書評『髪結百花』
書評の仕事をしていて名利に尽きるなと思う時がある。新人がデビュー二作目でとんでもない飛翔力で文句のつけようもない傑作を発表した時だ。「おうやったじゃん。こういう作品を書いてもらいたかったのよ」と一人悦に入ってしばし読後の余韻を楽しんでいるときである。全く余計なことだがこういう時横浜の方言が出てしまうのだ。
師走に入って一冊の本が届いた。泉 ゆたか『髪結百花』(角川書店)である。
これが凄い。いい。面白い。作者は第11回小説現代新人賞の『お師匠さま、整いました』でデビュー。当クラブの作品賞の候補作ともなった。題材の選定のセンスの良さと大岡越前を隠し味として使う巧みさに魅かれて候補作にはしたが本選考では推せなかっのだ。人物造形の彫り込みの甘さと、算学を使ったエピソードが中途半端で物足りなかったからである。
ところが本書ではその欠点であった中途半端さを全く感じさせない作品に仕上げてきた。本来の持てる筆力が遺憾なく発揮されている。吉原でヒロイン梅は離縁されて実家に戻り、髪結いをしている母親アサの手伝いをしている。アサは髪結いとして一流の腕を持ち、相手の気持ちを解きほぐす弁舌にも長けている。梅の日常はそれを皮膚感覚で見るのが仕事である。この設定が全編を貫く動線となっている。つまり、梅は観察者として登場するのである。それもアサをフィルターとしてである。
ある日、梅の指示でタネという禿候補の少女の髪を結うことになる。ここから作者の筆は冴えてくる。髪型をどうするか、結いあがるまでのプロセスを作者は、梅の相手に対する観察、梅の心理を織り込みながら丁寧な筆致で描いている。初仕事を無事に熟した梅は、この経験を発条に中風で倒れたアサに代わって仕事を引き継ぐことになる。
特記すべきは花魁である紀ノ川との交情である。ここで髪型が仕掛けとして活きてくる。梅が紀ノ川に似合う髪形を工夫するわけだが、観察者としての梅が一歩踏み出し相手の生きざまに寄り添う同伴者となることを意味している。このプロセスを描く作者の筆はディテールを極め、力強く嫋やかな文章は、迫真に満ちた効果を生み出している。これが本当の職人小説であり、お仕事小説の神髄と言える。吉原ものは多くの類似本があるが、ここまで髪形を通して遊女の生きざまに迫った作品は類を見ない。
もう一つ重要な仕掛けを作者は施している。アサとの関係である。二人の関係を密度の濃いエピソードをつなげることで物語に奥行きでて、得難い人生ドラマを楽しむことができる。要するに、登場人物の造形に幅と深みが加わりとても二作目とは思えないコクのある作風となっている。作者の小説作法が優れたものとなっていく前触れと言えよう。