頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー53
「太田道灌と武蔵・相模 ―消えゆく伝承や古戦場を訪ねて」(伊藤一美、戎光祥出版)
太田道灌は、扇谷上杉家の家宰であり、長尾景春の乱を鎮め、江戸城を築いた歌人武将です。主君扇谷上杉定正に暗殺されるという悲劇性と相俟って、現在でも人気のある武将の一人でもあります。
そんな太田道灌に関わる伝承や所縁の古戦場を中心に叙述したのが本書です。
3部構成で、目次は以下のようになっています。
第1部 太田道灌と武蔵武士団
Ⅰ 江戸氏一族の盛衰―道灌はなぜ江戸に入れたのか
Ⅱ 豊島氏の戦いと城―道灌にあらがった名門一族
Ⅲ 道灌を支えた武士団と反旗を翻す長尾景春
第2部 太田道灌と相模武士団
Ⅰ 矢野・小沢・溝呂木ら在地武士団の実態
Ⅱ 伊勢宗瑞の侵攻と名族三浦氏の滅亡と伝承
Ⅲ 西相模の雄・大森氏の盛衰と痕跡
Ⅳ 道灌を殺害した上杉定正と糟屋館を顕彰する
第3部 道灌以後も栄えた江戸湾の“湊”
Ⅰ 流通の大動脈だった江戸内海と往来
Ⅱ 湊を活用して富を集めた有力者たち
扇谷上杉家の家宰太田氏は、当主道真が主人上杉持朝の活躍とともに歴史に現れますが、道真の本拠地は武州越生でした。道真の子道灌は、始め品川(品河、目黒川のこと)、後に江戸に移って江戸城を築いていますが、江戸の地には、鎌倉時代から江戸氏が名字の地として勢威を奮っていました。
江戸氏は秩父平氏の流れで、秩父地方から多摩川沿いに拠点を広げてきた豪族です。そんな江戸氏が、なぜ新興ともいえる太田道灌に江戸の地を譲らざるを得なかったのか、わたしにとっても大きな疑問でしたが、本書の第1部を読んで分かったような気がします。
当初は一族として結束を誇っていた江戸氏だと思われますが、南北朝時代を経て一族間での反目、上杉氏など力を得た豪族の侵攻などに抗えなかったのでしょう。
栄枯盛衰といってはそれまでですが、併せて、優れた当主のもとに結束できなかったことも没落を早めた原因かもしれません。
ちなみに、なぜ道灌が品川(品河)に拠点を築いたのか(築けたのか)、私にとって疑問の一つでもあります。
豊島氏は、道灌の勢力が伸びてくるに従い驚異を覚えたのではないでしょうか。豊島氏も桓武平氏の流れで、江戸氏の没落を目の当たりにしています。そのため、長尾景春の乱を契機に反道灌に動いたものと思われますが、没落したと言うことは、力量が違いすぎたということでしょう。
やはり道灌は、当時の武将の中では際立っています。そんな道灌を支えた氏族に、渋川氏(左衛門佐)、その家臣板倉氏(美濃守)、そして吉良氏(兵部大輔等)がありました。
渋川氏と吉良氏は、足利氏の一族で、足利時代の御三家と呼ばれた一族です。(詳しくは第22回を参照願います。)
渋川氏は九州探題の家柄で、家臣板倉氏は博多代官でした。九州を去った後武州に来ていました。当初吉良氏は、奥州管領として活躍しますが、後に破れて没落し、鎌倉公方のもと武州に領地を得ていました。道灌は、そんな両氏に支えられていたのです。
吉良氏は奥州系と三河系に大きく別れて徳川氏に従います。三河系が本家筋とされ、江戸時代は高家となりますが、吉良上野介義央亡き後三河系は断絶し、奥州系が吉良家の本流となります。
なお、渋川氏は後北条氏に従い国府台合戦で敗れて滅亡したとも伝わっていますが、詳しい事は不明です。
第2部は道灌と相模武士団との関わりですが、相模国ですので、三浦氏、大森氏、後北条氏、そして糟屋館を本拠とした扇谷上杉定正との関係が長尾景春の乱とともに述べられています。
ここでは、太田道灌暗殺についても取り上げられています。著者は、暗殺の黒幕を扇谷上杉朝良とみているようです。朝良は定正の弟朝興の子で甥に当たり、定正の養子となった人物です。
朝良を黒幕とする根拠は、朝良の近臣が「道灌が召し遣う連中」が「匹夫風情」であると嫌っていたこと、道灌を斬りつけたとされる曽我兵庫が、朝良の執事であったことをあげています。
朝良の生年は、文明5年(1473)が有力で、道灌が暗殺されたのが文明18年(1486)ですから、そのとき13歳です。黒幕とするには少し無理があるように思われます。
しかしながら、執事や近臣の不満や批判を日常的に聞いていれば、まだ13歳の朝良が道灌を嫌いになるのはあり得ることです。そこに養父定正も道灌を苦手としていたことが加わると、次期当主として除こうと考えたとしても無理はないような気がします。定正の後を継いだ朝良のその後を考えると、あながちあり得ないことではないのではないでしょうか。
なお、八丈島の支配を巡る伊勢宗瑞と三浦道寸の代理戦争についても紹介されています。太田道灌との関わりが描かれているわけではありませんが、三浦道寸は扇谷上杉方ですので、大きな目で見れば関係がないわけではないでしょう。
八丈島の代理戦争は、従来紹介されてこなかったことでもあり大変興味深い部分でした。できれば大島についても取り上げて欲しかったところです。
さらに、興味深いのは、港町江戸を中心とした第3部です。当時の江戸及び江戸湾、そして商人たちの活躍はなかなかまとまって読む機会がありませんので、興味のある方にはおすすめです。
太田道灌についてまとめようと思い本書を読み始めたのですが、白内障の術後経過が思わしくなく読み進めるのに時間が掛かってしまいました。そのうえ理解するのにあっちこっちページを繰る羽目になってしまい、とてもまとめるというところまではいきませんでした。
しかしながら、本書の構成はテーマ毎になっており、時系列に沿ったものとなっていないというところが、分かりにくい、理解しにくい大きな要因ではないかと思い直しました。おそらく、そのことが、読むのに時間が掛かり、理解に困難が伴った原因かもしれません。
できれば、「図説 太田道潅 ―江戸東京を切り開いた悲劇の名将」(黒田基樹、戎光祥出版)との併用をおすすめします。
とはいえ、著者の太田道灌に対する思いが伝わる一冊です。
先に太田道灌暗殺について述べましたが、タイトルもずばり『太田道灌の最後』という新田次郎の短編があります。「六合目の仇討」という短編集(↓)に収められています。
「六合目の仇討(Kindle版、新田次郎、新潮文庫)
本作では、定正が道灌を暗殺した原因をユニークな視点から描いています。小説らしいといえば小説らしいので、少し古いですが興味のある方には一読をお勧めします。