猫よりも鶏なればこその話/喜安幸夫
リレーエッセイの末席につながらせていただくことになり、不意に思い起こされた短編時代小説がある。岡本綺堂の『半七捕物帳』に出てくる「大森の鶏」である。 私が『半七捕物帳』にはまって全巻取り揃え、読みふけったのはかれこれ十年以上も前のことになる。いま猫にまつわるエッセイを読み、その短編の内容がまざまざと思い起こされてきたのだ。そこに私は、岡本綺堂という作家の凄さを、あらためて痛感させられた。「大森の鶏」のあらすじは、およそ次のようなものだった。 半七が川崎大師へ参詣に行く。その帰りである。六郷の渡しで舟待ちをしているあいだに、色っぽい年増女と軽く言葉を交わす。半七はその女に見覚えがあったが、どうしても思い出せない。 女とおなじ舟で川を渡った。六郷の渡しから江戸へ向けいくらか進めば品川で、その手前の大森のお休み処の茶店の縁台に座り、茶を飲んでいた。そこへ女の悲鳴が上がる。事件である。悲鳴は半七にすこし遅れて来た、あの年増女だった。なんと女は茶店の飼っていた大きな雄鶏に、突然襲われたのだ。雄鶏は逃げまどう女に執拗に飛びかかり、まわりの男たちが鶏に伏せ籠をかぶせ、ようやく騒ぎを収めた。 半七は鶏がなぜ女を執拗に襲ったかに興味を持ち、茶店の亭主に訊くと鶏は最近生き物の売買人から買ったものだった。鶏は財産であり、売買の対象になっていた。その経路をたどると、それは葛飾柴又の鳥鍋屋で飼われていた鶏だった。一年ほど前に亭主が大川へ夜釣りに出かけ、水に落ちて死亡し、女房は店をたたみ、そのときに家財と一緒に飼っていた鶏も売り払い、その鶏が幾人かの手を経て大森の茶店に飼われたのだった。 その聞き込みの過程で、半七はようやく思い出した。柴又の鳥鍋屋に以前行ったことがあり、女はそこの女房だったのだ。女は鳥鍋屋を閉めてから品川に移り、番頭一人を置いて旅籠の飯盛り女などの口入れをする桂庵をやっていた。その番頭こそ女の情夫で、二人で共謀して亭主の夜釣りを狙い、殺害したのだった。 半七の探索でそれらが明るみに出るという展開だが、これがもし犬だったら忠犬物語になり、猫だったら殺された亭主の怨念が憑依した化け猫騒動になるだろう。どちらもありきたりで、誰しもが考えつく作品になり、読んでもさほど印象に残らず、十年も経ればそんな短編を読んだことがあるとの記憶はあっても、作者や題名、どこに収録されていたかなど覚えていないだろう。一連の猫のエッセイから、それらが鮮明によみがえってきたのは、題材が鶏という、読者の意表を突くものだったからに違いない。そこに私は岡本綺堂の巧みさを感じるのだ。もし私が因縁めいた物語を組み立てるとすれば、やはり真っ先に考えつくのは猫か犬だろう。まだまだ私は未熟なのだ。もっと頑張ろう。 (了、字数一一六〇字)
プロフィール
喜安 幸夫(きやすゆきお) 昭和十九年生まれ、兵庫県姫路市出身、埼玉県新座市在住。平成十年『台湾の歴史』で日本文芸家クラブ大賞ノンフィクション賞受賞。平成十三年『身代わり忠義』等で池内祥三文学奨励賞受賞。著作は時代小説では『大江戸木戸番始末』シリーズ、『隠密家族』シリーズ、『闇奉行』シリーズ等、近未来小説では『2018尖閣決戦』、『中国崩壊 尖閣決断の日』等。
リレーエッセイ
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