シネコラム

第235回 非現実の王国で

第235回 非現実の王国で

平成二十年五月(2008)
渋谷 ライズX

 二〇〇三年、青山のワタリウム美術館ヘンリー・ダーガー展を見たときの衝撃は忘れられない。子供奴隷、少女戦士、南北戦争を思わせる戦い。残酷と幻想のおびただしい絵物語
 一九七〇年代の初め、シカゴでひとりの貧しい老人が亡くなる。家族も親しい友人もなく、清掃員の仕事をしていて、仕事場とアパートを往復するだけ。老齢で、働けなくなり、救貧施設に入所。
 アパートの大家ラーナーが、この老人の部屋に入って、驚愕する。おびただしい原稿の山。そして、大きな包装紙に描かれた何百枚もの絵。それは長大な叙事詩で、絵はその物語の挿絵なのだ。
 ラーナー夫妻は、一目で、これはすごい作品だと直感し、入所中の老人に感想をのべると、老人は「もう遅いよ」と言ったとか。
 老人の名はヘンリー・ダーガー、一説ではヘンリー・ダージャー。
 物語のタイトルは『非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供奴隷の反乱に起因するグランデコーアンジェリニアン戦争の嵐の物語』
 ダーガーはアパートの一室で、誰にも知られずにこの物語を創り続けていた。このアパートの一室こそが、ダーガーの夢の王国だったのだ。
 ダーガーの死後、ラーナー夫妻はアパートの部屋をその状態で保存する。作品は世間に公開され、一九七〇年代以降のポップアートに影響を与えた。
 ヘンリー・ダーガーの作品に迫るドキュメンタリー映画非現実の王国で』が渋谷のライズXで公開されたのがワタリウムでの展覧会の五年後。
 生前は世間からまったく知られず、死後に有名になる天才芸術家。いや、大家のラーナー夫妻が何も考えずにゴミとして処分していたら、ダーガーの作品はそのまま闇に消えていったのだ。

非現実の王国で/In the Realms of the Unreal
2004 アメリカ/公開2008
監督:ジェシカ・ユー
ドキュメンタリー