書 名 『近代科学の先駆者たち』
著 者 金子和夫
発行所 ごま書房新社
発行年月日 2016年1月4日
定 価 ¥1300E
日本は今、社会のあらゆる分野でほころびを呈し、世界の中での日本の存在価値が問われる局面が増えている、というのが著者の現状認識である。そこで、昨今、私たちに問われているのは、「日本という国のあり方に関する最善の解答をいかに見出すことではないか」と著者は自問し、「明治維新前後の日本人は、近代国家建設のために壮大な“志”を抱き、世界を瞠目させる発展を成し遂げた。日本人の心のあり様を問い直すとき、その原点になるべきものは“志”ではないか」と自答している。
昭和10年(1935) 長野県松代に生まれ、中央大学工学部卒、同大学院修士課程修了。戦後70年の昨年に80歳を迎えるも、いまだ現役のテクノロジストを自任する著者の金子和夫は、「幕末から明治初期に活躍した日本の近代科学の先駆者たちが抱いていた“志”とその業績に光をあてることで何かが見えてくるのではないか」と観る。
本書は以下の4部構成である。
第一部 真田家と象山ゆかりの“開明の地・松代”
第二部 近代科学の揺籃・富岡製糸場
第三部 鉄は国家なり
第四部 エレクトロニクスの曙
「日本の近代科学の先駆者たち」として、佐久間象山、尾高惇忠、渋沢栄一、江川英龍、小栗忠順、大島高任、田中久重、志田林三郎の8人の人物がとりあげられている。19世紀後半の幕末明治期における、最大の国家的課題は何であったのか、と問われれば、それは、迫り来る欧米列強の圧力という国際環境のもと、いかにしたら日本の独立を維持できるのかであった。彼らは時代といかに対峙したか。
先ず採り上げられるのは「私のふるさと松代の偉人」佐久間象山。一般的には「しょうざん」だが、長野県人は「ぞうざん」と呼ぶとして全編「ぞうざん」で通している。松代藩藩士で、第8代藩主真田幸貫(さなだゆきつら)に見いだされ、独自の公武合体論と開国進取論の立場から、尊王攘夷をとなえる諸藩に対しても、開国の重要性を説いて回り、暗殺された幕末の思想家。「東洋道徳、西洋芸術(技術)」との有名な言葉を残している。
江川英龍(えがわひでたつ) 太郎左衛門は通称。幕府の伊豆韮山の世襲代官、砲術家で、海外事情や防衛問題に深い洞察力を持っていた。韮山の反射炉の建造に着手、品川台場の築造責任者でもあり、海防と工業の先駆者であった。
小栗忠順(おぐりただまさ)は幕末の混乱の中、卓越した先見性で日本の近代化を見据えていた勘定奉行であり、非業の最期を遂げた。大隈重信は「明治の近代化はほとんど小栗上野介の構想の模倣に過ぎない」と語っているが、本書の著者も、「のちに明治新政府が富岡製糸場をはじめとする官営模範工場を設立した際のレールは、すでに幕末に小栗上野介が敷いていた。彼の存在なくして日本の近代化は成し得なかった」との評価を下している。
横須賀製鉄所は小栗の建議によりフランスと提携して建設が開始されたもので、幕府崩壊とともに明治政府がその事業を我が物顔で引き継ぎ、明治4年(1871)に第一ドックが完成するや横須賀造船所と改称している。富岡製糸場は近代化を急ぐべく殖産興業の模範工場として建設されることになる製糸場だが、その主要建造物群は横須賀製鉄所の設計者であったフランス人技師エドモン・オーギュスト・バスチャンによって設計され、フランスの技術が導入された。
〈余談ながら。2015年、世界遺産として「明治日本の産業革命遺産」の登録が決定した。「萩城下町」や「松下村塾」が何故「産業革命遺産」なのか。登録されて然るべき「横須賀造船所」がはずされているのは理解に苦しむ〉
我が国の近代化の過程を振り返ると、アジアで唯一、短期間で国際社会に列した明治近代国家を創った日本はなぜその後、軍国主義の方向へと進み、昭和20年8月の敗戦という高い代償を払うことになるのか、との名状しがたい事実につきあたる。逃れ得ぬこの問題に著者はいかに立ち向かっているか。
「資本主義の父」といわれる明治大正期の実業界における最大の指導者、渋沢栄一(しぶさわえいいち)に、「富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ」(『論語と算盤』)という言葉がある。この言葉を引いて、著者は、「この言葉には、戦争という道義に反する行為によって富を得たとしても、束の間の満足にしか過ぎず、本当の意味での国家の、国民の幸福に結びつくものではない、との渋沢の悲痛な叫びが込められているようである」とし、「そもそも、明治政府が富国と強兵を一体化したスローガンにしたことに、日本の近代化が内包した政治的ジレンマがあったのではないか」と分析している。
明治政府による日本の近代国家の形成と確立は、当時の世界の中では後発の「上からの」急速な近代化だった。そこでは、国民の人権よりも国家が優先された。それゆえに、そこにひずみが生まれ、このひずみは、中国大陸への軍事力発動へと連なったと評者(わたし)は観ている。がそれは一応置くとして、著者が、また、「富国か、強兵か……渋沢栄一の問いかけは、日本を含めて現代の世界各国に向けられているかのように、私には思われてならない」と吐露しているに着目しなければならない。軍拡路線を驀進する現代の中国がまさしく明治日本の歩んだ道をなぞり、「人民中国」から「中華帝国」へと変貌していく現実をまざまざと目の当たりにしているからである。
それにしても、ひととひとのめぐり合いの何と玄妙なことか。
小栗上野が幕閣にいたころの部下の一人が、渋沢栄一であった。その渋沢は殖産興業政策を展開して日本資本主義の基盤形成に寄与した大隈重信のヘッドハンティングによって、明治政府に出仕している。官営富岡製糸場の初代所長である尾高惇忠(おだかじんちゅう)は渋沢の漢学の師であり義兄にあたる……。
人生において“出会い”がいかに大事か。「人生の上で“運命的出会い”から“使命”を見出し燃え尽きることができるかどうかひとえに自らの判断や生き方で決まってしまう。チャレンジ精神を持て、一歩踏み出す本気を」と著者は熱く語る。
「近代への幕を開いたターニングポイントが、明治維新」と、 著者は明治維新を高く評価しているが、一方で、「江戸時代の藩校、私塾、寺子屋における“裾野教育”で長年培ってきたものが明治維新の土壌となった」との目配りも忘れていない。
著者の視点は新鮮で生彩に富み光彩を放ち、時に現役のテクノロジストとしてのエスプリがあふれ出る。
日本の近代を考えるときに、「明治」ではなく、「幕末明治」として、幕末と明治を断続ではなく継続したものとして見て、そこから日本の近代を考察している。著者の史眼は「勝てば官軍」式の薩長に張り付いた維新史観とは無縁である。江川英龍、小栗忠順、佐久間象山、渋沢栄一はもちろんのこと、「からくり儀右衛門」の異名で名高い東芝の創業者で、幕末明治期の科学技術者、発明家・田中久重(たなかひさしげ)、日本の電信電話事業に大きく貢献した電気工学者・志田林三郎(しだりんざぶろう)まで、「世界に伍する知見を持った先人」8人が(それに作家・夏目漱石をも含めて)皆、旧幕府側の人物を採り上げていることからも、そう言えるであろう。
若い人、特に20代、30代の世代の方々に読んでもらいたいとして、自らの人生訓を交えつつ思いのたけを書き綴ったものが本書である。
最後にひとこと、著者のメッセージを。
「アジアでは先んじて短期日の間に近代国家を創り上げ、現在の日本があることを忘れてはならない。だからこそ、今に生き未来に生きる人々は、日本が前途を誤らないように心してほしい」
(平成28年2月18日 雨宮由希夫 記)