雨宮由希夫

書評『大富豪同心 闇の奉行』

書名『大富豪同心 闇の奉行』
著者 幡 大介
発売 双葉社
発行年月日  2017年7月16日 
定価  ¥611E

 

闇の奉行-大富豪同心(22) (双葉文庫)

闇の奉行-大富豪同心(22) (双葉文庫)

 

 


 八巻卯之吉の祖父・三国屋徳右衛門は江戸一番の札差、両替商で、しかも日本一の悪徳高利貸しで、筆頭老中の本多出雲守とは持ちつ持たれる関係、昵懇の豪商である。孫可愛さのあまりに三国屋は出雲守に賂を握らせて卯之吉を同心にしてしまう常識はずれでもある。「捕物もの」時代小説の主人公として、卯之吉ほど不可思議なキャラクターはないであろう。
 卯之吉は時代小説にしばしば登場するヒーロー的な同心でもなければ、自らの意志と正義を敢然と貫く同心でもない。世評では「南町の辣腕同心」の卯之吉だが、三国屋の放蕩息子が放蕩遊びの延長で南町の同心を努めているにすぎない。にもかかわらず、いつもの勘違いが発生して、難事件を解決し(難事件が解決され)てしまう。シリーズ累計63万部を突破したとのことだが、読者はそこがたまらなく面白いのだろう。

「大富豪同心」シリーズは2010年1月にスタートした。第一巻の冒頭で「時は安永、十代将軍家治の御世。梅雨明け間近、江戸は日本橋室町を24歳の卯之吉が歩いている」。240年前の日本橋界隈を、梅雨明け間近の鬱陶しい湿気と暑さの中を卯之吉が町娘に流し目を配りながらしゃなりしゃなりと歩いていると思うと、ひとりでに可笑しさがこみあげてくる。
 2カ月連続刊行の凄さ。先月刊行の『お犬大明神』に続く第22弾となる本書では、どのような活躍(勘違い)をみせてくれるのであろうか。
 主人公の不可思議なキャラクターに加え、幕閣の熾烈な権力闘争がからんでくるところが本シリーズの骨格である。安永年間といえば歴史小説では田沼意次が権勢を極める世界だが、時代小説の本書では筆頭老中・本多出雲守VS若年寄・酒井信濃守の暗闘が造形される。酒井一派は卯之吉を老中本多の懐刀にして隠密廻同心とみなしているところから大いなる誤解が生じ、現実との齟齬を来たしていくのだが、そこに至る展開が絶妙なのである。

 今回は若年寄・酒井信濃守の輩下で北町奉行に就任したばかりの上郷備前守南町奉行所の筆頭同心の村田銕(てつ)三郎(さぶろう)を罠に嵌めようと企む。南町の筆頭同心が不始末をしでかしたとなれば、南町の面目は失墜する。町奉行は南北とも老中支配である。町奉行の不始末は老中本多出雲守の責任となる。出雲守を筆頭老中の座から引きずり下ろし、若年寄・酒井信濃守が取って代わるという構図で、その背景には大阪商人と江戸商人の利権の対立があるという構造を描いている。上郷備前守の指揮の下、村田を罠に嵌めようと実際のお膳立てを立てるのは、江戸の悪党を仕切る新富町の元締こと轡屋(くつわや)庄五郎、前(さき)の大坂(おおさか)町奉行であった上郷備前守とは旧知で大坂は高麗橋の商人・龍(りゅう)涎堂(ぜんどう)治(じ)右( )衛門(えもん)、上郷の家士で、北町奉行所の内与力に就任した生駒十郎(じゅうろう)兵衛(べえ)の三人。彼らはともに我が殿上郷を助け、酒井信濃守の御出世を願っている者同士。これにお節(せつ)という名の女軽業師が加わる。彼女は 辰巳芸者の豆吉という二つ名を持った女(め)狐(ぎつね)で、村田を手練手管の色仕掛けで篭絡することになっている。


 事件は本所(ほんじょ)、中之郷(なかのごう)の料理茶屋の天竺楼(てんじくろう)で起きる。真面目で切れ者の同心村田は酒に酔って、刀を振り回し、こともあろうに酌婦を斬り捨てるという〝人殺し〟にされるのだ。陰謀は南町奉行を罷免に追い込むためのものであるから、何が何でも村田を下手人に仕立てなければならないと、陰謀そのものは上首尾に進む。〝村田しか下手人たり得る人物はいない〟と証明するための仕掛けが二重、三重に謀りめぐらされたのだ。
 かくして、「天竺楼での芸者殺し」の勃発である。女軽業師を捕まえて悪事を白状させないと、南町の村田銕(てつ)三郎(さぶろう)が死罪になる。
 卯之吉の周囲は皆一風変わった者ばかりだが、腐れ縁の代表的登場人物は江戸の侠客で暗黒街の顔役・荒海ノ三右衛門である。卯之吉があげた手柄の数々は江戸一番の武闘派との悪名も高い荒海一家の働きがあってこそなのである。「旅芸人は侠客の手を借りなくちゃ旅ができねぇ」と知る三右衛門はただちに街道筋の兄弟分に回状(かいじょう)を出す。

 板橋、蕨、浦和と中山道脇街道を逃げるお節。お節を大宮(おおみや)宿の氷川(ひかわ)神社の手前で待ち構える荒海一家……。
 果たして卯之吉は村田を罠に嵌めた企てを看破し、同僚にして先輩同心の村田の冤罪を晴らすことができるのか……。
 手に汗握るその後の展開は触れずにおくのがこれから読まれる読者への礼儀であろう。今回も、辣腕同心、人斬り同心の虚飾がはがれて、放蕩者卯之吉の本性を見抜かれることなく、事件はひとまず「解決」するのだが、上郷備前守ら悪の張本人たちは「致命傷」を与えられていない。ここにシリーズたるゆえんがある。悪も次巻に引き継がれるのである。

 謎解きとは全く無縁だが、以下のように、江戸時代とはいかなる時代であったかをさらりと語られる下りがある。これがまた絶妙である。
徳川幕府は、商業を蔑視する儒教に心を囚われていたため、国家の金融を商人に丸投げにした。その結果、商人だけが栄えて、武士が困窮する社会を招いてしまった。」
「江戸時代を通じて幕府は関東平野の巨大湿原を田畑に改良することに人力を費やしてきた。」

 抱腹絶倒、軽快な魅力が堪能できるだけではない。書下ろし時代小説花盛りの今、幡大介のそれは奥深さが一味も二味も違う。
 
         (平成29年7月15日 雨宮由希夫 記)