シネコラム

第92回 カイロの紫のバラ

第92回 カイロの紫のバラ

昭和六十一年五月(1986)
有楽町 ニュー東宝シネマ2

 

 大げさなようだが、私は映画を観ることで、いつもエネルギーを与えられている。少々落ち込んでいるときでも、映画館や試写室に行けば元気が出て、またがんばろうという気になれる。
 ウディ・アレンの『ボギー俺も男だ』が映画マニアの映画なら、『カイロの紫のバラ』は、映画ファンの映画である。
 時代背景は不況下の一九三〇年代。夫が失業して酒びたり、生活のためウェイトレスをしている女性。楽しみといえば、毎日、町の映画館に行き、上映中の『カイロの紫のバラ』という冒険映画を観ること。
 毎日、毎日、この同じ映画を観に行く。TVのない時代、庶民にとって、映画は安上がりの娯楽だった。
 すると、ある日、映画の中の冒険家が、ちらちらとこちらを観ているような気がする。そしてとうとう、その冒険家が客席の彼女に話しかけるのだ。
「毎日、観に来てくれてますね」
 冒険家は画面から抜け出し、彼女と現実の町でデートする。映画の主人公がスクリーンを飛び出して、彼女を愛してくれる。なんて素敵な恋だろう。
 客席もパニックだが、スクリーンの中では、冒険家が抜けたために物語が進行しない。登場人物たちが延々と言い争っている。これを解決するために映画会社が打った手、これがなるほどというアイディアなのだ。
 夢のような恋は一瞬に終わる。騒動が終わって、ひとり映画館の客席で次の作品を観る彼女。現実は重く苦しくとも、映画は楽しい。スクリーンの中ではフレッド・アステアが『チーク・トゥ・チーク』を歌い踊っている。今度は『トップハット』が彼女を元気づけてくれるはずだ。

 

カイロの紫のバラ/The Purple Rose of Cairo
1985 アメリカ/公開1986
監督:ウディ・アレン
出演:ミア・ファーロー、ジェフ・ダニエルズダニー・アイエロ