書名『シャムのサムライ 山田長政』
著者名 幡 大介
発売 実業之日本社
発行年月日 2021年5月25日
定価 ¥2400E
海外に雄飛した一世の英傑、異国で出世した山田長政(1590?~1630)の真の姿を浮かび上がらせようとした本作品は600頁を超す超大作、しかも書下ろしの歴史小説である。
沼津藩主の駕籠かきに過ぎなかった一人の青年が、シャム(現在のタイ)に渡り、日本人が傭兵として存在していたアユタヤ王朝で兵馬の権を握り、傭兵隊長、最終的には官吏の世界の頂点に登りつめるなどの立身出世をとげ、王朝内の王位継承問題にまきこまれ、悲劇的な最期を遂げた。
戦前の国家思想は南進政策を正当化するためのプロパガンダとして、長政の「海外雄飛」を最大限に利用した。「雄飛=侵略」であったが、それを糊塗するがために、
「長政=南方進出の先駆者・英雄」と喧伝した。
敗戦後、長政を扱うことはタブー視されていたが、遠藤周作、中津文彦、白石一郎ら多くの作家が南進論から離れた真の長政評価を試みている。作家たちは自由に想像力の翼を広げ、各自の世界の中に「山田長政」を展開しているのである。
実在の山田長政がアユタヤ王朝で頭角を現すまでの数年間は信頼できる史料の空白時代であり、長政がアユタヤの日本人町の3代目の頭領となった年についても諸説ある。そもそも長政の素性はよくわからず、出生年、出生地、出国までの事情がきわめて不分明なのであるが、日本近世外交交渉史の泰斗・岩生成一は「不身持で身のおきどころなく、密航してシャムについた駿河の人」(『日本の歴史14 鎖国』1966年刊)と断じている。幕府が開かれ、社会秩序が軌道に乗りつつある日本は長政のような青年にとって住みづらく、海外に新天地を求めるべく朱印船に乗り、かくして日本を出国したという推理は妥当なものである。
長政が3代目の頭領となったのは元和3年(1617)であるとする説が有力である。では、なぜ、長政は渡航後数年で頭領になれたのか。
幡(ばん)大介(だいすけ)による本作は先行する作品とどう違うか。本作の特色は二つある。一つは「長政と幕閣要人のつながり」、一つは「シャム女との結婚」である。この2点を軸とした卓抜した構想力と歴史観で、作者は長政がいかに海外で雄飛したかを物語っている。
長政と幕閣要人のつながりついては、幕府の朱印管理者である井上正就(まさなり)(1577~1628) の人物造形が注目されよう。
朱印船は秀吉の時代から実施されていたが、国の貿易船制度としての朱印船制度を布いたのは家康で、関ヶ原の戦いの翌年の慶長6年(1601)、家康はフィリピンをはじめ東南アジアの国々へその旨を通告している。のっぴきならないキリシタン問題を抱えていたのは秀吉と同様だが、西国大名の強大化を恐れた家康は南蛮貿易を幕府の独占とし、宗教と貿易の分離を意図した。が、秀忠、家光らの後継者たちは家康の遠大な意図を十二分に察することができなかった。
徳川初期の諸勢力の錯綜する関係の中に、井上正就と家康の後胤とも伝えられる幕閣の重鎮・土井利勝の対立が朱印船制度を核として描かれている。
長政が何かの関係で「シャム国の王妃」と関係したことは確かなことのようである。
遠藤周作は『王国への道』(1981年刊)で、「ヨターティプ姫」を、白石一郎は『風雲児』(1994年刊)で、「シャム国王の娘チアン」を造形しているが、本作では「長政の妻で、長男オインの母」としての「タンヤラット」が登場する。タンヤラットは
「王族とは名ばかりの末葉、王家の元侍女」だが、彼女の存在なくしては、長政の栄達は有り得なかったとしている。長政はタンヤラットの肉体の門をくぐることによって、シャムの風俗や風習を身につけていくとの観点は先行作品には無い。
長政がソンタム王(在位1611~28)に重宝されたのは、日本人町の頭領であるとともに、アユタヤ王朝の日本人義勇兵の頭領であったためだが、寛永5年(1628)ソンタム王が死去するや、長政の運命は暗転する。王の死の2年後の寛永7年(1630) 長政は謀殺されるのである。
長政の悲劇の本質は、幕府が禁海政策に向かっていた時代に生きたことであろう。
長政の存在が日本で知らされ、シャム使節が来朝したのは元和7年(1621)であるが、同年、幕府は日本人傭兵と武器の輸出を全面的に禁止するとともに、日本人の外国船に便乗しての海外渡航を禁じているのである。何という運命のいたずらであろうか。
長政は国外のシャムに在って、徳川体制の固まる当時の時代状況、宗教と貿易の分離に失敗した二代将軍秀忠のもとで禁教と鎖国が進むことを冷静に見つめていたことであろう。
戦国末期から江戸初期にかけて、多くの日本人(一説には10万人を超えるとも)が東南アジア諸国に渡航し、土着して日本人町をつくった。寛永10年(1632)第一回の鎖国令が発布されるまでの約半世紀は日本人の海外進出のエネルギーが噴出した活発な時代〈大航海時代〉と観ることができるが、その仇花的な存在が長政なのである。
アユタヤの日本人町には商人と牢人の二種類の日本人、牢人の多くは関ヶ原牢人とキリシタン牢人であった。彼らは日本を追われてアユタヤに流れ着き、ようやく平穏な暮らしを手に入れようとした。本作の登場人物「奴隷のヨゾウ」もその一人である。はじめ長政を無視、敵愾心すら抱いていたヨゾウがやがて長政に心服して、絶望の淵から生きる望みを新たに「真田(さなだ)左衛門佐信繁(さえもんのすけのぶしげ)が馬廻 山浦与惣右衛門(よぞうえもん)」と名乗るシーンは感動的である。
長政の死後まもなく、日本の鎖国によって、朱印船貿易も廃止され、日本人町も消えていく。
寛永12年(1635)の鎖国令によって、日本人の海外渡航はもちろんのこと海外在留日本人の帰国が禁止された。一枚の紙きれで、当時、どれだけの日本人が国外に取り残されたのか。棄民として放置された彼らは時と共に消滅していく運命に晒された。待ち受けているのは異国の辺土に骨をうずめ卒塔婆の山をなすことだけだった。
長政の生涯を照らし出すとともに、歴史の闇に打ち捨てられた人々が浮かび上がる歴史小説でもある。
江戸時代初期の歴史を背景に、大航海時代のアジアおよび欧州事情、戦国末期の日本の国内事情など多面的な側面から考察し、全く新しい山田長政像をもたらした本作は、現在、未完のままとなっている『真田合戦記』(2015~17年刊)、第24回(2018年度)中山義秀文学賞の候補作『騎虎の将 太田道灌』(2018年刊)とともに、歴史小説家・幡大介の代表作のひとつに数え上げられるであろう名作である。
今、ǸHKのBSで好評放映中の『大富豪同心』の原作者である幡はすぐれた時代小説家であるが、彼の本領は歴史小説にある。『大富豪同心』をたのしみつつ、『シャムのサムライ 山田長政』を紐解いていただきたい。
(令和3年7月8日 雨宮由希夫 記)