頼迅一郎(平野周) 頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー

第33回「インテリジェンス都市・江戸 江戸幕府の政治と情報システム」(朝日新書)

インテリジェンス都市・江戸 江戸幕府の政治と情報システム (朝日新書) 「インテリジェンス都市・江戸 江戸幕府の政治と情報システム」(藤田覚、朝日新書)

 インテリジェンスとは、本来「知性」「知能」のことですが、「諜報」という意味もあるようです。最近では、意思決定のために情報を分析して得られる知見、また、それを得る機構。すなわち、情報のうち意思決定に利用可能な真実味の高い情報、それを得るための活動や組織を指すようです。
 非常に現代的な言葉のような気がしますが、実は江戸こそインテリジェンス都市だったというのが、本書の主張です。
 その具体例として、
1 お庭番(将軍直属の隠密)
2 目付―徒目付―小人目付(江戸幕府の基幹的情報収集組織)
3 普請役(勘定所の隠密な情報収集役)
4 隠密廻り同心(江戸町奉行所の役職)
の4つを取り上げています。

 お庭番は、周知のように紀州から将軍位を継いだ徳川吉宗が作った組織です。将軍または御側御用取次から直接の命を受けて情報を収集しました。本書でも老中が介在しない点が重要だと指摘しています。彼らは「お庭番家筋」と呼ばれて、職務は代々世襲です。17家あり、固い団結を誇りました。その活動ゆえか、後には勘定奉行や遠国奉行等を輩出するなど、江戸後期の政治史でも見逃せない集団です。
 本書では、天保12年の「三方領地替」の撤回という大事件での活躍を取り上げています。このときの「三方領地替」というのは、出羽庄内藩酒井家を越後長岡へ、越後長岡藩牧野家を武蔵川越へ、武蔵川越藩松平家を出羽庄内藩へ所替させるという玉突き移動のことです。それまでも過去に7回行われています。
 ところが、今度の「三方領地替」は、発表されるやいなや出羽庄内藩で烈しい反対運動が展開されます。領民は地元で大集会を開き、仙台藩、水戸藩へ訴願、さらには江戸に出て老中等への駕籠訴を繰り返します。
 こうした反対運動を受けて12代将軍徳川家慶は中止を判断するのですが、そこにお庭番による情報収集が重要な役割を果たすのです。

 お庭番が将軍直属だったのに対して、幕府の正規の情報収集はどのような流れだったのでしょうか。それが本書第2章でとりあげられている、老中・若年寄↔️目付↔️徒目付↔️小人目付のルートです。
 目付の本来の職務は、幕臣の監察ですが、他にも将軍御成の供奉列の監督などその職掌は幅広く、幕臣のうち幹部候補生とでもいうべき人物が命じられました。
 実際の情報収集、探索は小人目付が行い、それに基づき徒目付が報告書をまとめ、目付が点検して若年寄・老中に上げたようです。
 なお、小人目付は遠国御用も果たした隠し目付でもあったようです。
 本書では、幕府の米価対策による江戸市中の金融状況への影響調査、幕臣の素行・身辺調査の例が上げられています。具体的には、
嘉永4年7月旗本野一色頼母家の内紛・混乱情報
嘉永6年信濃衆知久家の内紛・混乱情報
の2つの事例を紹介しています。
ちなみに、小人目付10人が、勘定所に出役(出向)していて隠密御用を勤めていたそうです。

 全国レベルの情報収集といえば、勘定奉行(勘定所)もそれなりに把握していました。なぜなら、全国に散在する天領を統治する郡代・代官から定期的な報告があったからです。
 現代でもそうですが、お金を握る部門は、その影響力が大きく、組織の中でも強い力を持ちます。江戸時代、これを自らの政策に利用したのが田沼意次です。
 勘定所には、「普請役」という御家人、抱入れ席の役職が、享保の改革で設けられていました。本来の任務は、大河川の治水工事、幕府管轄の街道と橋の工事の施工や監督などです。
 田沼意次は、蝦夷地開拓に並々ならぬ意欲を持っていました。そのため、腹心の勘定奉行松本秀持に命じて蝦夷地を調査することとしますが、それに起用されたのが普請役だったのです。前人未踏の蝦夷地の調査ですので、本書では「調査」ではなく「探検」だと断じています。ここから、有名な最上徳内や間宮林蔵が輩出することとなります。
 なお、普請役の報告書により、田沼意次は蝦夷地政策を軌道修正することとなります。

 また、対外的な危機の高まりもあり松平定信も普請役を使って情報収集を行っています。
 両者の違いは、是非本書を手に取って……。

 さて、江戸町奉行所にも「隠密廻り」という職掌の同心がいました。主に警察的な職務を担う「三廻り同心」の一つです。他の2つは、「定廻り」と「臨時廻り」です。この隠密廻り同心は、その名の通り隠密に犯罪の捜査、逮捕にあたるのですが、それだけでなく、江戸市中の経済情報の収集にもあたっていたのです。
 本書では、そうした隠密廻り同心について、天保の改革を巡る老中水野忠邦と町奉行遠山景元との暗闘を交えて説明しています。

 その他に鎖国化のオランダ風説書を巡る情報戦、文化露寇事件(注)を巡る情報戦についても述べられています。

 上記に関係する小説は多いですが、今回は天保12年の「三方領地替」の撤回という大事件を取り上げた作品を2つご紹介します。
 1つめは、藤沢周平の「義民が駆ける」(中公文庫、新潮文庫)です。題名の通り、庄内藩の農民の側から描かれています。
「義民が駆ける」(中公文庫)
 2つめは、中村彰彦の「北風の軍師たち」(上下巻、中公文庫)です。こちらは、忍びも登場し、よりエンタメ性の強い作品となっています。さて、北風の軍師たちとは……。
「北風の軍師たち(上)」(中公文庫)

(注)
「文化露寇事件」とは、文化3年(1806年)及び文化4年(1807年)、日本へ派遣されたロシア帝国外交使節ニコライ・レザノフが、北方の日本側拠点を攻撃した事件。  江戸文化全盛の化政時代、泰平に酔いしれる日本に、改めて国防の重要性を問うこととなった事件でもあります。

 

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