雨宮由希夫

書評『ディアスポラ 高麗への道』

書   名 『ディアスポラ、高麗への道』
著   者  岩下壽之
発   売  鳥影社
発行年月日  2018年9月19日
定   価  本体1800円(税別)

 

ディアスポラ、高麗への道

ディアスポラ、高麗への道

 

 

書   名 『ディアスポラ、高麗(こま)への道』
著   者  岩下壽之
発   売  鳥影社
発行年月日  2018年9月19日
定   価  本体1800円(税別)

 帯に、「“ディアスポラ”を軸に、古代と現代、夢と現実を交錯させ、歴史と「私」をつなぐ運命の糸を明かした異色の歴史私小説」とある。「歴史私小説」とは何かと思い、読み始めては一気に読了せずにはおれなかった。
 終戦時の家族を襲ったシベリア抑留と引き揚げ(ひきあげ)の悲劇を織り込んだ自伝的記載〈私小説〉と、渡来人(とらいじん)を軸とした東アジア古代史に寄せる歴史随想〈歴史小説〉が二重映しとなる不思議な構成に戸惑い、魅了されながら、作者の人柄と波乱の半生に思いを馳せつつ、しばし瞑想にふけった。
 引き揚げとは第二次世界大戦が終わって「外地」から「内地」日本に帰国してきたことを言い、渡来人とは古代に朝鮮半島や中国から海を渡って来日(当時の日本は「倭国」)してきた人々である。 
 歴史上の人物である高麗(こまの)王(こにきし)若光(じゃっこう)、高麗王福信や、血のつながった身内で死者となった父母と、夢の世界で出会い、まぼろしの対話を交わす刺激的な場面がある。
「今の関東地方の広大な地域は朝鮮からの渡来人が切り開いた」ことはよほどの歴史好きでない限り知られていないのではないか。
 大和朝廷の対蝦夷(えみし)政策。東北の征夷のための兵站基地として東国は重視された。東国の渡来人は動員、利用された。蝦夷を臣従させるためには彼らの協力が不可欠だったのである。渡来人といえば、新羅(しらぎ)の秦(はた)氏(うじ)と百済(くだら)の東漢(やまとのあや)氏(うじ)が著名であるが、渡来人としては新参組の高句(こうく)麗(り)系に作者は着目している。

 霊亀2年(716)、駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野7カ国の高麗人1799人を武蔵国に遷して高麗郡(こまぐん)(明治29年(1896) 入間郡に組み入れられてその名は消えた)を設置した、と史書にある。なぜ高麗郡だけが「七カ国」もの多くの国々からわざわざ高麗人を寄せ集めて建郡されたのか、と作者は問う。
「高麗(こま)」は「高句(こうく)麗(り)」のことで、高句麗は旧満州から今の北朝鮮にかけて栄えた大国で、新羅百済高句麗の朝鮮三国で最も早く仏教を採り入れた。
 668年、高句麗滅亡。故国を失った高句麗の人たちはディアスポラとなって海を渡って来日。この人たちのリーダーが高麗(こま)王(のこにきし)若光(じゃっこう)(?~748)で、伝説化された若光は、埼玉県日高市(旧高麗郡高麗村)の高麗神社の祭神になっている。なお、ディアスポラ〟は「離散」、定住地を持たない漂泊(者)の意である。

 多摩ニュータウンの八王子地区の「みなみ野」に居住する作者は、高麗王廟、姫龍神、七国峠、女影廃寺、大磯の高麗山など高麗ゆかりの地を散策し、武蔵国から相模国に抜ける鎌倉古道の一つ、七国峠越えでは、どんな思いで若光たちはこの七国峠を越えたのかと思いを馳せている。
「父にとっては北朝鮮への逆送が、本物の「高麗」への逆送だった」という一文がある。
 作者は高麗人たちの運命を「私」自身の半生に重ね併せているのである。
「私」の一家は昭和16年7月末、神戸から大連に渡り、「私」は昭和22年冬、引き揚げているが、その間、父母を亡くしている。
 母は終戦直前の昭和20年1月に病死、35歳。財閥系住友銀行勤務の父は昭和20年「ねこそぎ動員」で応召して終戦、敦化飛行場で武装解除、極寒のシベリアで瀕死の一冬を越した後、北朝鮮平壌郊外15キロの三合里にあったソ連軍の収容所に〝逆送〟され、昭和21年7月、かの地で〝戦病死〟享年、数え42歳。
「逆送」という言葉には故国日本への「ダモイ」(帰国)と喜んだが、帰国ではなく、ソ連支配下にあった場所に身柄を強制的に移されたという無念、くやしさが込められている。

 父の死んだ平壌はかつての高句麗の都であった。「私」は父親の姿は記憶にないという。が、父親の埋葬地に線香を手向けねば、私の戦後は終わらないと長い間思っていた「私」は、臨終の父に話しかける。百済新羅より、近年、高句麗に強い思い入れを感じるようになったのも父の運命と関係があるのか、とも。
 両親を失っての一家の引揚げ体験、故郷となるべき「大連」の喪失は、大人になってからの「私」に自らのアイデンティティーはどこにあるのかという課題を突き付けてきたという。

 故郷とは自らのよって立つ基盤であろう。大阪に生まれ、まもなく満州に渡り、幼少期を大連で過ごし、敗戦後引き揚げて、信州佐久で小学3年から高校まで9年間を暮らした「私」は、佐久は愛憎半ばする「疑似故郷」にすぎず、自らは故郷喪失者であるというが、ある日、「異郷こそ故郷」という発想に出合い、高麗人を「異郷を故郷に変えた大先達」と観る視点を得る。
「故郷喪失」と「アイデンティティー」、そして「ディアスポラ」の三つが本作品を解くキーワードであり、終戦時の家族のあり様と高麗の帰化人の二つが本書の基軸であり、両者に共通するのは亡国の悲哀である。

 作者は自らを「終戦の体験者という歴史の一証人であることより、歴史から忘れられつつある無名の存在」であるとし、そのうえで「歴史上の人物を追及している私自身は何者なのか」と問うている。
 昭和前期という時代は我々日本人にとって忘れることのできない激動の時代であり、近い過去でありながら、早々に我々の記憶から遠ざかっていく時空でもある。

 作者の信念の一つに「歴史に美談なし」がある。美談には歴史の落とし穴がつきもので、「親日的な台湾」の裏側に隠された本当の台湾人の心を見逃してなるまいとの警告は重い。
 作者は78歳。この年になるといつどこで何があってもおかしくないと、死を語っている。死への恐怖、生きることの意味、人生の後悔、そうした揺らぎに寄り添うような書かれた本作は確かに「歴史私小説」の名にふさわしく、私は遺言のようなメッセージとして読み、しばし瞑想にふけった。
 若い人にとっては自分の祖父母、曽祖父母の生きた時代を知る格好の書である。是非、読んでほしい。

 作者岩下壽之(いわしたとしゆき)は1939年(昭和14)、大阪府豊中市生まれ。主な作品として、「第17回山室静 佐久文化賞」を受賞した『大連だより―昭和十六~十八年・母の手紙』(1995年・新風舎)などの<大連三部作>、『井真成長安に死す』(2010年・鳥影社)『円載、海に没す』(2013年・同)『定恵、百済人に毒殺さる』(2015年・同)の歴史小説の珠玉のシリーズ<遣唐使三部作>がある。
                (平成30年10月3日  雨宮由希夫 記)