書名『靑一髪 現代小論集』
著者 塚本靑史
発売 ながらみ書房
発行年月日 2015年5月31日
定価 ¥2500E
『霍去病』、『白起』、『一諾 季布游侠伝』、『三国志曹操伝』、『煬帝』など中国の古代から中世を舞台背景とした数多くの中国歴史小説の名作を著した歴史小説家が現代日本の日常を綴ったエッセイ集である。
「靑一髪」とは「靑山一髪」とも表記され、大海原の水平線に一本の髪を引いたようにうっすらと表れ出た陸地を意味する。
「後記」によると、このエッセイ集は、月刊『短歌往来』2006年1月号から2014年12月号までの丸9年間、108回の長きにわたって連載されたものである。掲載時の日付がないのは、時事的な話題は時の移ろいとともに、色あせていくとの判断で、本文を一般論として書き直されたからである。
本文は雑誌発表順に並べられているが、見開きで一話一話を終わらせるため、雑誌連載時の原稿に加筆(と削除)訂正を施したとのことである。
巻頭の一文は、「松本清張作品には『黒』の一群がある」ではじまる。清張の作品世界は膨大で多彩だが、時代を生きた人間のあり様を描いた歴史小説の傑作もある。「松本」と「塚本」、「清張」と「靑史」に宿縁のようなものを感じられて興味深い。「清張」も「靑史」も筆名ではなくともに実名なのである。もっとも「清張」の読みは「きよはる」であるが。
本能寺の変が語られ、布施明の『シクラメンのかほり』、秋川雅史の『千の風になって』、テレサ・テンの『つぐない』、『愛人』が話題になっている。
太公望、完璧、夏炉冬扇、破天荒、推敲、靑山などなど故事の由来と現代の出来事への照応は作家の本領である。
マスコミの横並び現象やお役所仕事の弊害など同じテーマが繰り返し取り上げられているところもある。「私が重ねて書くのはそのことが一向に解決されないから。私の喉の支えが未だに降りない苛立ちからだ」とある。とりわけ、開票率1%で「当選確実」を伝える選挙速報には何度も不快感をあらわにしている。
東日本大震災の被災地や住民を愚弄する官僚どもへの怒りはすさまじい。官僚組織の肥大化をゴキブリの増殖に譬え、「原子力関連の組織の、あまりの多さに呆れると共に、それだけの組織がありながら、原子力発電所を熟知したものが誰一人としていない」と一刀両断に斬り捨てている。
現代中国事情への言及も鋭い。中国が韓国と手を組んで「共通の歴史認識を持て」と日本に言ってくることに対しては、「笑止千万だ。共通の歴史認識を持つ必要もない。彼らは未来永劫日本を非難しなければ、自らの存在理由を喪う」と“人民中国”誕生にまつわる共産主義の負の遺産をつぶさに暴いて余すところがない。
地名改悪については、さすがに文学者らしく言葉へのこだわりが濃密で、「生活圏は歴史と住民の愛着があって初めて成り立つ。旧字(あざな)名を活かす方向で地名を考えてほしい」と行政に苦言を呈している。
思えば、これまで『塚本靑史エッセイ集』がなかったことに、はたと気づいた。
新しい塚本靑史の発見である。中国歴史小説の傑作ばかりを耽読していたファンにはこたえられない一冊となろう。
落語への造詣の深さ。「初天神」にみる関西弁の洒脱さには魅了される。
スポーツの話題が豊富。特に野球。ストーブリーグ、ハイタッチ、侍ジャパン、三塁打、背番号42番、ビデオ判定などなど。WBCにおける「侍ジャパン」の活躍を、日本人のノーベル賞受賞と同じ目線に置き、「海外に追いつけ追い越せの近代日本史上の快挙である」と断じていることには思わず拍手喝采したものだ。
戦後のベビーブームといわれる時代に生を受けた靑史は自らの半生を、「常に『人口過剰』と言われ、受験も就職も、その後の地位も『狭き門』で片づけられ、多いがゆえに『団塊の世代』と揶揄されつづけている」と振り返っている。昭和30年前後の「戦後」の記憶、カラオケが出始めた70年代中頃の記憶が語られる。
靑史は昭和24年の4月、岡山県倉敷市に生まれ、幼少年期を大阪府で過ごしている。父は「日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも」の歌人の塚本邦雄である。父邦雄は“終戦”を決して「終戦」とは言わず「敗戦」といった歌人である(塚本靑史著『わが父 塚本邦雄』白水社 2014年刊)。
印刷会社に四半世紀勤務していたがその退職は父邦雄の介護が迫りつつあったが故であると私ははじめて知った。「父は徴用された呉(くれ)の軍港で、広島に投下された原爆の茸雲を仰ぎ見た」と父邦雄を語るシーンもさりげないが読みどころである。
靖国参拝について、「靖国へ御霊を安んずることは、本人にも遺族にも強い矜持の念があったろう。その気持を戦後教育の洗礼を受けた我らも判らねば、靖国問題は理解できまい」とある。同感である。第二次世界大戦に巻き込まれていった世代である父たちの世代と我々団塊の世代との間合いに無理がないのである。
この『靑一髪』を読むと、塚本作品の人気の秘密がよくわかる。なぜ、登場人物たる中国古代の人々があれほど生き生きとしていて魅力的なのか、その訳がわかる。
塚本靑史はかつて、中国歴史小説を著すにあたり、自らを司馬遷に託して、「歴史を、歴史を作るのが、人間ならば人間を中心に据えた記述をしたい」(『張騫』「殺靑」の編)と語ったことがある。
歴史小説とは、過ぎ去った過去のある時代を限定し、ただ単に史実を忠実に再現して書かれれば事足りというものではない。背景となるその時代と社会の枠組みをとらえ、その時代に生きた人間のあり様を問うて、その時代と人間の姿がおのずとたち現れねば歴史小説とは言えない。塚本靑史はそうした歴史小説が書ける希少な作家であり、作家は今を生きる現代人であるがゆえに、当然ながら、描かれた作品には人間を介して、描こうとした時代(過去)と現代の照応がある。
時代感覚など己の内面を、現代を見つめ人間を見つめるエッセイという形にしてあらわされた本書から、作家塚本靑史の素顔が垣間見え、また作家自身の想いが如実に伝わる。
(平成27年6月27日 雨宮由希夫 記)
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