シネコラム

第610回 サムライの子

飯島一次の『映画に溺れて』

第610回 サムライの子

平成二十二年十二月(2010)
阿佐谷 ラピュタ阿佐ヶ谷

 

 山中恒の児童文学『サムライの子』を講談社文庫で読んだのが一九七〇年代半ば、私の学生時代であった。二〇〇九年の十月に南田洋子が亡くなり、翌年にラピュタ阿佐ヶ谷で追悼特集が開催され、私の大好きな『競輪上人行上記』や『幕末太陽伝』が上映されたがなによりうれしかったのが未見だった『サムライの子』を観られたことである。
 北海道の農村で、祖母とふたりで暮らしていた小学生のユミは、祖母の死で、別れた父親の太市に引き取られる。太市は同じ北海道でも比較的都会の市営住宅に住んでいたが、そこは廃品回収を生業とする貧しい人たちの集落で、太市は酔っ払いで博奕好きの屑屋さんだった。演じる小沢昭一はぴったりの役柄である。
 太市の再婚相手で少女の継母やす。これが南田洋子。南田洋子といえば、知的な美人女優だが、この映画ではちょっと知能が足りなくて、それでも気のいい女性。貧しい屑屋のおばさん。
 集落の住人を町の人たちはサムライと呼んで蔑む。ユミは自分がサムライの子だと隠して学校に行くように言われる。サムライと知れるといじめられる。自分から肩身の狭い思いをすることはないと。小学校で男の子と喧嘩してしまい、道に転ぶユミ。そこへ通りかかる継母のやす。子供たちはサムライが来たというので、怖そうに遠ざかる。やすはユミを助け起こして声をかける。「大丈夫ですか、お嬢ちゃん」
 ユミがサムライの子と知られないように、他人のふりをしたのだ。そっと去って行く継母を見送り涙を流すユミ。市営住宅の人々は貧しいながらも廃品回収業でまともに暮らしているが、この集落の空き棟にノブシと呼ばれる人たちが市から収容されて入居する。ノブシは物乞いや泥棒などで暮らす浮浪者たちで、サムライはノブシを蔑むが、ユミは同年代のノブシの少女ミヨシと仲良くなる。やがてユミはサムライの子であることを隠さず、父や継母といっしょに明るく前向きにゴミ回収を手伝って生きるのだ。あの時代、世間は貧しかったが、人々の心に明るい希望はあった。

サムライの子
1963
監督:若杉光夫
出演:小沢昭一、南田洋子、浜田光夫、田中鈴子、松尾嘉代、上田吉二郎、新田昌玄、田代みどり、東恵美子、武智豊子、三崎千恵子、大森義夫、田中筆子

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