書名『義経号、北溟を疾る』
著者 辻 真先
発売 徳間書店
発行年月日 2017年6月15日
定価 本体800円+税
開拓使時代に、明治天皇の北海道巡幸があった。この行幸は、明治5年(1872)に始まった「北海道経営10カ年計画」が明治15年(1882)で修了しようとしていたおり、その前に北海道開拓の状況を是非ご覧に入れたいという北海道大開拓使(開拓長官)黒田(くろだ)清隆(きよたか)の要請が実現し、北海道はじめてのお召し列車が走ったものであるが、本書はこの史実を踏まえた、謎解きあり、活劇ありの書下し長篇歴史冒険ミステリーである。
明治14年(1881)、舞台は札幌。その年7月には時計塔が改築され、取り付けられた自鳴鐘が農学校構内や市中の人々に”標準時”を知らせるようになったばかりである。開拓使時代末期のビックニュースといえば、幌内鉄道の開通である。北海道初の鉄道である幌内鉄道は手宮(てみや)~幌内間90キロの官営鉄道で、前年11月28日、手宮~札幌間が開業。札幌の軌条は北六条通りの路上に敷かれていて、汽車はまだ粗末な石置き屋根の連なりであった札幌の市街のど真ん中を走った。
物語は、明治14年(1881)のある日、かつての新撰組三番隊長・斎藤一(さいとうはじめ)、今は警視庁に奉職する藤田五郎が警視廳大警視川路利(とし)良(よし)より北海道大開拓使・黒田清隆にまつわるある探索を依頼されるところから、はじまる。藤田は、清水の次郎長の子分で侠客の法(ほう)印大五郎(いんだいごろう)とともに、札幌に向かう。
明治天皇が8月30日、アメリカから輸入された蒸気機関車・義経号が引くお召し列車に乗る予定だが、黒田清隆肝煎りのこの一大イベントを妨害しようとする者がいるという情報の真実を探ることが、藤田五郎と法印大五郎の渡道の目的である。
二人が目指したのは札幌西隣琴似(ことに)原野の屯田兵村。屯田兵制は明治7年(1874)、北方防備、開墾開拓と士族の救済を目的として設けられたもので、屯田兵の多くはかつての東北諸藩の武士たちであったが、旧幕時代、粋で鳴らした八丁堀同心も食えなくなった窮迫士族として屯田兵を志願し、ひとつの屯田兵村を形成していた。その屯田兵村で、元同心千代木市之進の愛妻信(のぶ)恵(え)が、黒田に犯された末、首吊り死体として発見されるという凄惨な事件が発生した。酒乱で好色の黒田は、明治11年(1878)3月28日夜、泥酔して東京麻布の自邸に帰宅した際、妻の清(せい)を切り殺す(蹴り殺すとも)惨劇を引き起こしているが、元八丁堀同心の妻の殺害はこの史実たるスキャンダルを踏まえて造形されたものである。それはともかく、お召し列車運行までの限られた時間内に、一介の剣士と侠客は、北海道の専制君主を相手に、どんな方法を取れば、真相を確かめることができるのか、読者の興味はここに集約される。
誰が無実の黒田を陥れようとし、列車妨害を画策しているのか、二人は先ずそれを探るのが、やがて、元八丁堀同心の妻の密室殺人事件はミステリーでいうところの「雪の密室」トリックであること、また、黒田に恨みを抱く同心たちの狙いはお召列車を破壊することではなく、8月30日に予定された札幌着を決定的に遅れさせ、日本の元首たる明治天皇が欧米列強の外交官を席巻する目的の豊平館での晩餐会を台無しにすることで黒田に赤恥をかかせ、その政治生命を絶つ事にあることが判明してくる。
主役、脇役を問わず、実在か架空かを問わず、登場人物の配置が絶妙である。 <明治もの>時代小説ではおなじみのキャラクターになった感のある斎藤一こと藤田五郎の存在感はこの物語の主役であるにふさわしい。もと新撰組探索方にして三番隊組長。警視庁抜刀隊として世に名高い田原坂の戦いを戦った。西南戦争は藤田にとって“朝敵”の汚名をそそぎ、会津戦争の借りを返せる千載一遇の好機だった。会津落城後、榎本武揚(えのもとたけあき)の艦船で蝦夷地に渡った土方(ひじかた)歳(とし)三(ぞう)と違って、斎藤が会津にとどまり、斗(と)南(なみ)では松の皮さえかじって生き延びたのは、斎藤がすでに会津藩に仕官し会津藩の諜報の一翼を担っていたからであるとする有力な説があるが、本書ではまさに間諜の玄人としての活躍が見どころとなっている。
黒田清隆は西郷隆盛、大久保利通亡き後の薩摩閥を背負う人物だが、1881年開拓使官有物払い下げ問題を大隈重信により非難され開拓長官を辞任する。本書では豪快で度量の大きな好漢で名実ともに北海道の専制君主として描かれている。
藤田の仇役でいわば容疑者となる四人の元八丁堀同心、義経号を動かす洋行帰りの御室兄弟、それにヒロイン二人、黒田に殺害されたと目される元同心の妻の妹・春乃と、土方歳三ゆかりのアイヌの美少女・メホロ。彼彼女らはいずれも架空の人物ながら、この物語のなかで実在の如く息づいている。
密室殺人の真相が明かされるシーンもさることながら、本作のクライマックスというべきお召し列車を巡る攻防戦の最終局面で、二人の戦士、町方同心捕物出役時の装束に身を包んだ元八丁堀同心の市之進と新撰組最強の剣客・藤田が、明治の「文明開化」という新しい時代の象徴とも言える鉄道を挟んで対峙する構図は圧巻である。ふたりの戦士がかつては共に幕臣であったことに思いを致すとき、読者はそこに歴史の非情、皮肉を感じるであろう。北辺の地ゆえにこそ幕末明治史の縮図がみてとれる。巧みな物語構想力というべきである。
作家の辻真先は1932年生まれ、名古屋市出身。日本のアニメ・特撮脚本家、推理冒険作家、漫画原作者、旅行評論家。1981年「アリスの国の殺人」で第35回日本推理作家協会賞受賞。2009年本格ミステリー大賞受賞。TV創生期から数々の名作を送り出してきた脚本家であるとともに、ミステリーを中心に活躍してきた小説家でもある。
(平成29年7月22日 雨宮由希夫 記)