雨宮由希夫

書評『関八州御用狩り』

書名『関八州御用狩り』
著者 幡 大介
発売 光文社
発行年月日  2017年12月20日 
定価  ¥700E

 

関八州御用狩り (光文社時代小説文庫)

関八州御用狩り (光文社時代小説文庫)

 

 
 浅間山の大噴火、天明の大飢饉と続いた天災。維新まで80年を切った頃の関八州が舞台。
「上州一帯の農家では、女達が養蚕で年貢を納めるのだ。暇な男たちは何をしているのかといえば、昼日中から酒を飲んで、博打を打っている。遊ぶ金は女たちがいくらでも稼いでくれる。そういう土地柄なので、博徒の親分が大きな勢力を誇示している。江戸を追われた無宿人や凶状持ちが、庇護を求めて上州一円を流れ歩いていた。

 先ずは、いつもながらの幡(ばん)節(ふし)に魅せられ乗せられて、物語りの世界に引き込まれる。さながら、在りし日の関東平野の光景が眼前に広がってくるようだ。
 主人公は白光(しらみつ)新三郎(しんざぶろう)、24歳。直参旗本三百石、白光家の三男坊。片山伯耆(かたやまほうき)流、居合の剣の達人。剣の腕を活かし「追い首」という賞金稼ぎに身をやつしている。戦国時代、勝敗が決まり、敗れて逃げていく敵の首を取ることを「追い首」といったが、ここでいう「追い首」江戸町奉行の追捕が届かぬ場所、関八州へ逃げ込んだ悪党どもを捕まえて江戸に送り届ける裏稼業のことである。晴らせぬ恨みを金で貰って晴らす「必殺仕事人」のような暗さはないが、裏の世界に身を置く闇の稼業であることには変わりない。
 白光家の家禄は三百石だが、家計は決して楽ではない。家の付属物にすぎない弟新三郎は一家の当主たる長兄忠太郎31歳に逆らえず、長兄の出世に協力する。次男以下は平身低頭して生きなければならないのが江戸時代の社会なのだと作家はいうが、賞金稼ぎを汚らしい仕事だと兄嫁登代は蔑むばかりか、新三郎が命を張って稼いだ金をすべて巻き上げてしまう。新三郎がいかに無欲恬淡な男とはいえ、部屋住みの悲哀を噛み締めつつ生きる姿はあまりに哀れすぎる。

 勘定奉行所の役人の原口茂十郎が暗殺された。息子一人の跡継ぎ原口善八郎に敵討ちの命が下る。その息子に雇われるのが「追い首」新三郎たちである。
 新三郎は、本名を隠し無愛想で魁偉の浪人大黒(おおぐろ)主(もん)水(ど)、「追い首」の元締めに仕える「走り衆」の利(り)吉(きち)の、親しいというほどの間柄ではない仲間と手を組んで関八州を駆け巡る。
 茂十郎を殺したのはヤクザ者・洲崎ノ千(せん)次郎(じろう)。千次郎は下総(しもふさ)古河(こが)に潜伏。古河は譜代大名土井氏八万石の城下町。宇都宮へ至る日光街道の宿駅であり、利根川渡良瀬川の合流地でもある。関八州の陸運・水運の要である。
 古河で千次郎を匿うのは田丸屋幸左衛門。古河で幅を利かせる河岸問屋の顔役で、河川流通を牛耳っている。

 勘定奉行所の役人が惨殺された。これは幕府の体面にかかわる大事件で、本来なら、関八州取締出役や火付盗賊改方が総力を挙げて科人を追うはずであるが、千次郎は追捕を振り切って、江戸の外の古河でのうのうと暮らしている。
勘定奉行所の役人を殺した科人が、老中の領国(古河)にいるのに手が出せない。公儀の役人を派遣すると波風が立つので、裏稼業の追い首を雇って送り付ける。こんな政権があるのだろうか」と、ここでも幡節がうなる。
 やがて、新三郎は、千次郎は田丸屋に依頼されて茂十郎を殺したこと、原口善八郎には出生の秘密があったことを知り、ことは単なる仇討ちではなく、意外な方向に進んでいくことを読者は覚悟しなければならない。「めしあ」「お救い様」とされた善八郎はいつしかキリシタン一揆の首謀者に祭り上げられていき、また、田丸屋幸左衛門の正体が明らかにされていく。なんと、田丸屋の先祖は宇喜多(うきた)家中の武士で、家康の命令で河川改修に従事させられた……。

 徳川(とくがわ)家康(いえやす)は江戸開府とともに利根川水系の治水に着手し、洪水地帯を農耕地に変えようとした。かつて江戸湾に流れ込んでいた利根川の流れを銚子方面に瀬替えさせたことに象徴される、この河川の付け替え事業は世に「利根川の東遷、荒川の西遷」と称されている。
 この物語では、関八州の河川の瀬替え工事に従事し、天領の開墾を担ったのは関ヶ原の戦いと大坂の陣の敗戦で浪人となったキリシタン武士であるとする。
 隠れキリシタンの存在。北関東一円にキリシタン浪人をルーツとする農民たちが実在したことは史実であるらしい。「群馬は北関東で一番隠れキリシタンが多いところ」(田中澄江『群馬の隠れキリシタン上毛新聞社 1992刊)との指摘もある。

 天明3年(1783)の浅間山噴火は利根川の河床上昇は水害激化の要因となり、3年後の天明6年(1786)7月の江戸開府以来の大洪水だったという「天明の大洪水」を引き起こした。被害は利根川流域全体に及んだ。
 この物語は、利根川天明の大洪水の史実をも踏まえている。浅間山の噴火と天明の飢饉と洪水によって荒廃した人心こそが“事件”の根底にあることを明らかにしているのである。巧みな構想というべきである。
 何としてもキリシタン一揆を止めなければならないとする原口善八郎に対し、田丸屋は、「もはや失うものなど何もない」と突っぱね、更に語る。

「徳川は、江戸を水害から救うために、川の流れを東に返させた。その工事を担わせるため、我らキリシタンを西国から移り住ませて酷使したのです」
「我らは元々、歴とした武士!関ヶ原の戦いに敗れて浪人となり、徳川のキリシタン弾圧によって信仰まで奪われた。さらには関八州の工事に駆り出され、牛馬のように働かされたのです」
「我々を弾圧し続けた、にっくき徳川にすがって生きるなど……。それは生きながら地獄の業火にやかれるのと同じです」
 この世から根絶されたはずのキリシタンがわらわらと湧いてきて、奇妙な祈りを捧げているのを目撃して、「これが本当に日本国の光景か。否、これは悪夢に相違ない」と唖然とする新三郎。自らの出生の秘密の真実を伝えて誤解を解き、隠れキリシタンを正気に戻さねばならぬとする善八郎。手に汗握るその後の展開はこれから読まれる読者ために触れずにおく。

 かつて作家は、「江戸時代を通じて幕府は関東平野の巨大湿原を田畑に改良することに人力を費やしてきた」(『大富豪同心 闇奉行』双葉社 2017年7月刊)と述べたことがあったが、本書でも、「御用狩り」「追い首稼業」のストーリーの本筋とは一見無縁そうだが、江戸時代の天明期とはいかなる時代であったかをさらりと読み取らせるくだりがある。縦割り行政の弊害で凶悪犯の逮捕すらままならないこと、維新まで80年の政権の実態がそうであったことなど。それこそ、幡大介の江戸時代史観に基づく描写、したたかな構想力というべきか、これがまた絶妙なのである。
 痛快無比、軽快な魅力が堪能できるだけではない。書下ろし時代小説花盛りの今、幡大介のそれは奥深さが一味も二味も違うと改めて指摘したい。
 なお、本書は『風聲 関八州御用狩り』(ベスト時代文庫 2010年9月刊)を改題、加筆修正したものである。
                 (平成30年1月15日 雨宮由希夫 記)