書 名 『黒白の一族』
著 者 明野照葉
発行所 光文社
発行年月日 2021年12月30日
定 価 ¥1800E
あなたの住む町に、相当の変わり者の一族が住み着いて、あなたがた住民を巻き込み、街そのものを変えようとする事態となったら、あなたはどうするか。
本作の舞台は新宿までJR中央線で11分、環状8号線西裏手、かつて「西の文化村 西のお屋敷町」とも呼ばれた杉並区の住宅地である。
主人公の榊可南(さかきかなん)はその住宅地に住む榊家の次女、34歳、未婚の女性。榊家は父母と姉、姪の5人世帯。榊家の真隣はかつて来栖(くるす)家があったが、そこに「新しいお隣さん」が引っ越してくると知り、可南はどんな人たちか楽しみというよりは少しばかりの怖さや不安を感じたものだが、可南の「嵐の予感」はやがてものの見事に的中する。
天子(あまこ)市子(いちこ)を家長とする総勢10名の集団は引っ越して来るや、敷地200坪の中庭に御社(おやしろ)だけでなく鳥居まで建てる「相当の変わり者」の一族であったが、やがて「厄介な隣人」、「危険な隣人」となっていくのに、多くの時間を必要としなかった。
可南は天子家と天子市子の情報を得るべく、諜報活動を開始する。
天子(あまこ)家は天孫降臨の地、高千穂(たかちほ)の近くの山村を故郷とする千二百年を超える脈々たる「歩き巫女」の血族で、家長の市子は68歳、「第31代天子市子」「ノノ様」を名乗る。市子は継子(けいこ)、亜子(あこ)、姫子(ひめこ)の3女の母でもある。
可南は3女姫子が一人の時を狙って姫子に近づき、この奇妙な一族がお稲荷さんを勧請して盛大な夏祭りを執り行い、11月には新嘗祭を執り行うということを聞き、この一家が全国津々浦々を歩き、託宣(神懸かりの言葉)、卜占(ぼくせん)、降霊(口寄せ)、勧進をおこなう筋金入りの「歩き巫女」の一家で、榊家の隣地を本拠地として、相当の期間、腰を据えて活動するらしいと知り、危機感をつのる。
この要注意一家は何やら奇妙奇天烈なことを始め、近隣に神道や稲荷信仰を広め浸透させることを露にしていく。警戒感なしに親しくするべき相手ではないと知りつつも、知らず知らずに、住民は取り込まれていく。天子アンチもいることはいるが、たかだか半年足らずで、天子シンパが大勢を占めていく。
正装した天子市子はカリスマ性抜群の美女で、可南の姉の紫苑(しおん)(一卵性双生児の姉、梨里 9歳という子を持つシングルマザー)などは一度でハートをつかまれてしまい、あちらの虜になり、ほぼ手放しで天子家の転入を歓迎している。警戒感を持つべきだという妹の可南の忠告には聞く耳を持たず、「可南はどうもお隣さんを悪者にしたがる。お隣さんが内に何かした? 何もしていない。だったら何の問題もないじゃないの」と毒づくばかりだ。
天子家は巧みであった。近隣担当の松(まつ)雄(お)(長女継子の夫)という男も専属でいるのだ。家族構成や暮らしぶりを見定め、「これ」と狙い定めた人物の情報を集めて、恩を売る形で近づくのだ。年金暮らしで年寄り二人きりの世帯や70過ぎの男の一人住まいが狙われる。彼らは孤独感にひたる毎日を過ごしている。この天子一家は平然と普通の善良な人の仮面をかぶり、孤独感に苛まされて苦しむ地域住民に救いを施して、何が悪いの?とばかりに狙った獲物をしとめるのだ。ある意味、悪逆非道な鬼畜より、不気味で身の毛がよだつ。この一族は偶然の出会いを演出して、多くの人の財産を脅かしていく。人を欺き誑かして生きる糧を得ているのであった。
可南は地域住民が市子や松雄を信じて頼れば頼るほど、この地域一帯が市子の支配下になりかねぬと危惧し、「ご近所の問題として考えるべきこと」を父康(こう)平(へい)60歳に訴える。シンパでもアンチでもない常識人の父は「天子家のことを探って事実をつかめ」と語るが……。
姫子と親しくしているのも、実は上辺だけのことで、天子家を探るのが可南の本来の目的で、可南は天子家の術中に嵌ったふりをして諜報活動を続ける。一方、天子家も策を弄している。可南と可南の心を探るのが姫子の役回りで、可南に見せていた朗らかで開けっ広げな感じの笑顔は可南を取り込むための仮面であり、時に偽情報を流して可南を翻弄する。姫子の本当の顔を知った可南はそれでもなお、向うに操られているふりをしながら、天子家の真実を知るべく、孤軍奮闘する。
市子の正当な継承者の一人・姫子と可南のやりとり、駆け引きが手に汗握る。
可南が手掛かりとした事件がふたつある。
一つは組織売春の件。天子家の離れは売春宿であった。祭りの時にやってきた美女軍団が天子家を訪れ、彼女たちにつられた魚のように男どもが出入りしているのだ。
「歩き巫女」は旅芸人ともいわれる現代の遊女であり、天子は「歩き巫女」の元締めで大売春組織の親玉であった。だが、現場を抑えない限り、証拠を得たことにはならない。
もう一つは土地取引の件である。
前の住民の来栖資朗が大家の大場(おおば)家の了解なく、天子市子に、土地と家の借用の権利を譲ってしまった。来栖は又貸しの上、売却していた。詐欺師の天子は土地と家の正当な所有者は大場と知りつつ、買い取っていた……。
組織的な天子家に対する戦いは「無謀な戦いで、何か個人が戦う相手ではない感じ」だと可南は思うが、「黒、黒なんだ! 市子は白い装束をつけたりしているが、天子家は黒なのだ」と叫ばずにはいられない。
「市子は天魔、市子はただの嘘吐き、人騒がせな存在だ」。それをどうやって近所の人たちにわかってもらったらいいのか。
二つの懸案の事件について、誰もが納得させるだけの事実を把握する以前に、コロナが来てしまう。
令和2年(2020)3月 ダイヤモンドプリンセス号。緊急事態宣言。マスク着用。不要不急の外出。五輪の延期決定……。
市子は「コロナのことは昨年から知っていた」と言い出す。とすれば、まさに市子の予言の成就である。
コロナは収束しそうもない。とするとおそらく市子の信者は今後も増え続けるだろう……。
「ここがこの先も平和で平穏な住宅地として存続するために。この地域の変わらぬ平穏と平和、心の平安を守りたい」の一念で天子家の正体を知るべく諜報活動を続ける可南。結末やいかに……。
作者には『誰?』という作品がある。2020年8月に発行された『誰?』は2019年の梅雨の頃から、台風19号の去った10月頃までを背景とし、東京中野区を舞台として生きた一人の女詐欺師の軌跡をつづった小説である。
本作は年代的に『誰?』の時代背景を引き継ぐものと見られよう。強きものが弱きものを食い物にするという構図は変わらない。いや、いっそう深刻になっている。そうした現代社会の病理を作者はいつもながら、これでもかこれでもかと暴いている。
コロナ禍の第6波が深刻な現状の下、作者の問題提起に真摯に向き合いたい。
明野照葉 は1959年、 東京都中野区生まれ。1982年 東京女子大学文理学部社会学科卒業。1998年「雨女」で第37回オール讀物推理小説新人賞を受賞し、デビュー。2000年『輪(RINKAI)廻』で第7回松本清張賞を受賞。
(令和4年1月9日 雨宮由希夫 記)