頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー16
江戸時代の三大政治改革といえば、「享保の改革」「寛政の改革」「天保の改革」ですが、その中で「寛政の改革」を主導した人物が松平定信です。本書はその定信の評伝です。
吉川弘文館刊、日本歴史学会編集の人物叢書の一巻ですが、この人物叢書の歴史は古く、本書も新装版となります。
松平定信といえば、8代将軍徳川吉宗の子田安宗武の子(吉宗の孫)で、将軍職を継ぐ可能性もありました。しかしながら、田沼意次の策謀で、奥州白河藩松平定国の養子となり、後、白河藩政の手腕を買われて、いきなり老中首座となり、改革に着手したといわれています。
そのため、田沼意次と田沼家に対して執拗な報復を行ったとみられがちですが、本書では田沼意次との確執については、ほとんど触れられていません。事実関係を述べるだけです。避けたのか、それとも史料から確認できないからでしょうか。
むしろ、定信の事績や行動とそのことに対する周りの評価を織り込みながら、定信という人物について書かれているというべきでしょうか。
例えば定信は、天明の打ち壊しの影響で、一揆等民衆反乱を恐れて農村復刻に努めたようです。そのことが農政を重視する政策につながったと筆者は見ています。田沼意次の重商主義への単なる反発ではなかったということでしょう。
この農村復興政策は、寛政の改革の中心の一つでもあり、有能な代官の起用、御家人の手付起用等につながっていきます。
代官を描いた小説を私は知りませんが、最近は新書、専門書も出版されており、モチーフとして面白いのではないでしょうか。今後、機会があれば、代官について書かれた新書、専門書についても取り上げてみたいと考えています。
また、この頃は、農村の荒廃による歳入不足、生活の華美等からくる財政難にどこの藩も農民もあえいでいました。そのため、農村復興による年貢増加(収入強化)を図ったという側面もあるようです。
また定信は、質素倹約を奨励するのですが、当然、家臣たちは反発します。誰よりも定信は、そうした家臣たちの反発を恐れていたようで、そのための種々の施策を行っていくのですが、それは本書をお読みになっていただければと思います。なるほどと思うのかそれとも……。為政者という存在の苦悩と栄光等人物理解に役立つことでしょう。
ちなみに定信は、藩政の改革に服部半蔵という人物を月番(家老のことを白河藩ではそう称した)に抜擢して行うのですが、この人物は名の通り、かつての伊賀忍者の総帥服部半蔵の子孫です。それだけでも興味深いところがあります。(ただし、本書は定信の評伝ですので、服部半蔵について深く触れているわけではありません。)
寛政の改革は、天保の改革と異なり、幕府の延命につながったという評価があります。政治の改革とは、昔も今も、要するに保守回帰なのですが、田沼時代の開明性が強烈だったために余計そのように感じるのでしょうか。
定信は迫り来るロシア等の外国からの脅威に対して、「鎖国」」は「祖法」であるとして、開港の要求を退けるのですが、この「祖法」という考え方は、その後、幕末まで維持することとなります。しかしながら、定信自身は、外国の脅威(圧倒的な武力差)を認識していたようです。そのため、江戸湾の防備を担うのですが、いかんせんそのための財政捻出に苦しむこととなります。本書では、そのこともよく描かれています。
同じ接続詞が多く、別章で同じことを繰り返したりと文章は決して読みやすいとは言えませんが、それゆえに章ごとに日にちを分けて読んでも大丈夫だろうと思います。
(追記)
松平定信が、柳生久通を江戸町奉行から勘定奉行に起用し、勘定所改革等を断行しようとしたことは間違いないようなのですが、残念ながら本書では、そこまで触れられていませんでした。勘定奉行就任後の柳生久通については、なお、調査中です。