書名『戴 天』
著者 千葉ともこ
発売 文藝春秋
発行年月日 2022年5月10日
定価 ¥1800E
開元24年(736) 大唐帝国の首都長安の西市(長安城内の西側の商業中心地) 8歳の少年二人と6歳の少女の幼馴染みが遊んでいるところから物語は立ち上がる。
唐の先天元年(712)28歳で即位した李隆基(りりゅうき)(玄宗)は唐皇帝の中で在位期間が一番長く、44年間という長期に及んだ。前半は「開元の治」と呼ばれる唐の全盛期を現出させたが、晩年は長い統治に倦んで次第に放逸となり、楊貴妃に耽溺、やがて「国破れて山河在り」の安史の乱(755~763)を招く。
「序章」では三人の幼馴染みが紹介される。崔子龍(さいしりゅう)は山東貴族の名門崔家の御曹司。陽物を失って母親から冷遇され、名家の跡継ぎから、町に潜む無法者に変わり果てる。王勇傑(おうゆうけつ)は子龍が生涯の友だと思っていた男だが、子龍に忌まわしい災厄をもたらす元凶。杜夏娘(とかじょう)は子龍が陽物を失った時も、「わたしはあなたと一緒に走れる」と子龍と共にあろうとしてくれる。
「第一章」は15年の歳月が一気に過ぎて、天宝10載(751)。主人公の崔子龍23歳は タラス河畔の戦い(天山山脈の西北麓のタラス河で、7万に及ぶ唐軍がアッバース朝イスラム帝国と戦かい殆ど全滅した戦い)に従軍している。宦官(かんがん)ではないが陽物を欠いている崔子龍は異例の配属で監軍使の隊列にあり一隊長として「蟻隊」という宦官だけを集めた部隊を率いている。
唐国の総大将高仙芝(こうせんし)は滅びた高句麗の遺民で唐において出世した人物。容姿端麗なうえに鬼神のような猛々しさを兼ね備え、民からも人気が高い。まさに英雄である。加えて、高仙芝に子龍自身の顔が酷似しているとなれば、子龍がすでにこの男のことが好きになっているのは当然である。
この高仙芝の前に立ちはだかるのが、宦官にして監軍の隊を統べる監軍使(目付)宦官の辺令誠(へんれいせい)である。唐朝の征討軍には監軍使として宦官を従軍させる慣例があった。辺境における監軍使には節度使をしのぐ絶対の権限があり、武骨な将軍らと軍事の素人ながらやたらと干渉する宦官とは当然折り合いが悪く、紛糾が絶えなかった。タラスの大敗は宦官辺令誠が敵と通じたがゆえに起こった。辺令誠が仕込んだトルコ系遊牧民カルルックの裏切りで唐軍は壊滅したのであった。皇帝に報告する戦功の内容には監軍使への賄賂の量で決まる。
撤退に際し、高仙芝の直下に組み込まれた子龍は複雑奇怪な化け物で巨悪の根源たる辺令誠を殺すべく寝込みを襲うが仕損じる……。
安史の乱前夜の唐の国情は厳しい財政状況および機能不能の政情のもとにあった。言葉巧みに玄宗と楊貴妃に取り入り唐朝簒奪の野望を抱く安禄山(あんろくざん)と、楊貴妃の従祖兄(またいとこ)という幸運によって栄耀栄華を誇る身となっている元破落戸の宰相楊国忠(ようこくちゅう)とは不倶戴天の立場にある。かくして安禄山は「君側の奸楊国忠を除く」を名目に兵を挙げる。
「第二章」は一変して、真智(しんち)という若い僧侶が視点人物。3人の少年少女との繋がりは明記されずにストーリーは展開される。幼少年期に両親を亡くした真智は「ある男」の養子となり、必死に学び、仏典の路を追求している。真智と「ある男」(義父)の間柄は隋唐期に盛んであった仮父子(かふし)(義父と義児)関係にあった。壮絶な死を遂げた義父は朝廷内の抗争に敗れた官人で、佞臣楊国忠を重んじる皇帝を諫めんとして辺鄙な西方の果てに流され、殺されたのであった。義父の遺志を継ぎ、皇帝への直訴を果たそうとする真智は、天宝14載(755)11月、驪山で催された皇帝主催の徒競争(マラソンのような競技)に参加する。ここに、夏蝶(かちょう)という女性が登場する。驪山での競争に参加した夏蝶は華清宮での楊貴妃付きの婢で、直訴に失敗した真智の窮地を救ってくれる……。
「第3章」は崔子龍の再登場である。タラスの戦いから約3年半後、長安に生還した子龍は皇帝の行幸を狙い、タラスの戦いの真実を皇帝に訴えようとしている。安禄山の挙兵に対する唐軍の募兵があり、唐軍に潜り込んだ子龍は〈巨魁〉辺令誠に近づく絶好の機会を得て、〈英雄〉高仙芝と再会を果たす。
相互のかかわりが不明であった登場人物たちのそれぞれの立ち位置と因縁が明かになる折り返し点が「第四章」。驪山で玄宗に楊国忠や楊貴妃の排除を訴え身柄を拘束され長安の獄へ運ばれた真智は、楊貴妃の側にいる夏蝶という名の婢が、元は官人の娘・杜夏娘であり、楊国忠によって陥れられた「友」を助けようとして、わが子の冬蝶とともに罰をうけたこと。杜夏娘の「友」とは王勇傑であり、真智の義父の本当の名が王勇傑あることを知る。一方、真智が参加できるように取り計らってくれた「碧眼の男」こそ宦官辺令誠で、辺令誠は真智の目論見を知っていた……。
「第5章」高仙芝は、公開処刑の場にある。安史の乱が起きて副都洛陽が陥落されると、高仙芝は首都長安防衛の要衝・潼関(どうかん)に退くが、このことで玄宗の怒りを買う。加えるに、辺令誠は高が横領の罪を犯したと言上。億兆の人間の生殺与奪の権を握る皇帝が「殺せ」といえば、その者が英雄たりと言えども役人に捕らえられ、首を刎ねられる。それだけのことである。辺令誠の頭の中には義勇軍の総大将高仙芝を「いかに料理するか」しかない。
死に臨んで高仙芝は「戴いた天に臆せず、胸を張って生きる。私は最期まで胸を張っていたい。見届けてくれるか」と子龍に託す。為す術もない崔子龍。
第二章で真智は、皇帝は何故、楊国忠ら佞臣に権を持たせ、忠臣である義父に非業の死を遂げさせたのか、この理不尽を正さぬかと嘆いたが、ここで、崔子龍は「正気ではない天子を戴く国はどうなるのか」と天を仰ぐ。
『戴天』はデビュー作『震雷の人』と同様、安史の乱の時代を舞台とし、腐敗した権力者を除いて、国を正しくしようとする若者達たちの挑戦を描く。かつまた、宦官は国を乱す元凶だが、常人には見られない残酷で波乱に満ちた運命に身を晒し、人らしからぬ生き方を強いられた宦官の哀しみをも作者は描く。中世中国社会の構造的矛盾を照射した珠玉の中国歴史小説である。
(令和4年5月31日 雨宮由希夫記)