菊池仁

2019年極私的・偏愛的ベスト本 単行本編


 各紙誌の年末風物詩でもある2019年時代小説ベストテンが出揃った。リストアップされた作品を見ると昨年の充実ぶりが伝わってくる。ここ三年、出版不況が嘘みたいな豊作続きである。

 理由の第一は、上位を独占した川越宗一『熱源』(文藝春秋)、大島真寿美『渦 妹背山女庭訓魂結び』(文藝春秋)の二作品に象徴される新しい有力な書き手が加わったことである。
 第二の理由は、戦国ものの隆盛である。中堅の成熟と新しい書き手の充実にある。ちなみに、天野純希『雑賀のいくさ姫』、伊東潤『家康謀殺』(角川書店)、木下昌輝『信長、天を堕とす』(幻冬舎)、赤神諒『計策師』(朝
日新聞出版)、杉山大二郎『嵐を呼ぶ男 NOBUNAGA』(徳間書店)、今村翔吾『八本目の槍』(新潮社)、松永弘高『決戦!広島城』(朝日新聞出版)、片山洋一『島津四神伝』(朝日新聞出版)などである。
 第三の理由は、女性作家の活躍が大きく貢献している。梶よう子『お茶壺道中』(角川書店)、澤田瞳子『落花』(中央公論新社)、朝井まかて『落花狼藉』(双葉社)、『グッドバイ』(朝日新聞出版)、西條奈加『隠居すごろく』(角川書店)、三好昌子『幽玄の絵師 百鬼遊行絵巻』(新潮社)と力作が目白押しだ。ここに藤原緋沙子『龍の袖』をくわえれば、いかに豊作の年であったかがわかる。
 個々の書評はあえて割愛した。いずれの作品も題材選定の拘り、着眼の鋭さ、展開の巧さに優れていたと言う事だけ述べておくにとどめる。

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 さあ、ベスト本である。極私的偏愛的な選考で、順位は関係ない。
 最初に登場するのは、松浦 節『日本橋の桃青―若き芭蕉がゆく』(郁朋社)である。作者は『伊奈半十郎上水記』(新人物往来社)で第26回歴史文学賞を受賞、その後、関東郡代伊奈半十郎家の事績に拘り、『約束の奔流』『明けゆく天地』(共に新人物往来社)を発表。人物造形の確かさと真摯な作品との向き合い方に好感が持てる作風で、工事小説に新風を吹き込んだ。

日本橋の桃青 若き芭蕉がゆく

日本橋の桃青 若き芭蕉がゆく

  • 作者:松浦 節
  • 発売日: 2019/09/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

  本書は出自の不明な芭蕉の少年時代にスポットを当て、綿密な論考のもとに少年時代を再現し、それを出発点として、蕉風俳句の原点を探ることを意図した力作である。
 「われらの武器は俗謡じゃ。和歌は俗語を禁じた。われらが俗語を手にしたとき、俳諧は束縛から解き放たれた。俳諧は広く万人のもの」
 「俗語によって民の生き様を詠め。わかりやすく民の心と響き合うて、幸せをかみしめ、権威の風を笑い飛ばすのじゃ。革新を求めつづける者のみが風雅の誠に迫りゆくことができる」
 この蕉風俳句の核心に迫った台詞こそ、本書の神髄である。芭蕉の最期を描いたエピローグの畳みかけるような俳句を交えた文章には鬼気迫るものがある。もう一点、特筆すべきことがある。作者は芭蕉玉川上水道工事の帳方を務めたときのエピソードを挿入している。作者が生涯をかけて事績を掘り起こした伊奈半十郎家と芭蕉の接点である。作者の筆が躍動しているのが確かな手ごたえとなって伝わってくる。
 数多くある芭蕉ものと一線を画す傑作である。

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 坂岡 真『一分』(光文社)がいい。この力作が話題にならないのがおかしい。作者の代表作となる畢生の大作である。と言ってもテーマにものすごい新しさがあるわけではない。逆説的に言うとそこがいいのである。極めてオーソドックスな時代小説である。

一分(いちぶん)

一分(いちぶん)

 

  戦後間もない娯楽に乏しかった時代に、確かな手ごたえで面白さを伝えてくれたのが大衆時代小説であった。吉川英治の『神州天馬侠』や『鳴門秘帖』が読めて、桃太郎侍山手樹一郎が闊歩していて、伝奇ロマンに拘った角田喜久雄『髑髏銭』、柴田錬三郎の『運命峠』、五味康祐柳生武芸帳』がそばにあった。『一分』にはそんな時代の匂いが感じられる。今の時代小説が失っている活力と素直さと言えるかもしれない。これは長年、文庫書下ろし時代小説を書き続けた作者だから書き得た作品と言えよう。書下ろしを書き続けるためには独自の小説作法を必要とする。
 本書にはその小説作法がぎっしり詰め込まれている。剣術、酒造りの背後にある職人技、船乗りの技術と主人公の成長の糧となっていくそれらの要素が、デティール豊かなエピソードに仕立てられており、主人公の内面の豊かさが伝わってくる。

 物語は、侍を捨てた主人公が、理不尽さへの怒りと、運命に抗う反骨精神を発条に誇らしく生きていく姿を描いたものである。詰まるところ主人公は、藩の論理と人間の論理の狭間で悪戦苦闘を余儀なくされる。その狭間を超えていく原動力となるのが、武士は捨てても武士のバックボーンである一分は守る。それは人間の一分であるからだ。その到達の過程こそ成長小説のコアであり、青春小説の面白さの神髄はそこにある。ラストに作者は日本に近代を引き寄せた威臨丸に主人公を乗せる場面を採用している。逆風の大海原を「前屈みに歩きだす」と記している。絶妙の表現である。そう、青春とは前屈みに歩きだし、膝を抱えて走るのである。
 大衆時代小説の粋である。

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 青春時代小説と言えばあさのあつこの奮闘がひときわ異彩を放っている。『飛雲のごとく』(文藝春秋)が飛びっきりいい。その理由は、政治が法治国家であることを放棄し、独裁的になりつつあり、企業が志と哲学を置き去りにし、市場経済を唯一の尺度とするような時代こそ、時代小説の重要なジャンルであったお家騒動ものを、藩政改革ものとして新たな構築が可能なのである。

飛雲のごとく

飛雲のごとく

 

  本書は、元服を済ませ、名実ともに当主となった主人公が、武士社会の身分制度、立場の差のもつ理不尽さやしがらみに絡めとられ、身動きできなくなる危機を、友情と成長力で対峙しようとする姿を描いている。
 「もしかしたら、これは一つの機会かもしれん。誰かに縋るのでも、頼みとするのでも、押し付けるのでもなく、おれたちの力で、世を変えていく、変えていける好機かもしれない」
 青臭いがこういう志向こそ藩政改革を推し進めていく芯となるものである。ここには身分や立場を超えて時代を変えようとする明快な意思がある。時代小説しか書けないテーマであることを知るべきである。作者は繰り返しこのテーマを追求している。『天を灼く』『地に滾る』(祥伝社)の連作もこの意図によって貫かれている得難いシリーズである。藤沢周平、葉室 麟も命を削ってこのテーマを追い続けた。しかし、藩政改革の彼岸は遠い。安易な着地はできないからだ。

 作者は、『バッテリー』でピッチャーの少年の人物造形を独特な人物観照を駆使して豊かに描くことで、野球小説の枠を超えた。藩政改革ものでもその貫通力を見せて欲しいと思っている。

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 次のベスト本は『虎の牙』で歴史時代作家クラブ新人賞を受賞した武川佑の『落梅の賦』である。『虎の牙』の続編で、武田信友のその後」を描いている。デビュー作である前作が鮮烈な印象を与えただけに期待はされていたものの評価は低かった。なら何故ベスト本という声がかかりそうだが、前作同様、戦国ものに独自の解釈を導入することで、他の戦国ものと一線を画す新しさがあるからだ。前作では日本史の底流に脈打つ国の枠組みを超えた自由の魂を持つ「山の民」と、古代から連綿として伝わる「呪い」を地軸に設定し、そこに貨幣経済の視点を入れることで戦国の時代相を新鮮な形で切り取って見せた。ミステリー要素を動線とすることでストーリー性もあり、数多くある武田ものでも異彩を放つ出来栄えとなっていた。

落梅の賦

落梅の賦

  • 作者:武川 佑
  • 発売日: 2019/04/25
  • メディア: 単行本
 

  本書では清安(佐藤信安)が西方浄土に向けて補陀落船に講徒と共に乗り込むが失敗する象徴的なエピソードで幕を開ける。これは『虎の牙』のラストシーンの受けとなっている。「山の民」の次に登場するのは「海の民」である。僧となった清安が信友と穴山梅雪と共に落日を迎えた甲斐武田家の幕を下ろす役を務める。作者はその渦中に心的外傷後ストレス障害性的少数者という現代的なテーマを注入することで、新しい解釈を盛り込んでいる。意欲的な取り組みは理解するのだが、消化不良でストーリーが流れてしまい、密度が薄くなっている。特に「海の民」はもっと論考を固めてから使うべきであろう。
 二作品共に他の戦国ものにはない独特の意匠を持っており、それだけでも今後の活躍に期待が持てる。

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『髪結百花』で日本歴史時代作家協会文学賞の新人賞を受賞した泉 ゆたかの『お江戸けもの医-毛玉堂』が次のベスト本である。まず、けもの医に着眼したところに作者のセンスの良さを伺うことができる。ペットを思う気持ちに昔も今もない。実に現代的なテーマで感心した。

お江戸けもの医 毛玉堂

お江戸けもの医 毛玉堂

  • 作者:泉 ゆたか
  • 発売日: 2019/07/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

  不愛想だが、腕はいい医者・凌雲、動物をこよなく愛し,ひたむきな妻・美津、ひょんなことから毛玉堂に居候することになった絵の心得がある腕白坊主・善次の三人が織りなす動物にまつわる悲喜交々の人情ドラマである。五話が収録されており、各話共いい出来である。ただ気になったのは小さくまとまり過ぎていることだ。江戸期ならではの珍しい話やホラーじみた話などエピソードに工夫を凝らしたりすれば絶品のシリーズものとなること請け合いである。是非、シリーズものにすべきである。

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 最後に紹介するベスト本は篠 綾子『酔芙蓉』である。幕末青春小説『青天に在り』で2019年度に日本歴史時代作家協会作品賞に輝いた作者は、今が旬ともいうべき充実ぶりを示している。この三月に角川書店から刊行される『天穹の船』は幕末に伊豆の戸田で建造された大型帆船を題材に、船大工の若者の苦闘を描いたものだが、素晴らしい出来に仕上がっている。

酔芙蓉

酔芙蓉

 

  本書も作者の豊かな才能を裏付ける作品で、日本的情緒を引き出す独得な美意識と、男の生き様を造形する明晰な筆が魅力となっている。題材は作者が得意とする平安末期で、主人公は藤原隆季。保元・平治の乱の渦中にいた人物で、父・家成の権勢を背景に異様な速さで昇進し、「あるまじき事」と評判になる。平清盛の盟友であり、悪左府の異名を持つ藤原頼長と男色関係にあったことでも知られている。そんな問題の多いい人物を書こうとした作者の意図と狙いは何か。そこに本書の特徴がある。
 まず、モチーフから探っていこう。序の章で治承三年、後白河法皇と清盛の関係が悪化し、清盛は大軍を率いて粛清に乗り出す。その騒動のさなか藤原忠雅は義弟で清盛の信任厚い隆季に頼みごとがあって訪れる。二人の会話の中に酔芙蓉が出てくる。意味深長な内容で物語の主旋律となっている。モチーフの第一は、この酔芙蓉の花である。隆季と忠雅の関係を暗示するものであり、隆季の人物造形のコアを象徴している。第二のモチーフは異様に早い昇進の謎である。家成の権勢によるものという事実を薄めて、独自の解釈を造形に施している。
 第三は頼長の男色という事実であり、それを忠雅の隆季への想いに転化する仕掛けをしている。要するに隆季を完璧なまでに整った要望を持つ美少年として造形したのである。頼長ではあまりに短絡的なので、十一歳の少年・忠雅が恋焦がれる対象とし、その象徴が酔芙蓉なのである。第四としては隆季が優れた歌人であったからと思われる。酔芙蓉の喩えに堪えられるものがないとだめなのである。
 やがて青年となった隆季は政争を繰り返す上流貴族から一族を守るため、美しき冷たい仮面をかぶり、出世街道を突き進む。それは美貌ゆえに権力者の我欲に翻弄されると言う事でもあった。後ろ盾となったのが龍のごとき清盛で、二人が盟友関係を築く過程を丁寧に描いている。作者には『蒼龍の星』(文芸社文庫 全三巻)
という大作があり、清盛はお手の物である。
 以上のモチーフを巧みに使い、歴史的事実とは違う藤原隆季を創り上げたのである。一の章「酔客」を読み始めると少女漫画なのか、と言った驚きを覚える。これこそ作者が仕掛けた罠であり、カモフラージュなのだ。ラストで隆季の真意が明かされ、これが心地よい感動を与えるところに本書の非凡さがある。偏愛的ベスト本の理由である。