雨宮由希夫

書評『武士の流儀(三)』

書名『武士の流儀(三)』
著者 稲葉念
発売 文藝春秋
発行年月日  2020年4月10日 
定価  ¥680E

武士の流儀(三) (文春文庫)

武士の流儀(三) (文春文庫)

  • 作者:稔, 稲葉
  • 発売日: 2020/04/08
  • メディア: 文庫
 

 

 江戸の人々の人情の機微、息遣いまで聞こえてくる余韻。「優しさ」は生半可な優しさではない。自己を厳しく律しているからこそにじみ出る優しさが全編にあふれる。行きつくところは平易でなじみやすい文章力であるが、江戸の世界に惹きこまれるように遊んだ。

『武士の流儀』は2019年6月にスタート。本作は第三巻目である。
 主人公の桜木(さくらぎ)清兵衛(せいべえ)は52歳、元は北御番所(ごばんしょ)の風烈廻(ふうれつまわ)り与力ですでに隠居の身である。北町奉行所のことを当時の人々は北御番所と呼んだ。また風烈廻り与力の役儀は火事を防ぐことを第一とするという。
 清兵衛の父・清三郎(せいざぶろう)は文化2年(1805)他界し、倅・真之(しんの)介(すけ)は23歳、北町奉行所(奉行は榊原主計頭忠之)の当番方与力である、とあるから、将軍家(いえ)斉(なり)の治世下の江戸が舞台背景である。
 清兵衛が50歳の若さで隠居したにはある事情があった。当時、死病であった労咳とされ、それで御番所から身を引いたのだが、医者の誤診で咳気(気管支炎)と判った。が、今更隠居を取り下げるわけにはいかない。家督と八丁堀の組屋敷を倅に譲り、今は妻の安江と鉄砲(てっぽう)洲(てっぽうず)の本湊町(ほんみなとちょう)に移り住んでいる。妻と二人暮らし隠居の身は池波正太郎の『剣客商売』の秋山小兵衛を連想させる。
若隠居生活を送る清兵衛は暇をつぶすのに往生している。妻と朝から晩まで顔を突き合わせていれば、諍いも生じる。終日一緒にいることに息苦しさを感じるのは当然で、われわれ現代人と同様である。

「日々是好日」、平穏が一番と思って日々を過ごす。何か趣味でもと思い、俳句を一ひねりするもその才能なしと自覚するや、勢い、外に出て町を歩く他ない。清兵衛の性格は人一倍正義感が強く、曲がったことが大嫌い。照れ屋であり、お節介なほどに世話好きでもある。「弱き者、困っている者には慈悲の心をもって接するのが武士の習いである」を信条としている。書名はこの信条に由来するのか。本シリーズは「事件」の展開を〈捕物帖もの〉のようにひたすら追うのではなく、とりとめのない日常の中で、外歩きをする清兵衛が市井の揉め事に首を突っ込み「事件」と遭遇するという舞台装置での展開である。
 退屈しのぎの町歩きだから、歩く範囲は限られる。小網町、本所亀沢町、真福寺、江戸橋、一石橋などなど江戸の町、橋が数多く登場。良質な時代小説にはまると、読者はいつしか小説に登場してくる町名や大名家の下屋敷などの位置を確認したくなるものだが、私もいつしか江戸の古地図を片手に現代の場所を確認するという作業に没入していた。

 本巻第四章の「別れの涙」を読み解きたい。
 その朝、清兵衛は木挽町一丁目から紀伊国橋を渡った時、「銀さん……」と声をかけられる。お節との30年ぶりの再会であった。若い頃は、花村(はなむら)銀蔵(ぎんぞう)という二つ名で浅草界隈をならした清兵衛であるが、その頃、お節は浅草並木町の「白浪」という小料理屋の女主だった。花村銀蔵の清兵衛は岡場所の女に惚れられ、逃げ回ったこともある(第1巻)ところは池波の『鬼平犯科帳』の「本所の鐵(てつ)」を彷彿させるが、お節は、清兵衛にとってどんな昔の女であったのか。「亭主に死なれたが、小金を残してくれた。倅が孝行者で助かっている」「今日はこれから手伝いにいかなきゃいけない店がある」と一人語りするお節。幸せそうに暮らしていると聞いて、清兵衛は安心するが、一方に、「本当は銀さんに口説かれたかったのよ」と打ち明けたお節の声に思わずにやける清兵衛がいる。
 お節が手伝いにいく店、木梚町の「狸」の女主おたえ(………)は、お節が店をたたむ少し前までお節の店を手伝っていた。清兵衛は隠居の身で、稼ぎもなく、夜な夜な小料理屋に酒を呑みに行く余裕はないが、若い頃の自分を知るお節とは愛嬌もあり客あしらいがうまいおたえの女ふたりのいる店は「居心地の良い店」となり足しげく足を運ぶ。安江には隠し事はできないので、お節のことを話すも、安江は焼けぼっ杭に火でもついたかと女の嫉妬まじりに受け流す。
 ほどなく、「狸」からお節が消えた。おたえに商売のイロハを教えたお節は、もう教えることはないと太鼓判を捺しつつ、身を引いたというのだ。
 九尺三間の小さな店「狸」は出来の悪い亭主と別れたおたえが小金を溜めてたちあげた小料理屋である。お節がいなくなってしばらくしたある日。その日の仕事を終え、店を閉めて、帰ろうとしたとき、「やっと探したぜ」と5年前に別れた元の夫の吉松35歳があらわれる。「事件」の発生である。
 おたえは大工の吉松とは2、3年は夫婦仲良くやっていたが、酒と博打が好きな吉松の家庭内暴力に耐えかね、親戚と相談して離縁。悪夢のような生き地獄の日々から脱したのだった。
「なかなかいい店だな、一杯もらおうか」「一杯だけですよ」。
 昔別れた亭主がいつも店をしまう時間を見計らってやってくる。強引に押し入って、「三行半(みくだりはん)をだしてねえから、いまでもおめえはおれの女房だ」と抱きすくめ、肉置きのよい尻をつかむ。ひとしきり乱暴した後には、ご機嫌を取るように、土下座して、「一からやり直す、頼むから元のさやに納まってくれ」泣きつく。「もう来ないでくれ」とその日の売上の入った財布を叩きつけるようにわたしたこともあるが、吉松はよりを戻したいとあの手この手でしつこく迫る。
 贔屓の客もつき始めた。繁昌しはじめた店。「せっかく一人でやっていけると思ったのに、お節さん……どうすればいいの、助けて」我が身に降りかかる不幸を嘆き、おたえはちいさな嗚咽を漏らす。吉松の呪縛から逃れられたと安心しきっていただけに、不安はいや増すばかりだ。
 思い余ったおたえは相談したいことありと元与力の清兵衛にすがりつく。
 清兵衛はいかにして、おたえの「事件」を解決したか。清兵衛が風烈廻りだったころの手先であった粂次(くめじ)が清兵衛の意を受けて活躍する。元は質の悪い与太者だったが清兵衛のお蔭でまともな人間に立ちかえったという粂次は清兵衛の周囲を影のように彩る常連の一人として今後も登場すると思われる。
 清兵衛の策が功を奏し、吉松を厄介払いすることができ、おたえの「事件」がやっとかたづいた時、おたえの店に、お節が現れる。
 表題に「別れの涙」とあるように、〈市井もの〉の人情話が末尾を語る。
 行徳の塩問屋の後添いになるときまり別れに来たお節を清兵衛は温かく包み込む。清兵衛は知っていた。お節が亡くなった亭主の借金を返すために、どれだけ苦労したか。長男の行状の悪さにどれだけ振り回されたかを。
「礼などいらぬさ」清兵衛のこの一言に、二人の女が泣く。読者も泣く。
 南八丁堀5丁目の外れに架かる稲荷橋南詰にある甘味処「やなぎ」の看板娘おいとはシリーズの冒頭から登場する。清兵衛は人当たりの良いふっくらした顔にいつも笑みを浮かべている町娘おいとと会うと、特別感情というのではなく、心が和むのを隠せない。おいとも常連のひとりとなろう。

 清兵衛は時代小説にしばしば登場する難事件をわけなく解決してしまうヒーロー的な与力ではない。人生の機微を知り、与力時代から培った知恵と勘を働かせ、自らの意志と正義を敢然と貫き、責任ある温情で「事件」を斬る。
 花村(はなむら)銀蔵(ぎんぞう)こと桜木(さくらぎ)清(せい)兵衛(べえ)。新たな時代小説のヒーローの今後の活躍が愉しみである。
             (令和2年5月8日 雨宮由希夫 記)