雨宮由希夫

書評【雪つもりし朝 二・二六の人々】

書 名『雪つもりし朝 二・二六の人々』            

著 者   植松三十里

発行所   角川書店

発行年月日 2017年2月4日

定 価    各 ¥1500E

 

雪つもりし朝 二・二六の人々

雪つもりし朝 二・二六の人々

 

 

書 名『雪つもりし朝 二・二六の人々』            

著 者   植松三十里

発行所   角川書店

発行年月日 2017年2月4日

定 価    各 ¥1500E

 

昭和9年(1934)3月1日の満州国の成立から2年後の、昭和11年(1936)2月26日未明、大雪の朝、二・二六事件が起こる。陸軍第一師団管下の歩兵第一、第三連隊を主力とする約1500人の部隊が蹶起し、政府要人を襲撃し4日間にわたり永田町一帯を占拠した未曽有のクーデター未遂事件である。

昭和維新」を掲げて蹶起した皇道派将校たちの主張は庶民の貧困は財閥が利潤を独占しているせいであり、庶民が貧困から抜け出すためには、中国大陸の利潤を握るのが最有効で、まず「君側の奸」を排除し、天皇に権力を集中させて、軍事力を強化すべし、というものであった。

二・二六事件には、皇道派の軍上層部がどの程度事件に関与したかなどいまもって解明されない謎もある。

二・二六事件巻き込まれた5人の主人公を時と場所を変えて描いた本作は「小説 野性時代」の2016年5月号から、今年の1月号までに、隔月で連載された。幕末明治を主として歴史の真実に迫る数々の歴史小説を書いている植松三十里が二・二六事件をいかに描くのか興味をもって本書を紐解いた。

連作短編5品で構成された物語は一話の短編それ自体として完結しているが、短編が重なるたびに短編相互が重層的に響きあい、事件の全容が明らかになってゆくという手法によって、複雑な事件が理解やすく描かれている。

第一章「身代わり」。岡田啓介二・二六事件時の首相である。岡田は首相官邸で襲撃されたが、義兄たる岡田の窮地を救うために、あえて「身代わり」になって松尾伝蔵が銃殺された。

松尾の妻で岡田の実妹・稔穂は兄の身代わりに命を捨てた夫を誇りに思うと共に、女中部屋の押し入れに隠れて危うく難を逃れたことを非難され、生き恥をさらすとばかりに我が身を苛む兄を励ます。他の章にも描かれる巻き添えになったひとびとを支える家族愛も読みどころである。

第二章「とどめ」。舞台は一転して、二・二六事件から9年後の昭和20年(1945)4月、二・二六事件でからくも助かった岡田啓介が小石川丸山町の鈴木貫太郎宅を訪ね、「何のために俺たちは生きのびたのか?」と鈴木に迫り、鈴木に首相として内閣を率い戦争続行を強行する軍部を押さえて戦いを終わらせるという重大な使命を負う終戦内閣の首相就任を要望するシーンからはじまる。

二・二六事件当日、侍従長兼枢密顧問官の鈴木貫太郎千鳥ヶ淵近くの侍従長官邸で襲撃を受け瀕死の重傷を負ったが、妻タカが身を投げ出してかばったことで「とどめ」をさされず生きのびた。

鈴木の妻タカはかつて幼かった天皇と弟宮(秩父宮)の養育係で、岡田は鈴木夫妻が天皇の信頼があついことを知っていた。

鈴木貫太郎襲撃を指揮したのは歩兵第三連隊第6中隊長(大尉)・安藤輝三であった。安藤は急進派将校の中心的人物の一人だが、最後まで決行を躊躇したといわれる。安藤は鈴木と面識があり、また、安藤は昭和天皇実弟秩父宮とも親しい関係にあった。本章までで二・二六事件の主要な人物が揃い、事件の背景がほぼ俯瞰できる。

第三章「夜汽車」の主人公は秩父宮擁仁親王である。終戦なった昭和20年(1945)の秋、富士のふもとの御殿場に秩父宮鈴木貫太郎・タカ夫妻が見舞うシーンからはじまる。宮は昭和15年(1940)結核になり、御殿場で結核の療養生活を送っていた。

二・二六事件の謎といえば、事件と秩父宮の関係も微妙である。第一師団歩兵第三連隊の中隊長当時、後に二・二六事件の首謀者となる青年将校と付き合いがあったことから、事件の黒幕と噂されていたという。

事件当時、宮は第8師団歩兵第31連隊の大隊長(少佐)として弘前にあった。

事件が起きると、秩父宮弘前から東北本線を避けて、奥羽、羽越、信越上越線経由の遠回りで上京し、参内する。

天皇重臣の殺害に激怒していた。天皇は終始一貫して反徒鎮圧を言明していたにもかかわらず、陸軍上層部は反乱軍に同情的で、天皇の意思とは別の動きを示し、鎮圧するための意思統一ができず、事態収拾の方針は二転三転している。このような状況の変化を作家は秩父宮の一日をたどることで活写している。宮中での兄の天皇との対話シーンは歴史小説の醍醐味がいかんなく発揮された迫真のシーンである。「もし秩父宮が東京に残っていたら、反乱軍に担ぎ出され、皇弟を後ろ楯にした反乱軍は投降勧告などに応じなかったろう」と作家は淡々と歴史を切り取っている。確かな史眼である。

第四章「富士山」は吉田茂の娘・麻生和子が主人公。事件より15年後の昭和26年(1951)9月。サンフランシスコ講和条約調印を済ませた吉田茂が搭乗しているパンアメリカン航空の機内より、吉田茂の私設秘書として随行した和子が富士山を見つめるシーンからはじまる。  

内大臣牧野伸顕は富士のふもとの湯河原の別荘で、別動隊に襲撃され、女装してからくも逃れた。牧野は明治の元勲・大久保利通次男で、和子の母方の祖父に当たる。銃口に身をもって祖父をかばい、家族とともに無防備のまま雪の山中を逃げ惑った二・二六事件の体験から、独立国に防衛力は欠かせないと、和子が父の茂に思いを告げるシーンは刺激的である。戦争の終結から6年も経った後に調印された講和条約日米安保条約とセットされたものであるとともに、日本の国際的位置を現在も規定し続けているからである。

第五章「逆襲」は21年後の昭和32年(1957)2月末、映画『ゴジラ』の監督・本多猪四郎が横須賀の米軍基地を訪れる場面からはじまる。

第一章から第四章までの作品が襲われた側の人々を主人公にしているのに対し、本章は決起部隊、すなわち襲った側の一人の兵士にスポットライトをあてていることが際立つ。

二・二六事件で襲撃に加わった兵士1500名のうち、20名ほどの将校を除く1480名は、クーデター行動を事前に知らされておらず、演習の名のもとにかり出されたともいわれる。彼らはただ上司の命令に服従して出動し、逆賊呼ばわりさせられ、事件後は、中国戦線では最前線のソ満国境に配置されるなど、苦難の道を歩かされた。その意味で巻き込まれた人にちがいない。本多猪四郎もそのひとりであった。

決起部隊の歩兵第一連隊の兵士として、本多が兵舎で待機し続けた二月の4日間を回想することで、作家は事件の背景や経過を含めた全体像を歴史の闇の中から白日の下に浮かびあげている。

二・二六事件の後、皇道派が一掃され、統制派が完全に主導権を握り、政党や自由主義者たちを脅すのに、この事件は使われ、ついにはこの事件を梃子として、軍部独裁のファッショ体制が確立し、日本は雪崩のような軍靴の響きを立てて戦争への道を加速させた。

ひるがえって見るに、83年前の二・二六事件は150年前の明治維新と現代のちょうど中間に位置する。

戦時下最後の首相・鈴木貫太郎慶應3年(1867)佐幕派関宿藩藩士を父として生まれた。幕府の崩壊、幕引きと終戦を重ね、自らを「敗北者の子」としている。また、秩父宮の妻・勢津子には「逆賊の家に生まれ育ったから逆賊となった安藤輝三の心情がわかる」と言わしめている。勢津子の祖父は会津藩松平容保である。幕末明治と昭和史が重なり合うシーンである。

短編本文で、日本の敗北と占領、講和と独立、そして復興という劇的な変転を描き、雑誌連載中にはなかった「序章」と「結章」を加えることによって、二・二六事件を現代に引き寄せながら、憲法改正自衛隊の海外派兵、「普通の国」など現代日本が抱える重い課題を浮かび上がらせている。

読み継がれるべき<昭和もの>歴史小説である。

 

 

                  (平成29316日 雨宮由希夫 記)

 

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