雨宮由希夫

書評『仁王の本願』

書名『仁王の本願』               
著者 赤神諒
発売 角川書店
発行年月日  2021年12月22日
定価  ¥1800E

 

 

 加賀(かが)一向一揆(いっこういっき)のなか仁王隊(本願寺最強の鉄砲衆)を率い孤高の戦いを続けた本願寺の坊官(本願寺領を守る半僧半俗の部将)・杉浦(すぎうら)玄任(げんにん)(?~1575?)が主人公で、「民の国」を守るために東奔西走し、戦場では不殺生戒を破り続けた「本願寺の仁王」こそ乱世の高僧だったとする。
 実在の人物の杉浦玄任の出生は謎である。本作では玄任の出自の謎解きが物語推進の伏線となっている。キーマンは本願寺の坊官・下間家(しもつまけ)の傍流の下間(しもつま)頼照(らいしょう)である。


 物語は北陸加賀に〈百姓ノ持チタル国〉が建てられる50年前にスタートする。時に天文7年(1538)11月の雪の日の夜、頼照は摂津国大坂本願寺の本堂で阿弥陀像の膝に抱かれる血塗れの赤子を拾い上げる。頼照と玄任と運命の邂逅というべきであろう。頼照と玄任は末世に仏法を信じた学僧であり、本来なら仏法を極めたかったが、時代はそれを許さず、戦う僧侶となる。頼照は玄任の出生の秘密を知ったうえで、赤子の玄任を総本山に引取って、本願寺を守る青侍(あおざむらい)とすべく育て、一向宗の教えと共に〈百姓ノ持チタル国〉のかけがえのなさを幼児の玄任に叩き込む。両人は奇しき縁の師弟となったのである。


 本願寺内部での熾烈な政争が克明に描かれる。宮内卿家(くないきょうけ)の下間融慶(ゆうけい)、刑部卿家(ぎょうぶきょうけ)の下間頼廉(らいれん)、七里(しちり)頼周(よりちか)(1517~1576)らが政争と謀略に明け暮れる。なかでも、杉浦玄任の前に立ちふさがる者として描かれるのは七里頼周である。  
 金に汚く、冷酷非情の頼周は出自はもちろん、40年ほど前に本願寺の青侍となるまでの経歴が不明で、ろくに仏法を弁えぬ似非坊主で「末法の世の鬼子」と忌み嫌われながら、刑部卿の懐刀となり、筆頭坊官として、御堂衆を意のままに操っている。
 頼周の立場は本願寺の坊官として、玄任と同じのはずだが、二人の行動はまるで違う。毀誉褒貶が激しく、腹の底では何を考えているのか知れぬ恐ろしさを秘め保身と私利を図るだけの頼周に対して、玄任は一切の駆け引きなしに、私を捨て去り、民と加賀一向一揆のために正しいと信ずる道を説く。


 杉浦玄任の特異さを知るためにも、加賀一向一揆の歴史を概略しよう。
 永禄10年(1567)朝倉氏と本願寺の和睦(「加越和与」)が成る。玄任は嫡子又五郎を人質として朝倉氏に預け、又五郎は越前一乗谷の阿波賀に入れられる。
 信長は足利義昭を擁して上洛した二年後の元亀元年(1570)6月 姉川の戦いで浅井・朝倉氏を破るや、その年の9月 顕如(けんにょ)に対し石山本願寺の明け渡しを要求する。当然、玄任は信長の要求に猛烈に反発。顕如は諸国の門徒一揆蜂起を命じる。11年に及ぶ石山合戦のはじまりであった。
 信長の叡山焼き討ちの翌年の元亀3年(1572) 5月、玄任率いる加賀一向一揆上杉謙信軍と戦い、各地で勝利をおさめるも、8月 尻垂坂の戦いで大敗。玄任は金沢御坊の七里頼周へ援軍派遣の要請をするものの、頼周はそれを無視するばかりか、玄任の尻垂坂の大敗の責任を問い、玄任を処断する。
 その年の10月 ついに武田信玄が上洛を開始。12月には三方ケ原の戦いで信玄は信長与党の徳川家康を叩く。玄任は自ら束縛の身となりながらも、ただ「民の国」の行く末を案じ、加賀が生き延びる道をさぐり、「仏敵信長を討つ最後の機会」の手立てのみを思案している。
 天正元年(1573) 8月 信長は浅井・朝倉氏を滅ぼし、一乗谷は灰燼に帰す。嫡子又五郎の身を案じながらも玄任は加賀から内乱状態の越前へ転戦。翌年 2月 総勢2万余の一揆軍を率いて、朝倉氏滅亡後の越前を制圧するものの、4月 頼みの信玄は病死、7月には信長が伊勢長島を攻め伊勢一向一揆を殲滅。
 怒涛のように変転する乱世。信長包囲網さえ崩れねば勝機は十二分にあったのだ。
 天正3年(1575) 5月 長篠の合戦で、織田徳川連合軍の勝利。もう信長をとめるものはない。8月12日 信長は10万の大軍で越前に攻め入る。玄任は越前の鉢伏山城に入り迎撃。しかし、信長の大軍の前に逃亡者や裏切りが相次ぎ大敗。府中郡司で加賀一向一揆軍の総大将(加州大将)の七里頼周はあろうことか、雪崩を打って潰走する越前一向一揆衆を横目に、ひとり加賀を目指して落ち延びてしまう始末。8月15日 信長はなんなく越前府中を落し、越前一向一揆は平定される。玄任の師頼照が無念の最期を遂げるのはこの時である。
 天正4年(1576)4月 本願寺顕如は再び信長への敵対を明らかにする。
 またしても七里頼周の策謀で越前での敗戦の責任を取らされることになる杉浦玄任は最後の戦いを挑む……。


 杉浦玄任の本領は「民の国」を守り抜くことであった。そのためには、人間の救済を願う仏法の根本に立ち戻り、「民の国」を作ることを理想とした。ゆえに、阿弥陀の前にはみな平等であるとして、「民の国」に住まうものとして、誰に対しても同じように接した。「民の国」は奇跡の国だ、簡単には作れぬと知りつつも、どれだけ誹謗中傷されても、誰も責めず、ひとり悪戦苦闘し、途方もなく巨大な夢を花開かせるべく、ただ正論のみを訴え人々に説いた。三千年に一度花咲く奇跡の花優曇華(うどんげ)のように、もしも日ノ本全土に「民の国」を作り得たなら、乱世は終わる……と。


 本作は戦国の世に、現代の「民主主義の国」に通底する理想郷「民の国」を作ろうとする夢物語であるとともに、父と子の物語でもある。
 朝倉氏の人質の身となった嫡子杉浦又五郎は当初、父の思いを理解できなかった。父に見捨てられたとの思いから、又五郎も父を見捨て、傍観、冷笑したが、又五郎は「民の国」が喪われてから、父が命を賭けて作り守ろうとしたものを初めて分かった気がする。父は本願を決して諦めぬ代わりに、わが子の将来や家族の幸せを手放したが、「民の国」を守ることで妻子を守ろうとしたのだと。
 父のために何もしなかったことを悔やむ子と、乱世に人の理想郷「民の国」を作ろうと孤軍奮闘しながら、息子の理解を得られなかったと諦める父が、再会して、はじめて二人一緒に風呂に浸かり、酒を酌み交わし、人間として、父子としての幸せにひたるシーンは圧巻である。
 物語はこれで終わらない。杉浦玄任と七里頼周の対決の末に、未読の読者のために、最後に大どんでん返しが待っているとのみ記しておこう。


 本作は生涯が明らかでない実在の人物を主人公として、加賀一向一揆の滅亡という史実を「民の国」のキーワードで描いた創作性豊かな歴史小説である。
 作者には、同時期、同地域を題材にした作品『酔象の流儀 朝倉盛衰記』(講談社 2006年刊)がある。『酔象の流儀 朝倉盛衰記』は本作『仁王の本領』に、杉浦玄任と立場こそ違え、深い信頼で結ばれ人物として登場する山崎吉家(よしいえ)を主人公に、信長の上洛から朝倉氏の滅亡に至るまでの史実を滅びゆく敗者の視点で切り取り描いた歴史小説である。併せ読みたい。 
 運命の残酷な変転を冷徹に描写した両書を紐解いた読者は、愚かな人間たちが犯したさまざまな歴史上の過ちに思いを馳せないわけにはいかないであろう。
「極楽浄土は地上のどこにでもある。だが人間は自らの手で、無間地獄へ
と変えている」(102頁) 。


                 (令和4年1月20日 雨宮 由希夫)