2018年の時代小説を読み解く 単行本編
2019.01.10 菊池仁 記
2018年の時代小説は近年にない豊作であった。特に、単行本は刊行点数も伸び、力作が揃った。16年17年と注目作が刊行され、期待はしていたのだがそれを上回る活況を呈した。うれしい限りである。
このコーナーではこちらの琴線に触れたベスト15を紹介するわけだが、これらの作品に通底するのは、どう生きるか という根源的な姿勢を自らに問いかけ、それを歴史を舞台として普遍化するところに力点が置かれていたと思える。それが文学と言われればその通りなのだが、現在の時代状況とリンクしているように思えてならない。
70から80年代の日本は企業社会としての装備を固めてきた。合わせ鏡である時代小説は、武士の苦悩が綿々とつづられた武士道ものや、史実を忠実になぞった戦国ものが横行、同時に悪人は一人も登場せず、市井の片隅でひそやかに生きる人間の悲しさが事細かに書かれた人情ものが売れ筋であった。もちろん池波正太郎、司馬遼太郎、藤沢周平といった巨匠の傑作もあったことは確かだが、時代小説が退潮傾向を余儀なくされた要因がここにあった。
その後、企業社会はバブル経済の直撃で失われた十年へと歩を進めた。リストラという名の合理化や効率一辺倒で人間を計量化していく経営手法が常套化していった。こういった企業政策をさらに推し進めたのがグロバール化である。グローバル化により企業の寡占化と肥大化が進んだ。さらに飲食業界やサービス業、OS業界といった産業が雨後の筍ごとく現れ、その結果、人的資源を計量化することが常態となり、人間の内側は切り捨てられていった。この傾向に拍車をかけたのが安倍内閣の登場であった。経済と国家が個人の上位に位置するという思想は、企業社会への偏重を加速させ、閉塞的な空気が充満している。昨年、漫画化という要因があったとはいえ、吉野源三郎の名著『君たちはどう生きるか』がベストセラーを記録した背景には、こういった時代の流れと決して無縁ではあるまい。
恐らく どう生きるか がテーマとなっている背景には、作家の批評精神の発露と言っても過言ではあるまい。つまり、ここに時代小説だからこそ書ける現代のテーマがあったと言う事だろう。これは時代小説が現代との連動装置として高い可能性を秘めている証左であり、読者の支持につながっていくものと考えられる。
どう生きるかという問いに真摯に取り組んだ五作品
まず、最初に取り上げておきたいのは、女性作家のひた向きな想いが紡いだ作品である。
◆篠 綾子『青山に在り』 角川書店
青山とは死所のことであり,死所を定めることにより、格差を超えて自分らしく生きたいと思う青年の苦闘を描いた佳品。本書については「ひねもすのたり新刊レビュー」を参照してほしい。
作者の作品の特徴は骨太で嫋やかなところにある。本書もそんな作者の作風が息づいている。藩政刷新を舞台として、その場に蹲まって何もしないことを拒絶した青年の気迫溢れる行動力がまぶしい限りだ。藩の論理で拡散しそうになるアイデンティティを自由に生きることで歯止めをかけようとする青年武士を描き切った力作。藩政改革ものに共通するテーマは、藩の論理と拮抗する個人の論理をどう描くかである。これは戦後社会の組織と個人とリンクするテーマで、文学の永遠の課題と言ってもいい。作者は藩の論理を青年がどう越えていくかをしっかり見据えて描いている。藩政改革、お家騒動ものに新たな地平を切り開こうと意図していたことが伝わってくる。
これは、ものを言わず深く考えず日常に流されて沈黙している現在に生きている人々へのメッセージであろう。作者の滾るような思いが伝わってくる。
◆泉ゆたか『髪結百花』 角川書店
離縁されたことを契機に、技術を身につけ、自立した生き方を目指す女性に照準を合わせ、優しいまなざしを筆に込めて描いた力作。恵まれない遊女と同じ目線で彼女らに寄り添い、そこから独自のスキルを生み出していく過程を、丁寧かつ詳細に描いたところに新人とは思えない力量を感じた。
◆西條奈加『無暁の鈴』 光文社
生きることすら困難な状況にあっても人を救済できるのか。これが、作者が主人公の若き僧に与えた使命である。次から次へと襲い掛かる災いの波状攻撃の中でたくましく成長していく姿が描かれている。昨年は災いの年であった。政治が貧困の時ほど、災いは多発する。天の配剤なのか。過去の自分が今の自分を作る。一つ一つを引き受けていくしかない。そんな覚悟のない現代人に対する作者の祈りが若き僧の人物像を彫り上げたのだ。久々の快作である。
平谷美樹が遂にやってくれた。多彩な作風で知られる作者だが、自らの殻を打ち破り新境地を示した重厚な筆致で幕末ものに挑戦した一作。幕末ものは前期は勤皇か佐幕、後期は官軍か幕軍か、視点をどこに置くかで作者の歴史観の質が問われるジャンルである。作者は生まれた岩手県にこだわり、幕末の盛岡藩を仕切った楢山佐渡に照準を合わせ、その激烈とも言える生涯に肉迫している。
あらすじは読んでのお楽しみである。本書の山場の一つでもある西郷隆盛との緊迫したやり取りの後に次ぎのような印象的な文章がある。
<薩長の維新は、真の維新たりえない。
なぜなら、そこに侍の私怨、私利私欲が関わっているからである。そして、薩長が作るのは侍のための世である。>
作者はラストに次の文章を持ってきた。
<戊辰戦争は、諸藩がそれぞれの政治思想によって戦ったのであり、官軍も賊軍もなかったー。>
これが作者の立ち位置であり、歴史観の表明である。二者選択的な安易な歴史観を排除し、幕末ものに風穴を開けた力作である。題名は、
花は咲く 柳は萌ゆる春の夜に うつらぬものは もののふ(武士)の道
という辞世の句からとられている。 そう、どう生きるかという問いは、どう死ぬかという問いと、同じ重さを持っているのだ。これからの作者の躍進を約束する一冊となっている。
伝奇的手法を駆使し、歴史の変革をデザインした四冊
◆今村翔吾『童の神』 角川春樹事務所
第10回角川春樹小説賞を受賞し、直木賞候補作にもなった大傑作である。朝廷に属さない先住の民である童と朝廷軍とのし烈な戦いを通して、名も知れぬ民たちの不羈の魂のありようを描いている。源頼光と四天王をはじめ歴史上の著名人物を巧みに配し、主人公が戦いを通して成長していく姿をリアルな筆致で再現して見せた。
伝奇ものをコアとして時代と対峙してきた大衆小説のエネルギーがこの作品には宿っている。これこそ待ち望んでいた現代の伝奇もので、ここには大衆小説が持つべき神が宿っている。物語が決定的に不足している現代のエンターテインメント作品はこうでなくてはならない。それにしても恐ろしいほどの力量を秘めた戯作者が現われたと言えよう。
本来はこの後に紹介する戦国ものにくくるべきなのだが、本書は別格である。新刊レビューで紹介しているので詳細は避けるが、手薄な海洋冒険ものの面白さを注入し、戦国ものを伝奇的手法を駆使することで、全く新しい衣装を施した筆力には、時代小説界を背負って立つ意欲を感じた。
作者は昨年、辰巳屋疑獄を意表を突く視点で描いた『悪玉伝』(角川書店)という力作があって心惹かれるのだが、民話、お伽噺、昔話の世界を題材として、雲上と雲下をつないでいたものは何か、を問いかける本書には隔絶したオリジナリティを感じた。語り口がすべてという難しい世界を作者は考え抜いた手法で再現している。
語り継ぐことの重要さが各挿話からにじみ出てくる。豊かさと温かさ、優しさが伝わり、物語を喪失している現代の痛みが炙り出されてくる。時としてこういうとんでもな傑物と出会えるから本を読むのはやめられない。
これもとんでもない一冊。奇想天外、荒唐無稽、空前絶後、波乱万丈という四文字熟語をそのまま地で行ったような物語を、軽やかな、絶妙な文体で描いた独自性に溢れた傑作である。日本と中国の歴史の狭間をこじ開け、大河冒険ファンタジーに仕立てた。唐の少女と日本の青年の過酷な旅が動線となっており、そこに著名な実在の人物を登場させ、興趣を盛り上げる手法もばっちり決まっている。
ここには時代小説、活字だからこそ書ける冒険がある。アニメやゲームを超える面白さを満喫できる。これが活字嫌いの世代に対する橋頭保(きょうとうほ)とならないかと思わせてくれる貴重な傑作である。
読書の醍醐味を満喫できる戦国もの六冊
◆飯嶋和一『星夜航行』 新潮社
「飯嶋和一にハズレなし」の定説通り、質と量ともに優れた傑作で゛ある。九年の歳月をかけて書き上げたというのは決して伊達ではない。作者の鬼気迫る気迫と圧倒的な迫力の前に茫然自失としてしまった。朝鮮の役が題材だが、こういう書き方があることに驚嘆した。各誌のべストテンでもゆるぎないナンバーワンに輝いたのも頷ける出来栄えとなっている。
何度もの配置替えにも負けずしぶとく生きる主人公の骨太な人物造形は抜きんでており、その生きざまが戦争の残酷さと、権力者の理不尽さ炙り出す。特に降倭(朝鮮の役で降伏しその後秀吉軍と戦った日本人)にスポットを当て、これを梃子として人物像に深みを与え、朝鮮の役という歴史の行間にあったかも知れない物語を紡いだ手法は非凡そのものである。作者の透徹した歴史観は、現代のアジア情勢を飲み込もうとしている危機感に、時代小説でしかなしえない警鐘を鳴らしているように思える。
◆川越宗一『天地に燦たり』 文藝春秋
昨年の松本清張賞受賞作である。デビュー作とは思えない完成度の極めて高い作品で、作者の力量が並々ならぬものであることを示している。『星夜航行』と同様、朝鮮の役が題材で、秀吉の出兵により侵略の嵐が吹き荒れる東アジアが舞台となっている。特記すべきは島津、朝鮮国、琉球国の匿名性を帯びた三人の視点を重ね、戦時下をベースに置いたエピソードで貫く手法を用いた点である。この手法が三人の人物造形の巧みさと相まって、類まれな人生ドラマを現出させている。楽しみな作家の誕生である。
◆幡 大介『騎虎の将』 徳間書店
単行本で着想の鋭さ、語り口のうまさといった豊かな才能を開花させた作者の畢生の大作が本書である。江戸城を造ったことで有名な太田道灌の人物伝記だが、想像力を駆使して作り上げた人物造形の素晴らしさが本書の肝である。
応仁の乱を超える関東の大乱を知略を武器に調略を進め、関東一円にその名を轟かせた道灌の生涯を独特の語り口で語った力作である。
うまいの一言。着眼点の巧さは群を抜いている。パレードの法則を時代小説に持ち込むというアイデアは通常では思い浮かばない。それを信長の強兵策に持ち込んだところに本書の面白さがある。司馬遼太郎も思いつかなかった組織論と人事論が展開されている。推理畑からの参入がモチーフとなって面白い信長ものが出現した。
◆鳴神響一『斗星、北天にあり』 徳間書店
◆赤神 諒『酔象の流儀』 講談社
この二冊については新刊レビューで紹介しているのでそちらを参照してほしい。
(管理人より……後ほどリンク補完します)