雨宮由希夫

書評『鬼船の城塞』

 書評『鬼船の城塞』

鬼船の城塞

鬼船の城塞

 

書名『鬼船の城塞』 
著者 鳴神響一
発売 角川春樹事務所  
2015年6月8日発行  
¥1600E

 

 16世紀末から17世紀初頭の数十年間に、マニラ、アユタヤ、安平(台湾)など東南アジア群島部の各地に日本人の集落である「日本人町」が形成された。一方、日本本土では宣教師への激しい迫害が始まり、寛永元年(1624) 日本は一方的にエスパニアとの国交を断絶。マニラと日本の関係も消滅した。さらに、寛永16年(1639)鎖国令が施行され、ポルトガル船の来航が禁止され、鎖国が完成。これにより日本人町は17世紀の末には姿を消した。日本人の大航海時代ともいうべき一時代は終わりを告げたが、しかし、エスパニア(スペイン)、ポルトガル、イギリスなどの西欧諸国が日本貿易再開の志を放棄したわけではなく、しばしば日本近海に来航したことは歴史の真実である。
 本書は鎖国時代の対外交渉の一角に光を当てた歴史小説である。


 8代将軍吉宗の治世下、寛保元(1741)年。主人公は鉄砲玉薬奉行・鏑木信之介。焔硝探索の台命を受け、信之介は公儀薬園便船・千歳丸に乗って、伊豆諸島を航行中に、神津島の沖合で突如として現れた「鬼船」に襲撃され、千歳丸は沈められてしまう。
 阿蘭党を名乗る彼らは北条水軍の残党で、小笠原諸島の館島を根拠とする海賊であった。乗組員は皆殺しにされるが阿蘭党に剣の腕を認められた信之介だけは、心ならずも一命を救われ捕虜として館島に連行される。
大浜朴(おおはまぼう)や無人躑躅(むにんのつつじ)が咲き誇る館島は絶海の孤島だが、入り江には石を積んで湊が設けられ、枇榔の皮で屋根を葺いた家々が建ち並んでいる。櫛巻の髪姿の島の女が躍動的で、多くの人々が平和に、豊かに暮らしている、江戸では誰も知らず想像すらできない異国情緒豊かな別天地であった。
「自分たちの存在を知った者は生きて帰さぬ」それが阿蘭党の掟で、それこそが長く館島の平和を守ってきたものと知るに至る信之介だが、乗組員を助けられなかった悔しさを断ち切れず、阿蘭党への敵意を抱き続けて、島暮らしに甘んじている。
 鎌倉期の梶原景時の末裔で阿蘭党の首領である梶原備前守備前守の長子梶原兵庫、備前守の娘で兵庫の妹伊世ら梶原一族と阿蘭党の幹部らとの交流を通じ、信之介は彼らが単なる海賊ではなく、海を舞台に敢然と生きる冒険者であり、江戸で見慣れた当世の武士とは違う実戦集団であることを知り、次第に彼らに心惹かれていく。このあたりの信之介の心理的屈折の描写は微妙なものがあるが、作家はまだ信之介を阿蘭党に「同化」させていない。
 情況が一変するのは、ある日突如としてエスパニア(スペイン)の軍艦が島に近づき、館島始まって以来の危難が到来した時である。降伏するか、力を尽くして戦うか、2つに1つの選択を迫られた信之介は阿蘭党と共に立ち向かっていく道を選ぶ。


 ここに、エスパニア国の通詞と名乗る謎の武士・久道主馬が登場する。故国を裏切り、エスパニアの隷下、走狗として働くだけの男なのかと思われたが、  「今こそわが主君が政権を樹立して、エスパーニャ王国と友好関係を築くべき時」と主馬が発言するに及び、主馬は尾張藩士で、「わが主君」とは徳川宗春であると知れる。元文4年(1739)正月、宗春は尾張徳川家当主の座を追われ、今は麹町の尾張藩中屋敷に蟄居中だが、前中納言宗春の再起を命をかけて願う一派が名古屋にあり、エスパニアに与せんとする危うい賭けに出たのだ。
 様々な仕掛けが張り巡らされており、目が離せられない。手に汗握るとはこのことであろう。
 日本とスペイン海軍との死闘が繰り広げられる。
 「伊世を嫁に迎えて兵庫をたすけよ。わしの屍を越えて行け」と信之介に告げ死にゆく備前守。人質となった伊世姫の奪回作戦、海戦シーンの描写は臨場感あふれ迫力満点。館島がエスパニアの手に堕ちるのが不可避となったと覚悟するとき、地平線のかなたに姿を見せるイギリス海軍のリアリティには、はたして江戸中期の日本近海でこのような史実が本当にあったものかと、思わず関連の史書を漁ろうかと思ったほどである。


 鳴神響一(なるかみきょういち)は1962年東京都生まれ。デビュー作の前作『私が愛したサムライの娘』(2014年10月8日刊。第6回角川春樹小説賞受賞作)は8代将軍徳川吉宗治世下の長崎を舞台とした日本とイスパニアの諜報員同士のラブストーリーで、鎖国下における日本とスペインの交渉に着眼した傑作である。
 今回の作品『鬼船の城塞』は、前作『私が愛したサムライの娘』より舞台背景としての時代はやや下がるが、背景に吉宗と宗春の対立があり、前作の広い意味での続編ともいえる。
 作家による独自の宗春像は鮮烈である。前作でも、宗春は吉宗の時代に政権転覆を狙った尾張藩主として、吉宗は海外侵攻の意図を抱く将軍として描かれているが、本作で作家は、3代将軍家光に呂宋侵攻の野望があり、吉宗にも呂宋攻めの意図があるとしている。
事実のあるものに虚構の補助線を加えることで、事実関係をさらに大きな実り豊かなものにし、極限でありえた姿を描く手法は歴史小説を書く際の有力な手法である。
 作家はスペイン史にも造詣深く、グローバルな発想で、江戸中期の対外交渉史のありえた姿をものの見事に照らし出している。前作『私が愛したサムライの娘』を読んで、私は大型新人の登場に拍手喝采したものだが、本作に接して、歴史時代小説の世界に新星現るの感を禁じ得ない。


 本書はありきたりなエンターテーンメント冒険小説などではない。
 歴史時代小説には<海洋もの>歴史小説と呼称すべきジャンルがある。遣唐使にはじまり、倭寇山田長政、呂宋助左衛門、鄭成功、幕末の高田屋嘉兵衛、 漂流民などを史材とするもので、井伏鱒二井上靖遠藤周作陳舜臣白石一郎吉村昭、岩下壽之の作品があるが、鳴神響一はその系譜に位置づけされる。
 (平成27年7月9日  雨宮由希夫 記) 

 

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鬼船の城塞 – 株式会社 角川春樹事務所