2019年注目文庫書下ろしシリーズ本ベスト
昨年の五月以来、連載が滞ってしまった。
と言う事で一挙に注目シリーズを掲げておく。
残念なお知らせが三つある。
藤原緋沙子の人気シリーズ「切り絵図屋清七」(文春文庫)が第六巻『冬の虹』で幕を下ろした。
時代小説の書き手にとっては必携の書となっているのが江戸切り絵図である。その切り絵図を題材に『二人静』( 2011年)を書き下ろしたのが本シリーズである。こういった発想のユニークさが作者の特筆すべきところである。江戸の町に不案内なためにひどい目にあっている人々のために主人公清七は自分で切り絵図を作りたいと思う。
モチーフも巧いもので、全く新しい切り口を持ったシリーズものに仕上がった。終わってしまうのが惜しい。
篠綾子の「絵草紙屋万葉堂」シリーズ(小学館文庫)も第四巻『堅香子の花』が最終巻となった。万葉堂の女性記者であるヒロインさつきが田沼意知殺害の真相に迫る『鉢植えの梅』で幕を開けた。世評や巷間の噂といった既成の概念にとらわれず自らの足と知力で真相を探るひたむきさが清々しい印象を与えるシリーズである。特に注目すべきは両刃の刃となる言葉を大事にする記者としての矜持がきちんと描かれているところであった。この背景には現代のマスゴミ、失礼マスコミへの警鐘を内包している。こちらももっと続いて欲しかったシリーズである。
小早川涼の「新包丁人侍事件帖」シリーズ(角川文庫)も第四巻『料理番 旅立ちの季節』で終わってしまうようだ。第三巻『料理番子守り歌』(2015年)から時間がたっていたので疑問に思っていたのだがようやく刊行された。喜んで手に取ったものの作者の体調が悪いと言う事で最終巻となってしまった。残念で仕方がない。このシリーズの巧さは主人公の台所人鮎川惣介は正確には江戸城御広敷御膳所台所人という特殊な職業にしたところにある。加えて当時の最大の権力者第十一代将軍家斉にお目通りができるという特権を与えたことである。こういった工夫とホームドラマとしての温かな雰囲気を物語をやわらげる仕掛けとしていることだ。器用な作家だけにもう一度筆を執ってもらいたいと思う。
2019年の協会シリーズ賞を「日本橋牡丹堂菓子ばなし」シリーズ(光文社時代小説文庫)で受賞した中島久枝の新作『それぞれの陽だまり五』が刊行された。作者は現役のフードライターとして活躍しているだけに、その強みをフルに活用した物語作りが高く評価されている。激戦区となっている料理ものでも異彩を放っているのはそれゆえである。
さらに第一巻『いつかの花』以降、一作ごとに物語を紡ぐ腕が上がっているのも見逃せない。加えて昨年から新シリーズとして「一膳めし屋丸久」(ハルキ文庫)をスタートさせ第二巻『浮世の豆腐』も昨年暮れに刊行された。料理ものの幅を広げているのも注目される。
次に新たにスタートを切ったシリーズものと三巻まで刊行されたものの中から有望株を紹介する。
五十嵐佳子「読売屋お吉甘未帖」(祥伝社文庫)がいい。現在第三巻『かすていらのきれはし』が刊行中。瓦版記者の見習いとなったヒロインお吉の奮闘記だが、大の甘味好きというのが作者の工夫で、物語を引っ張っていく動線の役割を担っている。
シリーズものは江戸期の珍しい職業や、現代では廃れてしまった職人技を主人公にもたせることで単行本とは一味違うマーケットを開拓してきた。しかし、それも二十年近くの歴史を数えてくると、ネタも尽き、同質化の競争にさらされている。当然、作者のアイデア勝負の色彩を帯びている。五十嵐佳子は読売屋と料理ものの融合を図ることで、市井人情噺に一味違う香辛料を加えたというところである。
宮本紀子の「小間もの丸藤看板姉妹」シリーズも順調で、第二巻『妹の縁談』が刊行された。作者は2012年に「雨宿り」で第六回小説宝石新人賞を受賞。好短編で市井人情もので伸びることが予想された。それが開花したのが同シリーズである。
人物造形、ストーリーに大きな特徴があるわけではないが、平凡な流れの中にキラッと光る読みどころを持ったところに好感が持てる。
新シリーズの有力どころとして一押しはベテラン喜安幸夫『幽霊奉行』(祥伝社文庫)である。シリーズものの成否はアイデア勝負にかかっていると言っても過言ではない。鳥居耀蔵の策謀によって、桑名藩に永預けとなった名奉行の誉れ高かった矢部定謙が抗議の断食により死んだと思われていた。その矢部が冥土から蘇ったのである。史実と虚構を織り交ぜ、幽霊奉行として活躍させるという離れ技がうまく機能している。江戸末期の荒んだ世相を背景に、悪政に苦しむ民をどう救うのか。これからの活躍が期待される。
『源氏物語千年の謎』で非凡な才能を垣間見せた高山由紀子の新シリーズは『かたみ仕舞い』(角川文庫)。実のところはシリーズものになるかどうかは第一巻の売れ行き次第なのだろうが、凝ったアイデアでシリーズもののネタには困らない仕掛けが施されている。日本橋で四代続いた唐物屋「西湖堂」の一人娘・小夜が店の再興に奮闘するというのがメインストリート。仕事は死者の遺品を整理する「かたみ仕舞い」である。作者の腕の見せ所である古典への造詣の深さが遺憾なく発揮できる舞台を設定している。これを武器に死者に思いをはせるエピソードを組めるかどうかが正念場となる。
『慶応三年の水練侍』で第八回朝日時代小説賞を受賞した木村忠啓が初のシリーズものに挑戦したのが、「十辺舎一九 あすなろ道中事件帖」(双葉文庫)である。『慶応三年の水練侍』は題材を選ぶ見識の高さと、鋭い視点に独自性を持っていたが、二作目の『ぼくせん 幕末相撲異聞』もユニークな作品となっていた。
新シリーズもこの才能をフル回転させたものとなっている。市井人情ものを扱うに際し、多くの読者を掴んだ『東海道中膝栗毛』を書いた十辺舎一九の若かり日を舞台としたところに本書の肝がある。つまり、人の心の機微が分かるための修行時代と位置付けたわけである。にわか同心という設定もうまい。
第二巻『新月の夜』も順調でこのまま道中を続けてくれればと思う。
昨年、最もうれしかったのは、早川書房が自社の得意技を活かして早川時代ミステリー文庫の創刊に踏み切ったことである。もともとシリーズものはシリーズという特性を活かすために、連作短編で捕物帳スタイルが主流であった。しかし、推理ものとしては謎の出し方解き方が甘く、人情噺でお茶を濁すというものであった。推理好きの読者を呼び込むためには少々物足りなかった。そこに着眼したのが早川時代ミステリー文庫である。
稲葉一広『戯作屋伴内捕物ばなし』、誉田龍一『よろず屋お市深川事件帖』の二冊がシリーズものを意識したものとなっている。さすがハヤカワ時代ミステリーと謳っただけに両者とも各挿話は難事件を揃え、市井人情ものとは一味違う本格的な味わいを楽しめる工夫がされている。『よろず屋お市深川事件帖』は年初に第二巻『親子の情』が刊行されている。
面白いのは冬月剣太郎の『陰仕え 石川紋四郎』である。捕物帳スタイルではなく長編スタイルで連続殺人の謎を追うというもので好感が持てた。剣豪の夫に詮索好きの夫婦という設定が物語に奥行きを与えている。「おしどり夫婦事件帖」がシリーズタイトルとなるようだが、コンスタントに刊行できればいい線を行くと思われる。