シネコラム

第609回 泥の河

飯島一次の『映画に溺れて』

第609回 泥の河

昭和五十九年五月(1984)
虎ノ門 虎ノ門ホール

 

 社会派であることと、技巧派であることは決して矛盾しない。時代色を出すモノクロ画面。めりはりのある映像は気持ちがいい。
 終戦後間もない大阪の安治川のうどん屋を舞台にした宮本輝の小説の映画化で、映画公開の時期に文庫本で出た原作を先に読んだ。
 最初の場面、芦屋雁之助が演じる馬車屋の耳が片方欠けているのを子供がじっと見つめると、馬車屋の顔色が変わる。が、気を取り直してにっこりする。コメディアンならではの演技。荷馬車の馬が立ち往生して積荷が崩れ、その下敷きとなって馬車屋が悶死するショッキングな始まり。これでいきなり映画の世界に引きずり込まれた。
 川べりのうどん屋の息子と対岸の廓舟の姉弟との子供同士の交流。姉弟がうどん屋に招かれて、うどん屋の女房が姉を誉める。弟も負けず、自分は水汲みもすれば歌も歌うと自慢すると、うどん屋の亭主が弟に歌を所望する。そこで歌うのが物悲しい「戦友」の歌詞。軍隊でつらい戦争経験のあるらしい亭主の胸に悲しさがこみあげる。このあたりのあざとさも上手い。
 天神祭の夜に廓舟の少年のポケットに穴があいていて、もらった小銭を失くすのも、哀れさを強調している。母はかつては繕いものをしてくれていたのに、父が兵隊となって戦死し、今は小舟で娼婦として暮らしている。そのためにポケットの穴があいたままだったのだ。小銭を落とした少年は明かりに群がる虫に火をつけて遊ぶので、うどん屋の息子はその残酷さにうろたえる。
 うどん屋の亭主の田村高廣は京都出身なので関西弁が巧みだが、女房の藤田弓子や廓舟の娼婦の加賀まりこなど、東京出身でもちゃんと大阪弁である。かつて関西ドラマに欠かせなかった名脇役の初音礼子や西山嘉孝が貧しい庶民の情緒を際立たせているのもうれしい。

泥の河
1981
監督:小栗康平
出演:田村高廣、藤田弓子、加賀まりこ、朝原靖貴、桜井稔、柴田真生子、初音礼子、西山嘉孝、蟹江敬三、殿山泰司、八木昌子、芦屋雁之助

←飯島一次の『映画に溺れて』へもどる