書名『維新の羆撃ち』
著者名 経塚丸雄
発売 河出書房新社
発行年月日 2017年6月30日
定価 ¥1500E
今年6月、読みだしたら止まらない秀抜な人間描写の『旗本金融道』(双葉社)で第6回歴史時代作家クラブ賞新人賞を受賞した経塚丸雄(1958年福岡生まれ、東京・神奈川育ち)の新作は、幕臣で箱館戦争の落武者を主人公とした「幕末維新もの」である。
主人公の奥平八郎太はペリーが再び浦賀に来航した安政元年(1854)に禄高千二百石、御書院番士を務める名門旗本家の一員として神田駿河台に生まれた。八郎太は幕府遊撃隊結成当初から師・伊庭八郎(1843~1869)に付き従い、鳥羽伏見、箱根山崎を経て五稜郭まで、この二年間、常に師の側で戦ってきた。
明治2年(1869)5月18日、五稜郭開城。時に八郎太、数え16歳。榎本武揚が降伏したその日、八郎太は兄・喜一郎や御家人本多佐吉たちと脱走する。新政府軍に追われ蝦夷地の山奥に逃げ延びたが、八郎太は兄と別れたのち、羆に襲われ、瀕死の重傷を負い、猟師の十蔵・喜代夫婦に一命を救われる。蝦夷地の南方、ユーラップ川中流域の人里離れた山中の10坪ほどの掘っ立て小屋が彼ら夫婦の住処である。八郎太は回復してからは物置小屋に一人寝泊りする。孫ほどにも歳の離れた女を妻とする十蔵夫妻に気を使った奇妙な生活が始まるという生々しい展開に、先ず、読者は惹きつけられるであろう。
十蔵こと鏑木十蔵は元庄内藩士。人殺しの凶状持ちの脱藩者で、羆の肉を喰らう猟師としての生活を続けているが、労咳に侵されている。喜代は庄内の貧農の長女。江差の飯盛り女であったとき、病に苛まれ、ただ同然で十蔵に身請けされた。
その十蔵は八郎太に「猟師になれ」という。「猟師になどなるもりはない」と応える八郎太に「手に職をつけよ」落武者として蝦夷地に隠棲するにしても暮らしが立つようにすることがものの道理だというわけである。また、喜代を引き継いでお主の妻となせ、と十蔵は庄内弁の耳にまとわりつくようなねっとりした言い回しで八郎太に迫る。
明治3年(1870)旧暦の10月、十蔵逝去。「いつか心が癒えたとき、お主は山を下りるべき。もっとお主らしい生き方を探すべし」が十蔵の言い遺した言葉であった。十蔵の死後、八郎太は十蔵の跡をとり猟師を生業として暮らしているが、相も変わらず物置小屋に寝泊りしている。「妻」喜代の手すら握らない。
明治6年(1873)初夏、兄喜一郎との再会。4年前、北に逃げたはずの喜一郎が山中で別れたのち、すぐに新政府軍に投降していたことを知り、八郎太は兄に裏切られたと思う。兄は開拓使庁に出仕、榎本武揚の下で働いていた。共に働こうと兄に勧められるが、八郎太は「明治という新しい時代」に参加するつもりはなど毛頭なかった。
鳥羽伏見の敗戦以来の様々な出来事、思い出したくもない不愉快な記憶がよみがえる。忠義のために徳川家に殉ずるなどという「後ろ向き」な「立ち遅れた」倫理観を払拭し大局観に立ち行動すべしという意見に耳を貸さず、たとえ頑迷固陋な人間と決めつけられても、八郎太が最後まで幕臣としての矜持を忘れずに戦かったのは何よりも幕臣として死にたかったからだ。
その年の11月、二度と会うことはあるまいと思っていた札幌の兄を訪ねる。
羆猟師となって4年が過ぎていた。喜代とは生業としての熊撃ちを通じ「名目上の夫婦」から心身ともに求め合う「本物の夫婦」になることができた。「潮時だ。山を下りよう」と八郎太は決意する。羆猟に対する情熱が薄れていたこともあるが、札幌に兄を訪ねて、伊庭八郎の死の真相を知ったことも大きかった。伊庭八郎は八郎太ら若者に未来を生きよと伝えるべく、みずからは切腹ではなくモルヒネをあおって死んだという。
ラストエンドは、喜代を連れ、新しい世界に、明治という時代に、巣立って行って良いのか、となおも八郎太が躊躇するシーンである。
最後の将軍徳川慶喜は唐突に政権を返上した上に、鳥羽伏見の戦いでは敵前逃亡。かくて旧幕府軍にとって戊辰戦争は「勝ち目はないだろう戦(いくさ)」(福沢諭吉「痩せ我慢の説」)となったが、多くの幕臣はなぜ敢えて参戦し、箱館戦争まで戦ったのだろうか。
徳川に殉ずるべく戦った彼らが時代の変化に対応できない頑迷固陋な元幕臣ではなかったことは本書で描かれるとおりである。彼らは武士として人間として生きるがために戦わざるを得なかったのである。いわゆる明治維新は旧態依然たる固陋な徳川幕府を倒して、開明な明治政府が誕生し、近代国家が誕生したという図式で語られることが多かったが、事実としての明治維新はそのようなものではなかった。
動乱期の奔流に押し流され、歴史の裏に埋没しつつ維新後を生きた旧幕臣たちの生きざまと時代とのコミットは単純明瞭なものではない。幕臣たちがどのように明治という時代を生き続け、明治という時代をどう見ていたか。幕臣の大半は零落してしまうため、その実像を知る手がかりは余り残されていない。とりわけ、本書の登場人物・本多佐吉のような下級武士たる名も無き御家人たちはどこに消えたのか。150年前の歴史上の人物というものは、もはや、この世には存在し得ないものであるが、本書では秀逸な作家の目を通じて蘇った。
朝敵と罵られ賊軍の悲哀を味わい、新政府に仕えることを潔(いさぎよ)しとしなかった八郎太はこれから「新しい時代」に踏み入ることになるが、彼の前途にはなにが待ち受けているのであろうか。作家の構想の内にあるのかどうかわからないが、「続編」もたのしみである。
箱館戦争と言えば、そもそも、榎本武揚の夢とは何であったのかにも興味のある読者は多かろう。戊辰戦争における榎本武揚の行動には謎があり、榎本狂言説すらあるが、本書で作家は榎本や慶喜を嫌悪する八郎太を描くことにより、作家の榎本像の一端が示されているのも読みどころである。
新人離れした鮮やかな才能が、鳥羽伏見から箱館までの戊辰戦争を生き抜いた一人の元幕臣の存在と当時の時代の雰囲気そのものを見事に描きつくした。
群雄割拠の幕末維新もの歴史時代小説界に、またひとり、凄い書き手が加わった。
(平成29年6月29日 雨宮由希夫 記)