雨宮由希夫

書評『悪の皇帝論』

 

悪の中国皇帝論 -覇権を求める暴虐の民族DNA-

悪の中国皇帝論 -覇権を求める暴虐の民族DNA-

 
 

書名『悪の中国皇帝論』
著者 塚本靑史
発売 ビジネス社
発行年月日  2016年1月1日
定価  ¥1800E

『霍去病』(河出書房新社 、1996年刊)でデビュー以来20年、『呂后』、『一諾』、『三国志曹操伝』、『項羽』、『煬帝』、『サテライト三国志』など中国史をテーマにした歴史小説を発表してきた作家塚本靑史は中国歴史エッセイともいうべき最新作の本書で、中国の政治体制の本質に迫っている。

 「遠い昔、我々日本人の祖先はかの国から紙の製法を学び、文字を教えてもらい、さらにその文化を取り入れ、平城京平安京を建設した。ゆえに、我々は中国の古典に対し、一定の尊敬の念をもって接している。当時の中国は紛れもなく、世界に冠たる一等先進国であった。東アジアの誇りでもあった」
 と作家は語りだす。では、「今の中国」を作家はどう観ているのか。
  
「『論語』の精神を実践しようなどという中国人は、現代ではほとんどいないようだ。無論、それを非難するつもりはない。そこには、それぞれの事情を背負ったお国柄というものがあるであろうから」
 と慎重な想いもみてとれるが、

国際法の概念すらも理解できず、軍事拡張と拝金主義の横行した危険な国にしか見えない。それはかつての大いなる文化先進国とは程遠い、モラルハザードを来したイメージが強い」
と一刀両断している。
中国は「一言で正体を述べることができるような簡単な国でもない」としたうえで、「それを解明するため、歴史的な角度から検討を加えてみたのが、この一冊である。そう思って読んでいただけることを期待したい」という。
本書の目次は以下のとおりである。
第1章 酒池肉林/第2章 不老不死/第3章 人肉食/第4章 頽廃/第5章 暗愚/第6章 廃位/第7章 美男/第8章 悪妻型皇后/第9章 良妻型皇后/第10章 名医/第11章 直情径行/第12章 世界を手中に/第13章 聖人君子/第14章 愛欲背徳/第15章 無勢が多勢を/第16章 毛沢東習近平
登場する人物は神話・伝説の時代の夏の桀王から現代の習近平までの皇帝・最高権力者、皇后、佞臣、思想家、医者など「中国史をアトランダムに、さまざまな主題から、それにそぐう人物」が選び出されている。
先ず、第1章では、悪の権化とされた殷の紂王の「酒池肉林」の故事から、中国史の負の法則であり宿痾である歴史の改竄の事実が明快に語られる。

「中国の歴代国家は、すべて前の朝廷を否定することで、自己政権の正統性をありったけアピールする。もっとも卑近な例が現在の中国共産党で、彼らは大陸へ侵攻した日本軍を追い出した実績を強調して、全土の統治権を主張している。だが、実際に日本軍を撃退した時の主力は蒋介石の国民党軍で、現在の共産党八路軍として末端の組織であったに過ぎない」
文化大革命天安門事件も、中国共産党は自国民に真相を明らかにしていないルまた、ネット上の表記も削除して、見られないようにしている。それは、政権にとって不都合なことだらけだからだ。それゆえ、歴史と言えば日本軍侵略に特化して、話を擦り替えてしまう。だが、反日教育で自国の恥部を隠蔽するのは筋違いだ」

 1989年6月の天安門事件では中国政府は民主化を求める自国の若者に銃口を向け、戦車で押しつぶした。日本人の「親中」が「嫌中」にかわった契機の一つは天安門事件である。愛国主義教育はすなわち反日教育であり中国の国防政策の一環として重要な主柱である。彼らは未来永劫日本を非難し続けなければ、自らの存在理由を喪う存在なのである。

「人として当然の権利が保障されないなら、政府の精神年齢は近代以前である」

 と作家は切れ味鋭く中国の抱える問題の本質に迫っている。中国史とは中華帝国の統一と分裂の歴史であり、民なき王朝の歴史であったことを熟知している作家は個人の幸せより国家の強さを重んじる習近平体制の未来を看破しているのである。
 それにしても、お隣の中国とはいったいどのような国であり民族なのか。
 作家の「漢民族」「中国人」観はユニークである。

 「大半を占める漢民族自体、古代の漢民族とは違うという。後漢が滅んだ時点で多くの漢民族が滅び(人口6千万人が10分の⒈以下の5百万人程度に減少したという)、さらに北朝の隋が南朝の陳を滅ぼした段階で、漢人は事実上消滅したというべきなのだ。(註:220年 曹丕後漢を滅ぼし、魏を建国。589年 隋、陳を滅ぼし天下統一。)」
「もっとも、古代の中国人(漢人)と今の中国人には精神文化に大きな隔たりがあることも事実だ。それは北方の遊牧騎馬民族との交戦が大きく影響しているからだ。それはよくも悪しくも、島国で単独の歴史を育んできた日本とは大いに違おう」

 加えるに、最近、彼らは「中華民族」なる言葉を使う。「中華民族の偉大な復興」の如く。
 現代の中華帝国たる中華人民共和国ではいつの間にか、94パーセントの漢民族と、6パーセントの少数民族を総称した「中華民族」という新概念が提出されたが、この「中華民族」には歴史的実態がなく、政治的に編み出されたフィクションにすぎないことは明らかである。すなわち、中華人民共和国では、漢民族が領域内の様々な民族を支配、同化するという中華帝国の構造を温存している。
 対中感情が今やひどく悪化している。
 領土を侵犯する「脅威」か、爆買いする「成金」か。
 日本人にとって中国とはその行動を腹ただしく感じながらも、関係を断ち切ることのできないきわめて重要な隣国である。
 膨張する中国は今後、世界の中でどのような地位を占め、どのような存在になっていくのか。
 アジアに対するヨーロッパの軍事的、経済的な圧倒的優位はたかだか19世紀以降に確立されたにすぎないが、作家は中国の世界制覇の可能性については、
「中国人が世界中を軍事的にも文化的にも、支配できた可能性が歴史上何度かあった」と指摘している。
 では、中国は日本をいかに位置付けているのか。
 現在、中国は欧米とは対決せず衝突せずの方針をとっている。一方、日本については対米従属以外の選択肢を持たない日本外交の限界を嘲笑い、歯牙にもかけていない。中国が、日本の国連常任理事国入りなど賛成するはずもない。

「基本的に中国人は、強い人間には頭を下げる。それが古代から極限状態を生き抜いてきた中国人の常識である」

 中国の世界戦略の中で、対日本外交の位置づけはとうてい「善隣」ではないが、作家は次のように言っている。

「両国の友好は、気持ち一つで成り立つと思うが、それは何かを水に流してはじまるだろう」

 中国史を踏まえて今の中国を捉え、日本人のすべきこと、考えるべきことを深い洞察力で説いている。中国の歴史・文化に対する作家塚本靑史の造詣の深さと、中国人の深層心理に対する鋭い分析が溢れている本書からの知見が様々な意味で有意義であることは間違いない。時宜を得た一冊である。

平成28年2月8日 雨宮由希夫 記)