ひねもすのたり新刊書評 2020年八月号
新型コロナウイルスの脅威の中で、もともと羅針盤を持てない政治は、右往左往し、経済は深刻な打撃を受けつつある。人間が営々と築き上げてきたものの脆弱さが際立つばかりの今日この頃である。それでもすごいと思うのは、時代小説の新刊はコロナを忘れさせてくれる面白さに溢れていたと言う事である。
先陣を切って紹介しておきたいのは、2020年「小説 野生時代 新人賞」を受賞した蝉谷めぐみ『化け物心中』(野生時代八月号掲載)。恐るべき才能を秘めた新人が登場してきた。三人の選考委員がこぞって評価したのは<個性> であった。つまり、作者にしか書けない世界が描かれていると言う事である。
時は文政、所は江戸、鳥屋を営んでいる藤九郎が元立女形の魚之助に呼び出され、中村屋をまとめている座元の所に向かう。二人は「鬼探し」という奇妙な依頼を受ける。これが物語の発端である。新作台本の前読みをしていた役者六人が車座で前読みをしていた時に、輪の真ん中に誰かの頭が転げ落ちてきた。ところが役者は六人のままである。この謎を解いて犯人を探し出せというのが依頼の内容だ。オドロオドロシイ出だしで掴みはばっちりである。
作者の非凡さは探偵役の二人の人物造形にも見ることができる。藤九郎の人物造形に彫り込まれる鳥屋を始め、ものの観方は感覚的で突出している。この藤之助の視線が色調となっている。魚之助は芝居中に熱狂的な贔屓に足を切られその傷がもとで膝から下を失った。心に鬱積を抱え、悪態をつく。この二人のやり取りも凄味を帯びた会話のやり取りも見せ場の一つになっている。魚の助を何とか役者に戻したいというのが藤之助の思いだ。これが二人の絆となっている。この二人の空気感が物語を支配し、独特の世界を創り上げていく。二人は「鬼探し」の道行と洒落込むが、それは傾奇者たちが芸の道を究めるために鎬を削る地獄めぐりであった。
余談だが、魚の助の造形を見て、舟橋聖一の『田之助紅』を想起した。江戸末期から明治初年にかけて一世を風靡した澤村田之助で、脱疽の為両足を失い、それでも舞台に立ったという伝説の女形である。山本昌代『江戸役者異聞』や皆川博子『花闇』でも取り上げられている。魚之助の造形のヒントかもしれないと感じた。
まとめるとまず、語り口の巧さである。流暢で、饒舌、極彩色を帯びた筆勢は、読者を引き込む力を持っている。まかり間違えれば一本調子に陥りかねないリスクを抱えているのだが、それを跳ね返す力強い筆力と精神力を伺うことができる。第二は主役二人の考え抜かれた人物造形である。これが絡み合って、迫力に満ちたラストシーンを演出する。ラストシーンは泣けること請け合いの名場面となっている。
第三は脇役陣も曲者ぞろいで楽しめる。そして何よりも心を動かされたのは、扉に掲載された『世事見聞録』の言葉である。「芝居が本となりて世の中が芝居の真似をするようになれり。」とある。つまり、これが作者のモチーフであり、物語が現実を超え、現実が物語の真似をするような物語を書きたいという作者の想いが本書を支えているのである。これを現代の戯作者魂という。作者にはこの魂を持ち続けて飛躍して欲しい。
粗削りであるし、伏線の張り方や仕掛けの施し方には弱いところもある。というのは読者が途中で本を閉じてしまう危険性をはらんでいる作風であることをわかっててほしいと思うからだ。
今年度ナンバーワンのベスト本である。
単行本は10月28日刊行予定。
泉ゆたか『江戸のおんな大工』 角川書店
著しい成長ぶりを見せた二作目『髪結百花』(日本歴史時代作家協会新人賞受賞)以降、『お江戸けもの医 毛玉堂』、『おっぱい先生』と、いずれの作品も平凡な中に非凡さが伺える着想と作風となっている。着実に力をつけてきた証拠だがそ んな作者の新作は、大工を目指す女性の話である。時代小説は題材の選定に成否の分かれ目があると言っても過言ではない。そのオリジナリティに作家としての着想の質が問われる。その点で作者は大見得を切るような題材を選んでくるわけではない。しかし、光っている。題材マーケティングの隙間を狙ってくるセンスの良さは抜群である。作風も決して華やかではない。それでいてホッとするような穏やかさに満ちている。これが作者のツボである。
本書は、江戸小普請方の家に生まれ、幼き頃より父の背中を見て育った峰が主人公で、父が亡くなったことで人生の岐路に立たされる。頼りない弟の門作を尻目に、おんな大工として生きていくことを決意する、というのが物語の骨子となっている。こう書いてくると江戸のお仕事小説と思われるかもしれない。同書の良さは男社会や因習の厚い壁に押しつぶされまいと頑張ったり、男勝りの造形が施されたり、フェミニズム的な対応とは、全く無縁な世界を構築しているところにある。
恐らく作者の狙いは、男と戦うという姿勢ではなく、大工という仕事に誇りを持ち、プロの腕を持っていた父のようになりたいという女性を造形するところにあったと思われる。作者の作家としての仕事ぶりもそのスタンスで貫かれているのであろう。この目線の高さはそのまま本書の目線の高さでもある。
この目線の高さが上手く機能し、大工や施主の目線とマッチし、独特の雰囲気が現場に醸し出されている。一番印象的だったのは、大工というプロのスキルが要求される現場で、女性でなければ気が付かないデティールを、巧妙な仕掛けとして施したことである。それが竃の普請というエピソードで象徴的に扱われている。これが第一章で掴みの巧さも備わってきた。また各章の出だしに奇妙さを撒き餌とし、
読者の気をそらさせない仕組みは作者の成長を物語っている。
目の前のモヤモヤがゆっくりと消えていくような爽やかな読後感が、本書の持ち味となっている。37歳でシングルマザー、おまけに派遣社員と来れば、現代の閉塞感に満ちた暗い世相では、三重苦を抱えた哀れな女性と思われかねない。これが本書の主人公・佐和子の境遇である。この女性の生き様が爽やかな読後感を与えるわけだから、生易しい作品ではない。と言って小難しい理屈が勝っている作品というわけでもない。力を抜いた文体で分かりやすく描いているというのが特徴で、本書の力となっている。
その力の根源は佐和子の人物造形の巧さである。元夫との一人娘をめぐる葛藤、派遣先でのいざこざなど決して平穏な日常生活を送っているわけではない。時たまイライラしたり、生理的な嫌悪感に捕まって佇んだりする。これは自然現象みたいなものである。作者は力を込めて描かない。それがいい。
もっといいのは父親の造形だ。無駄がない。それが佐和子に安らぎを送り込む。娘と父親の関係をこれほどすっきりした形を意識して描いたものは少ない。作者の資質から来るのかもしれない。
物語は父親が観劇に誘ってくれた文楽を観たことから新たな進展を迎える。と言ってもこれにより物語が劇的に動いていくわけではない。文楽はゆっくり佐和子の内面に巣作りをしていく。この過程が実にいいのだ。文楽の台本が持つ倫理観や価値観を古いと思いつつも、時代を超えて語り継がれた力に飲み込まれていく。いつの間にか佐和子の生き様と撚り合わさって、絶妙な和音を奏でる。作者は前作『リスタート』から脱力を身につけ、新境地を開拓したようだ。これからの昨品から目が離せないぞ。
亀泉きょう『へんぶつ侍、江戸を走る』(小学館)
時代小説というジャンルに、この作者のような前代未聞の感性と住所不定ともいえる独創性に満ちた着想を持った作家が、突然前触れもなく出現することがあるのでやめられない。
主人公の人物造形が今風の若者言葉で言うとヤバいの一言に尽きる。なにしろ趣味は大首絵蒐集に下水巡りという変人。仕事と言えば将軍家重の冴えない御駕籠乃者。意表を衝く造形を狙ったととられかねないが、どっこい考え抜かれた仕掛けが施されているから驚かされる。まず、九代将軍家重を持ってきたことに留意する必要がある。家重は吉宗の長男で15年間、将軍職を務めたが、言語に障害があり、その言語を介したのは側用人の大岡忠光のみであった。これが物語に幅を持たす役割を担っている。
物語は、主人公・明楽久兵衛が剣の腕は一級品。ところがアイドル好き。深川芸者の愛乃の大首絵の収集に血眼になっている。そんな愛乃が急死し、事態は一変する。その謎を追った久兵衛に幕閣の手が迫ってくるというもの。久兵衛は前代未聞の逃走劇をしながら謎に迫り、事件を解決する。
素直な文章で読みやすいし、題材の選定も目の付け所がいい。それを物語として仕上げる能力も申し分ない。新人とは思えない力量を有している。おまけにこの事件を解決するための仕掛けが造形に施越すという達者さである。作者はかなりの曲者で緻密な計算が働いていることが読後わかってくる。
ただ難もある。新人なのであえて書かせてもらう。久兵衛のへんぶつぶりをもっと密度濃く描けば興趣が盛り上がったと思う。一挙に解決という手法を採っているが、前半に解決につながる伏線を張っておけばもっと面白く読めたはずだ。特に家重の駕籠を担いでいた久兵衛にしか目に映らなかった家重像をエピソードの一つとすべきだったと思う。
時代小説に新風を送り込める新人の登場である。