頼迅一郎(平野周) 頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー

第17回「お白州から見る江戸時代」(NHK出版新書)

頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー17

「お白州から見る江戸時代 『身分の上下』はどう可視化されたか」
(尾脇秀和、NHK出版新書678)

 

 江戸時代は身分制社会です。一般的には「士農工商」として区分されたとされていますが、内実はもっと複雑だったようです。
士である武士においても幾多の階層に分かれていました。大名、旗本、御家人だけでなく、大名、旗本の家臣などもいます。さらには、その大名の家臣にも家臣がいます。
 例えば、江戸城の数寄屋坊主は武士なのでしょうか。代官は旗本ですが、その下役である手代は武士ではありません。羽織を着て、両刀を指しますが、正確には武家奉公人です。
 武家奉公人といえば、若党や中間は「士農工商」のどの身分に属するのでしょうか。神官、坊主は、どうでしょう。等々江戸時代は、様々重層する身分社会でした。
 そんな彼らが、犯罪を行ったり、訴えられたりした場合、幕府で裁きをする人々はどのような対応をとっていたのでしょうか。
 江戸時代のお裁きの場というとすぐに町奉行所の御白州が思い出されます。南北両町奉行所にそれぞれ設けられていましたが、他にも辰の口の評定所代官所寺社奉行所(役宅がないので、寺社奉行に任命された大名は、自らの上屋敷に設けていました。)にもありました。
 御白州というと砂利を敷いた庭をイメージしますが、その庭のみではなく、裁きをする空間全体のことも御白州と呼んだようです。
 御白州という空間は、「座敷、上縁、下縁、砂利という段差のある構造からなって」いました。座席は奉行などの裁く側の席ですが、上縁以下は裁かれる側の席です。
 ではなぜ、裁かれる側の席が、上縁、下縁、白州という三段に分かれていたのでしょうか。ここに江戸時代という身分制社会の特徴があります。身分に応じて席に着く場所が分かれたのです。つまり、「上縁・下縁・白州は、江戸時代の身分秩序を可視化するための構造」、つまり目に見える形で示す空間だったのです。
 しかしながら、最初に述べたように武士といえども多くの階層に分かれています。区分は三つしかありません。どうやって三つに納めたのでしょうか。複雑な階層というけれどもどのような事例があったのでしょうか。その際何を基準にAは上縁、Bは下縁、Cは白州と判断したのでしょうか。そんな疑問に応えるのが本書です。
 単なる席次の問題ですが、それを真剣に議論し、実施したところに江戸時代の特徴があるということでしょう。振り返って、例えば現代でも、セレモニーや諸儀式などで来賓の席次をどうするか、主催の側は悩むことが多いように思います。時を過ぎても席次の問題は変わらぬ課題といって良いのかもしれません。

 本文では、実際の豊富な事例を紹介していますが、ここでは一つだけ紹介しておきます。
 熨斗目とは、「腰まわりのみ、または腰と袖下とに縞や格子の模様を織り出した、絹の小袖のこと」です。江戸時代は、一定の身分以上の者にしか許されていませんでした。そのため、熨斗目着用以上なら上縁、熨斗目以下なら下縁という指標ができあがりました。
 文政8年4月、町奉行所は小石川伝通院の裏門番小笠原七兵衛を公事に出廷させようとしました。いわゆる寺侍の七兵衛は、給金は金3両4人扶持ですが、本人は熨斗目着用だと主張しました。さて、町奉行所は七兵衛をどこに座らせたのでしょうか?

 ところで、本書では町奉行所の明和7年に扱った裁判件数が紹介されています。
「公事」とは、今日で言う民事事件のことで、原告・被告が出廷して初回の審理が行われたもののことです。「訴訟」とは、その民事事件の訴状が受理されたものの、棄却や取り下げなどにより「公事」までいかなかったもののことです。「吟味物」とは、刑事事件のことです。
 面白いので、少し分析してみましょう。
奉行所は南北二つありますので、二で除して、さらに12月で除して見ると、
 訴訟:17,292件 ÷ 2奉行所 ÷ 12月 ≒ 720.5件
 公事:7,961件 ÷ 2奉行所 ÷ 12月 ≒ 331.7件
 吟味物:2,043件 ÷ 2奉行所 ÷ 12月 ≒ 85.1件
 一月あたりの各奉行で扱う件数の平均が出てきます。やはり、当時も民事が圧倒的に多いですね。
 当時の奉行所は、南北それぞれ与力25人、同心100人が配置されていました。もちろん、当時の同心も分掌はありましたが、単純計算すると、
 ( 720.5件 + 331.7件 + 85.1件 ) ÷ 100人 ≒ 11.3件
同心は一月一人当たり11.3件(与力は上司になりますので、直接は担当しません。)を担当したこととなります。
 私は裁判所の実務はわかりませんので、現代に比較して、これは多いと見るべきでしょうか。それとも……。

←「頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー」へ戻る