時勢を動かしたときは過ぎ去り、新撰組が無残な血刀をふるって攘夷の士たちを嬲るがごとく狩りまくっている。
歴史上の人物の登場は定番だが、しかもその人物造形は異彩を放つ。
時勢の移り変わりをよく知り「攘夷は大人の都合ぜよ」と吐く坂本(さかもと)龍(りょう)馬(ま)、龍馬を「稀代の人たらし」と決めつける同郷の士・中岡(なかおか)慎太郎(しんたろう)、「黒い霧のようなものをまとい」薩摩藩の西郷を尾ける枡屋喜右衛門こと古(ふる)高俊太郎(たかしゅんたろう)、西郷に私淑している薩摩藩下層の士で剣の達人の中村半(なかむらはん)次郎(じろう)、「おいは……おいのために生きることが許されん」とつぶやく巨眼の男・西郷(さいごう)吉之助(きちのすけ)、一介の人斬りだが、まるで神様のように信仰を受けている剣鬼・河上彦(かわかみげん)斎(さい)、人や物の値踏みに慣れた眼をした新撰組副長の土方(ひじかた)歳(とし)三(ぞう)と偉丈夫で屏風のようなひろい肩をした副長助勤の斎藤一(さいとうはじめ)……。
あらすじ紹介――。在京の薩摩軍を託されて西郷吉之助は椿と会うためだけに祇園にやってきた。「椿は南朝の天子なり」という、昨年から、志士のあいだでまことしやかに流布され、このころでは京洛の町人たちも耳にしている噂を知っていた。遊郭を護りたいというだけで、危なげな野心など持っていない椿に、西郷は裏の謀略を赤裸々に語る。
南朝の後胤の持つ力は絶大である。会津にも、新撰組にも、あるいは長州からも、その力を求める者らすべてに、椿は狙われる運命にあるが、西郷は「おいどもが命にかけてお護りもそ。どうか薩摩の……いや、日ノ本のため、おいどもの神輿となってくれもはんか」と迫る。
朝廷の権勢をめぐって浅ましい謀略に邁進している者どもが、このまま椿をほおっておくとも思えない龍馬は、「西郷は、どんな男じゃった?」と椿に問う。この段階で龍馬はまだ西郷と面識がない。椿がつまらない野心の道具にされるのを心配する龍馬は、「なにかあれば、いつでも神戸(こうべ)にきてくれ」といって京を去る。
池(いけ)田屋(だや)事変(じへん)の後、有栖川宮邸を訪れた西郷に、帥宮(そのちみや)こと有栖川宮熾(ありすがわのみやたる)仁(ひと)親王は「わしの遊びは邪魔せえへんゆうことやな」とうそぶく。
元治元年夏の京都。7月11日 佐久間象山暗殺。7月18日 帝都炎上。どんどん焼きで、京の都は3分の二が延焼し、東西は寺町から堀川まで、南北は丸太町から八条までが燃えたという。世にいう、禁門の変、蛤御門の変とも。一週間前に象山を暗殺した河上彦斎は今度は長州軍に参入して西郷の首を狙う。が、長州軍の撤退が始まるや、「西郷の首など惜しくはない。この刃は天を揺るがすほどの人物に向けるべきだ」と剣を収める。
有栖川宮は朝廷を簒奪し、孝明帝に京都守護職・松平容保の洛外追放を迫った。長州が引き起こした混乱と大火に乗じて三種の神器を奪い、南朝の正統たる血筋によって椿を新たな帝に仕立てることを目論んだ。椿が帝になれば、まさしく王政復古は成る。
有栖川宮が西郷に投げかけた「わしの遊び」とは、後白河帝も後醍醐帝も味わった楽しい遊びであり、高貴なる皇族に生まれたる有栖川宮は、もっと大きく激しい運命のうねりの中心に身を置きたかったのだ。有栖川宮は、椿という傀儡を得て、さらに面白い遊びを楽しまんとしたが、椿はあっけらかんと拒否する。それに対して、宮は椿の出自に関わる予想もしない言葉を椿に投げかける……。
本作は幕末の京都を舞台にした美貌の少年剣鬼の活劇を描いた前作『幕末蒼雲録』の第二作。作家新美(にいみ)建(けん)の独特の幕末史観がひかる。何といっても時代の切り取り方が斬新かつ小気味よいほど精緻で、この一冊すべてで「元治元年(1864)」を描きつくすという構図は類例がない。
池田屋事変。土方による古高の捕縛、拷問で、御所を焼打ちし孝明天皇の長州への動座の陰謀が明らかになったとするのが、これまでの巷説だが、本作では、見廻組の結成に焦った土方が手柄をたてんと古高の自白をでっち上げたとする。また、前年の文久3年(1863)8月18日の政変によって、目論見通りに朝廷内での力を取り戻した薩摩だが、会薩同盟を歯牙にもかけず、次の策として会津と長州の潰し合いをねらっていたのだとする恐るべき西郷の謀略の描写も肯ぜられる。その謀略家西郷も、龍馬には「浅ましい謀略に邁進している者」、彦斎には「天を揺るがすほどの人物ではない」と言わせている。等身大の西郷が描かれているといってよい。天晴なる快作にして傑作である。新美健は目が離せない作家である。
本年1月に刊行された『幕末暗殺!』(中央公論新社)は操觚(そうこ)の会に集う7人の作家〔谷津矢車/早見 俊/新美 健/鈴木英治/誉田龍一/秋山香乃/神家正成〕による書き下ろし短編競作である。日本史上稀にみる狂瀾怒濤の時期である幕末の、桜田門外の変から孝明天皇毒殺まで血塗られた暗殺事件を史材としている。新美健は清河八郎暗殺の見廻組の佐々木只三郎を描いている。なお、鈴木英治は佐久間象山暗殺を、誉田龍一は坂本龍馬暗殺を取り上げている。併せ読みたい。
(平成30年3月7日 雨宮由希夫 記)