リレーエッセイ

リレーエッセイ第16回(橘かがり)

ワクチンが我が家にやってきた! /橘 かがり

 

 夫が寝床で何度も寝返りを打っている。時計を見ると5時。窓の外では朝焼けが、うっすら滲むように空に広がっている。 「もう起きたの?もう少し寝た方が良いんじゃないの」  心配して声をかけると、夫はふうとため息をつく。 「だるくて目が覚めた。体が重だるくて眠れない」  同じ頃、娘が38度3分の発熱をした。蒸し暑い日だったのに、寒い、寒いと青い顔でふるえている。  前日の午後5時に夫(65)と娘(30)は、(医療従事者として)2度目のワクチン接種を受けた。ちょうど12時間が経過していた。1度目の接種では2人とも腕の痛みを訴えただけだった。2度目の接種後の副反応が強く、若い人の方が、より強く出るという情報は本当だった。  元々夫は、コロナワクチンに慎重な立場だった。デング熱ワクチン失敗の記憶が鮮明に残っていたかららしい。その後の勉強会で、ファイザーやモデルナ社の画期的と言われるmRNAワクチンについて学び、デメリットよりメリットの方が遥かに大きいと判断して、ワクチン接種に前向きになった。娘はH P Vワクチン副反応の報道以来、すっかりワクチン嫌いになっていたが、パパの話を聞き、何度も議論を重ねて、接種する決意をした。  夫は微熱があり、全身の倦怠感を訴えたが次第に回復し、夕方5時にはすっかり回復していた。  だが娘の熱はなかなか下がらない。解熱剤を飲んでもしばらくするとまた熱が上がる。こんな高熱を出すのは久しぶりだ。昏々と眠る娘のベッドの横に、夜通し付き添った。愛猫もベッドの下から心配そうにのぞき込んでいる。まだ幼稚園に通う頃、熱を出した娘の横で絵本を読んで聞かせた遠い日の記憶がよみがえる。  娘は私に代わり、夫の医院の受付や医療事務を取り仕切っていてくれている。コロナが流行り始めた頃には、マスクも消毒液もまったく足りなかった。マスクもせずに咳やくしゃみをする患者さんも多く、飛沫を浴びた娘は、恐怖で顔を引きつらせていた。体調をくずした時には、検査結果が判明するまで、猫も隔離させる大騒ぎになった。ワクチン嫌いだった娘が接種を決めたのは、よほどの不安があったからだろう。  発熱してから丸一日たち、窓の外が白み始めるころ、娘の額に手をやると熱が引いていた。接種後約12時間目に発熱し、その後約24時間で平熱に戻った。言われていた通りの副反応だ。  しばらくして起きだした娘は、ゆっくり伸びをしながら、しきりに脇の下が痛いと言う。リンパ節が痛むというのも、副反応でよく見られる症状のようだ。しっかり抗体ができた証拠らしいが、用心のため一日休むように言うと、もう大丈夫と言って、娘は晴れ晴れとした顔で仕事に出かけて行った。元気そうな足取りを見て、私もようやくほっとした。

 言うまでもなくワクチンは万能ではなく、体の免疫反応を高めるものである以上、副反応は免れない。ワクチン接種は強制されるものではなく、接種しないと決めた人が批判されたり、不利益を被ることがあっては断じてならない。でもワクチンによって救える命は確かにある。  コロナウイルスはあまりに手強く、変異株は特に恐ろしい。特効薬が見つからない現状、高齢者、持病のある人には、ワクチンはやはり貴重な存在と言って良いだろう。昨年来ずっと死と隣り合わせだった医療従事者にとって、ワクチンは大きな救いに思える。 後方支援に過ぎない我が家でさえ、ここまで緊張を強いられたのだから、最前線の医療従事者の方々のご心労はいかばかりかと。人数削減されていた保健所のご苦労もどれほどかと。日本の医療の問題点が次々浮き彫りになり、国民の医療不信も顕在化した。今後も感染症は必ず襲ってくるだろう。この教訓を今後に生かしていかなければならないと強く思う。  接種希望する方々が、1日も早くワクチン接種できるよう心から祈ると共に、ワクチン嫌いの方も、ワクチンを信頼している方も、それぞれがメリットデメリットを考え、各自で判断するのが重要と思う。

橘かがり 東京都生まれ。早稲田大学第一文学部西洋史学科卒業後、都市銀行外国為替部勤務。塾講師を経て2003年「月のない晩に」で小説現代新人賞受賞。現代史ノンフィクションノベルを中心に執筆。著書に『判事の家』『焦土の恋』『扼殺~善福寺川スチュワーデス殺しの闇』など。日本ペンクラブ平和委員。

 

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リレーエッセイ第15回 菊池仁

花も実もある噓をつこう/菊池 仁

 

 思い起こせば、時代小説の面白さにはまって60有余年になるが、悟った真理がある。それは、面白い時代小説を書く作家は、決まって嘘つきでほら吹きだと言う事である。  嘘が物語を飛躍的に面白くすると知ったのは、『姿三四郎』で有名な富田常雄の『天狗往来』と出会った時であった。冒頭の文章に度肝を抜かれた。

 

<寛永八年四月三日の日記に、井伊直人は短く、次のように書いた。   向後の生涯、一切妻と媾合せず >

 

 簡単に事情を説明すると、井伊直人という若い武士が、妻の定が薙刀で、彼が木刀で舅の前で立ち会ったところ負けてしまったのである。その悔しさと憎しみから妻に復讐を誓った。その復讐が夫婦の営みを絶つという事で、ご丁寧にもそのことを日記に記した。死を前にしたときに燃やしておけばよかったのだが、不覚にもその注意を怠ってしまったために後世に残った。それ故に小説のネタとなってしまったのである。と、作者は書いている。奇想天外な出だしである。  物語の幕開けがこの一文である。これほどうまい出だしにはめったにお目にかかれない。冒頭から読者の心をわしづかみにする名人芸といえる。事実、「週刊読売」で連載が開始されると、サラリーマンの間でこれをアレンジした「向後の生涯一切喫煙せず」「泥酔せず」などといった文句が流行ったという。昭和三十四年頃のことである。  本当の衝撃はこの後、襲ってきた。冒頭の文章を読んで高校生の私はこれはてっきり史実を使ったエピソードだと思った。作者の巧妙な書き方にすっかり惑わされたのである。舞台となっている寛永御前試合も講談ネタであることを知らなかったのである。だから物語に登場する真田幸村の遺児・磯姫も実在の人物と思い、胸を高鳴らせながら読み耽った。  作者はモチーフに寛永御前試合を使い、講談の筋をより面白くするために噓とほらに伝奇的要素を加味することで、娯楽巨編に仕立てたのである。その呼び水として絶大な効果をもたらしたのが、冒頭の文章というわけである。  本書は1961年に大友柳太郎主演で映画化されている。「剣豪天狗祭り」がそれである。面白いのは井伊直人のエピソードは削除されていたことだ。映画には不向きだったのだろう。  簡単に言うと、作者の仕掛けた巧妙な罠にまんまと引っかかったのである。そして気が付いた。これほど心地良いことはないことを。つまり、花も実もある噓が物語を面白く豊かなものにするのだ。結論、作家として大成したいなら巧妙な噓つきとほら吹きになれ。

 

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