書名『幕末暗殺!』
著者 谷津矢車/早見 俊/新美 健/鈴木英治/誉田龍一/秋山香乃/神家正成
発売 中央公論新社
定価 本体1600円(税別)
操觚(そうこ)の会に集う7人の作家による書き下ろし短編競作である。日本史上稀にみる狂瀾怒濤の時期である幕末の、桜田門外の変から孝明天皇毒殺まで血塗られた暗殺事件の数々に、操觚の会に集う7人のサムライならぬ7人の歴史時代小説作家がいかに迫るのか、作中に散見する各人各様の透徹した歴史観をもたのしみながら、ひもときたい。なお、操觚の会とは新しい歴史小説を摸索、構築しようと各種イベントや講演会を定期的に行うなど活動している作家集団(会員は17名)である。
巻頭を飾るのは、谷津矢車の「竹とんぼの群青」。桜田門外の変を扱っている。
安政7年(1860)3月3日の白昼の要人襲撃事件は幕末日本に大きな転機をもたらし、時代の流れを倒幕へと傾ける引き金となった。井伊直弼暗殺を扱った作品としては水戸藩郡奉行与力で大老襲撃現場の指揮者である関鉄之(せきてつの)介(すけ)を主人公とした吉村昭の大作『桜田門外の変』があるが、気鋭の作家は襲撃合図のピストルを発射したとされる水戸藩士黒澤忠三郎の視点より事件を描いている。
忠三郎は関鉄之介より、西洋式鉄砲を入手して、井伊掃部を斬る義挙に参加してほしいと頼まれる。直訴人を装い、直訴、直訴と叫びつつ、駕籠に向かって走り寄る忠三郎の脳裏に、「お前たちの尊攘は間違っている」と叫ぶ友の顔が浮かぶ。だが、忠三郎は走り続ける。「もう我らは止まれない」と。
司馬遼太郎は「暗殺は否定すべきであり、暗殺者という者が歴史に寄与することなどないが、ただ、桜田門外ノ変だけは、歴史を躍進させたという点で、例外で、桜田門外の暗殺者群には、昂揚した詩精神がある」と語っている。
天空に舞い上がる「竹とんぼ」はまさに大きな歴史の渦に否応なしに巻き込まれていく青年たちを表しているのだろうか。彼らに「昂揚した詩精神」があったとみるのはどうか。私はそれは錯覚だと思いたい。
早見 俊の「刺客 伊藤博文」は文久2年(1862)12月21日、塙忠(ただ)宝(とみ)を暗殺(翌22日死去)した伊藤俊輔(博文)を主人公とした作品。暗殺を使嗾した高杉晋作と伊藤の物語の中の関係描写が実に巧みである。
維新前夜、いっぱしの尊王攘夷の志士気取りであった百姓上がりの伊藤は長州藩でのし上がりたいとの野望を秘めている。伊藤の見る高杉は「餓鬼大将がそのまま大きくなったような男」にすぎないが、高杉に嫌われてはのしあがることはできない。俊輔にとって高名な国学者の塙忠宝はのし上がるための獲物にすぎなかった。
暗殺者はいつの時代でも歴史の渦の中で一粒の泡となって浮かび瞬く間に消えていく運命にあるが、伊藤は例外で、維新後、総理大臣となり公爵まで授けられる。一方、幕末最大の風雲児・高杉晋作は明治の世を見ることなく逝去している。
明治42年(1909)10月26日、伊藤は哈爾浜駅で暗殺される。初代韓国統監伊藤博文の最期の言葉は「馬鹿な奴だ」。塙忠宝が死ぬ間際に遺した叫びと同じだった。
新美健の「嘆きの士道」は文久3年(1863)4月13日、清河八郎を暗殺した浪士取締出役の佐々木(ささき)只(ただ)三郎(さぶろう)を主人公とした作品。
佐々木只三郎の人物造形もさることながら、山岡鉄舟と高橋泥舟ら歴とした幕臣が清河に傾倒してしまう、清河の魔力はどこにあるのか、と作家は問うているところが歴史の核心をついている。「幕末の三舟」とか江戸無血開城に力を尽くした異色の人物として喧伝されている山岡らの虚像が等身大の人物として表現されている。
八郎の評価についても、「討幕の魁となった稀代の策謀家」で通っている清河の本性を「尊大不遜な大ボラふき。死を賭して、国事に邁進する殊勝さは見あたらない。所詮は偽い物にすぎない」。斬られて当然の不逞の輩清河八郎の最期を描写して、「清川は――明らかに斬られたがっていたのだ。〈かたじけない〉そうつぶやいたのを只三郎は聞いていた」とする。切れ味の鋭さを見せる秀作である。
鈴木英治の『血腥(ちなまぐさ)き風』は、元治元年(1864)7月11日、京都三条木屋町で佐久間象山を暗殺した肥後藩士河上彦(かわかみげん)斎(さい)を描く。人斬りの異名で有名な彦斎は幕末を象徴する典型的な暗殺者=人斬りである。この作品では新選組副長土方歳三の造形が秀逸。京の町で歳三と遭遇した彦斎は「この男、どこか俺と似ている」と直感。土方が象山の遺児・佐久間恪二郎を伴い、仇討ちの助っ人として、彦斎と対峙するシーンが印象的である。彦斎は「この先、二人とも長生きできないのはわかっている。ここでやり合わずとも、互いの死はすでに間近に迫っているのではないか」と剣をおさめてしまうのだ。土方は明治2年5月、箱館五稜郭で壮烈な戦死を遂げるが、彦斎は維新後も攘夷を強固に主張し続け、藩、政府より危険視され、突然逮捕され何の尋問もなく、明治4年12月4日、斬首されている。戦死、斬首と形こそ違うが、新しい世に生きる場がなかった二人の漢(おとこ)の運命が呼応している。
誉田龍一の「天が遣わせし男」は慶応3年(1867)11月15日夜、坂本龍馬を暗殺した京都見廻組の桂早之(かつらはやの)助(すけ)が主人公。京都所司代同心の家に生まれた早之助は京都見廻組与頭佐々木只三郎の部下となり、四条河原町の近江屋で暗殺剣を振るう。
この事件は謎多い事件で、薩摩陰謀説もある。龍馬は薩長連合を斡旋した倒幕運動最大の功労者だが、大政奉還後のこの時期、武力衝突の非を説き無血革命を目指す竜馬は、断固武力討伐すべしとする西郷にとってはもはや目障りな邪魔者でしかなく、西郷の指令によって暗殺されたとするものである。暗殺の下手人は見廻組であることは確かだが、黒幕がいたはずである。アジトが簡単に知れるはずはないからである。本作では「佐々木がどういう伝手で龍馬の居場所を知ったのかは分からない」としている。
秋山香乃の「裏切り者」は新選組隊士斎藤(さいとう)一(はじめ)と元新選組隊士藤堂(とうどう)平(へい)助(すけ)の友情を通して、龍馬暗殺の三日後の慶応3年(1867)11月18日の「油小路の変」を描いたもの。「油小路の変」とは新選組の土方歳三らは御陵衛士を拝命して新選組と袂を分かった伊東甲子太郎を暗殺した後、油小路七条の辻に伊東の遺骸を放置し、その周りに新選組隊士を伏せ、遺体を引き取りにきた藤堂平助ら御陵衛士の伊東一派をまとめて粛清しようとした事件である。
新選組が間諜として御陵衛士に潜り込ませていた斎藤一と賀陽宮(かやのみや)(中川宮とも。朝彦親王)の関係描写が出色。孝明天皇は毒殺されたのではないかと疑う賀陽宮が斎藤一と共に、真相究明のために孝明天皇の墓を暴くというストーリー展開の絶妙さにはうなされる。
神家正成の「明治の石」は明治維新史上最大の疑点のひとつである孝明天皇毒殺の謎に迫ったもの。慶応2年(1866)12月25日、突然急死した孝明天皇の死は病没説と毒殺説がある。なぜ毒殺されねばならなかったかの歴史的背景を考えた場合、公武合体論の強力な支持者で大の佐幕派であった孝明天皇が生きていたら、討幕の密勅はおそらく下らなかったであろうことは明々白々である。暗殺の黒幕として最有力容疑者は岩倉具視だが、討幕派の意向をうけた人物が毒殺に関与したのではないか。黒幕は証拠を完璧に隠滅したにちがいない。私自身は毒殺説に与したい。
本作では、「紺色のくたびれた官軍の服を着た若い男」が、岩倉具視、木戸孝允、アーネスト・サトウ、勝海舟、西郷隆盛、大久保利通らをおとない、先帝崩御の真相を問いただす。ミステリー的な謎解きとともに、「若い男」の正体ははたして誰かを楽しみながら、読まれたい。
幕末は意味深い。暗殺に限っても、船山馨『幕末の暗殺者』、司馬遼太郎『幕末』、海音寺潮五郎『幕末動乱の男たち』などの名作があるが、書き尽くされた感など微塵もない。新たなイフがもう一つの可能性を呼ぶ。歴史は一本道ではないのだ。幕末維新は私たち現代人にとって単なる歴史の一コマなどではなく、身近な先祖の血肉の結晶なのだと思い知らされた。
(平成29年2月6日 雨宮由希夫 記)