雨宮由希夫

書評『大江戸けったい長屋ーぬけ弁天の菊之助』

書名『大江戸けったい長屋――ぬけ弁天の菊之助
著者 沖田正午
発売 二見書房
発行年月日  2020年5月25日
定価  ¥658E

 

 舞台の「けったい長屋」とは、浅草諏訪町の裏長屋「宗右衛門(そえもん)長屋」のこと。けったいなほどにお人好しで人情味溢れる人々、12世帯の貧乏人が寄り合う長屋の故にその名がついた。
 8年前の安政2年(1855)10月の世にいう安政(あんせい)の大地震で長屋が潰れ、大家が圧死。高太郎の父孝三郎が買い取り再建し、以来「宗右衛門長屋」とした。大家は20歳前後の若い材木商、高太郎(こうたろう)である。同じ町内の蔵前通りに材木屋『頓堀屋』を構えている高太郎が、江戸生まれながら上方弁で通しているには訳がある。大坂から江戸にきて材木屋を開業した三代前の先祖が、家訓として江戸言葉を禁止したためである。
 けったいなほどにお人好しの長屋の住人、その筆頭が本多菊之助(ほんだきくのすけ)で、本書の主人公である。時代小説は主人公の人物造形がいのちだが、菊之助のあり様には惹き付けられる。本姓を名乗らず「ぬけ弁天の菊之助」を称している菊之助天保9年(1838)生まれの25歳。身の丈5尺4寸ほど。顔容姿は細面ながら、内面は剛の者。正義感が強く、人からものを頼まれたらいやとは言えない性格の持主。背中に弁天様の彫り物を入れ、普段でも女物の長襦袢、小派手な柄の小袖を着込み、無頼の傾奇者(かぶきもの)を気取っている遊び人だが、その素性は「徳川四天王」の一人、天下三名槍蜻蛉切(とんぼぎり)」で名高い本多平八郎(ほんだへいはちろう)忠勝(ただかつ)の末裔で、本家から枝分かれした実家は牛込の通称抜弁天(ぬけべんてん)厳嶋(いつくしま)神社の別当寺・二尊院(にそんいん)(現・廃寺)近くにある。5千石の大身旗本・本多家の四男坊として生まれた菊之助が「ぬけ弁天の菊之助」を名乗るのは、幼馴染みの抜弁天様から名を借りた、とするのである。

 物語のはじまりの「第1話 ぬけ弁天の菊之助」から見ていきたい。
 文久3年(1863)のある日ある朝。大家の高太郎が営む材木屋『頓堀屋』の戸口に、奇妙な書き付けが挟み込まれている。書き付けには拙い文字で「けったいながやに火をつけられるのがいやなら五十両、いや十両でいいから金をだせ」と記されていた。
 朝早く、高太郎は自らの営む長屋に赴き、頼りがいのある菊之助に、相談をもちかける。菊之助が喧嘩は強いし張ったりも効く、かなり骨太の男で、頼りがいがあると、高太郎は知っていたのである。
 同じ長屋の住人大工の政吉(まさきち)の仕業かと思われた。女房お玉20歳と二人住まいの政吉23歳はまもなく子どもが生まれるというのに、博奕に負けて借金、大工道具を形(かた)にとられる。その上、仕事をしくじり、十両の借財を背負った政吉は困り果て、博奕で勝って穴埋めしようと、「賭場で十両作れねぇか」と、同じけったい長屋に住む博奕打ちの銀次郎(ぎんじろう)に相談したことが分かる。
 銀次郎は博奕打ちといっても壺振り師で、手目(てめ)博奕の名人。菊之助と同じ年の生まれで、気が合う。菊之助同様、これまた、お節介、頼まれたら断れない人の好さが売りものの、けったいな男なのである。かくして、銀次郎と菊之助が政吉の為というよりは、ぶざまな亭主を持った哀れな女房お玉のため、生まれて来る子のため立ち上がる。安部川町の本行寺の庫裏で三島一家の盆が立つ、と銀次郎から知らされた菊之助は弁天小僧仕込みの女形に成りきり、三島一家が仕切る賭場に乗り込む。二人つるんでの賭場荒らしがはじまるのである。
 もし手目を張ったことがばれたら、賭場から生きて帰れないことを二人は知っている。相手はまともな答えが通じる輩ではないのだ。のっぴきならないことは、三島一家の貸元・玄吉(げんきち)、今戸川の友蔵(ともぞう)の二人の親分を出しに使い、嘘をついたことであり、命をとるか取られるかのやり取りが繰り広げられる。単に同じ長屋に住むということだけで何の縁もゆかりもない大工夫婦のために、一肌脱ぐどころかたった一つしかない命を投げ出すという菊之助のヤクザの親分の気概を凌駕する活躍があって「事件」はめでたく終焉するが、クライマックスシーンはまさに土壇場で、読者は首筋に大粒の冷汗を流さずにはおられない。
「第二話 じょそっ娘館(こやかた)」は長屋の住人が寝静まった夜四ツ近くに引っ越してきた表具師一家が、「第三話 けったいな和歌」は、すった財布を持ち主に戻すことで東北のさる藩の殿様の命を救う女巾着(きんちゃっ)切(き)りお亀が、「第四話 賭け将棋の男」は政吉が再登場するが、身元不明の幼い兄妹豊吉(とよきち)お春(はる)が主人公である。
「文庫書き下ろし時代小説」のジャンルの一つに、剣客や同心が江戸市中で起こる事件を解決していく〈捕物帖もの〉があるが、本書の主人公は剣客でも同心でもない、旗本の四男坊である。しかも、時代背景は「激動の時代。茶屋にも異国の文化が押し寄せている」「異国に踏み込まれ、国の中では、尊王攘夷だ、公武合体だと騒いでいるが、どのみち、幕府はもうすぐ潰れる」とあるように、文久3年、維新前夜の日本なのである。

 沖田の描く旗本四男坊は武家を捨てた元旗本で戦国期を彷彿させる傾奇者なのである。戦国時代ならいざ知らず幕末に傾奇者を演じる元旗本を登場させる構想は秀逸で奇抜きわまる。
 幕藩体制下、家督は長子相続と定められていた旗本の次男以下に生まれた者の生きる道など知れていた。菊之助は15歳(嘉永6年)の元服を過ぎたころから脇道にそれる。11歳のとき鴉の鋭い嘴で脳天をつつかれ傷が禿となって残るという、少年期に受けた小さな出来事が元凶となり、人の嘲笑が何よりも屈辱となり心の負担となった。20歳(安政5年)にして屋敷を追い出され、浅草の町屋に移り住む。別の箇所では「武士がいやで家を飛び出し」とある。「追い出された」のと「飛び出した」のではかなりの意味の違いがあるが、菊之助が生家を出た後の事情は「第二話 じょそっ娘館」に詳しい。
 気骨ある菊之助は本多の家名を捨ててより、その姓を名乗ったことは一度もない。本多の連枝は大名旗本に数多く、「本多」の名を出せば生きるに易しかったが、あえて苦難の道を選んだのだ。続巻で、やがて、長屋の住人たちに、菊之助の素性が明らかになる日も来るのであろう。その時、亭主の褌を洗いながら井戸端会議に興ずる長屋の女房達がどのような顔をするか見ものである。
 本書のキーワードは言うまでもなく「けったい」である。関西弁で「けったいな人」とは「ちょっと風変わりな人」の意で、「けったい」自体に好き嫌いの判断はないが、作家は「けったいな時代」というべき維新前夜における人間模様をまさに「けったい」の一文字に織り込み、人間の孤独や愛を実に巧みに活写している。
 作家の沖田(おきだ)正午(しょうご)は昭和24年10月、現さいたま市中央区生まれ。2006年、『丁半小僧武吉伝』(幻冬舎文庫)で作家デュー。57歳のデビューは決して早くない。むしろ遅咲きというべきであろう。「沖田節」と云われる作者自身の叙情が行間から惻惻と伝わってくる。人生の機微を知り尽くした沖田正午の小説の世界は豊饒で桁外れに面白い。
               (令和2年5月15日  雨宮由希夫 記)