頼迅一郎(平野周) 頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー

第49回「闘諍と鎮魂の中世」(山川出版社)

頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー49

闘諍と鎮魂の中世(山川出版社) 「闘諍と鎮魂の中世」(鈴木 哲、関 幸彦、山川出版社)

 三国志の関羽を関帝廟で祀る中国など歴史上の敗者に対して同情を寄せる国は多い。だが、日本では特にその傾向が強いのではないでしょうか。
 その理由は様々考えられますが、私は縄文時代以来の争いを忌避する日本人の伝統が関係しているのではないかと思っています。和を重視し、みんなで事に当たる性質は、時に事なかれ主義を生み、政争においては非情な事件も起きますが、それゆえに鎮魂という形で敗れた者を慰めてきたのではないかと考えているのです。そのことが、多国にはない凄惨な事件の少なさと関係しているのではないかとも思っています。
 さて、本書は中世の「闘諍」と「鎮魂」がテーマです。中世という時代の特質とともに「敗者の語られ方を文化の深層も含め探」ることを目的として、二人の著者が分担して書いています。必ずしも両者の叙述は一致していませんが、それでも取り上げた人物は興味深い人物ばかりです。
 本書は四章構成で、取り上げられている人物は18人。目次と併せて著者を示すと以下の通りです。
第1章  王朝の鎮魂譜(鈴木哲)
    源融
    菅原道真
    平将門
    紫式部
第2章  辟邪の武威(鈴木哲)
    源頼光
    源頼政
    鎌倉権五郎景政
    源為朝
第3章  源平の相剋(関幸彦)
    悪七兵衛景清
    建礼門院と安徳帝
    斎藤別当実盛
    佐藤継信・忠信
    曽我兄弟
第4章  華夷の闘諍(関幸彦)
    後鳥羽院
    護良親王
    楠木正成
    新田義興
    小栗判官
 上記18人の事績を全て言えたとしたら相当な歴史好きですね。
 ぱっと見て、第3章までは平安時代(一部鎌倉時代)の人物です。現在、NHK大河ドラマの主人公紫式部も取り上げられています。話題性もあり、紫式部が取り上げられていることから本書を取り上げたというわけではありませんが、せっかくですので、18人のうち紫式部の「闘諍」と「鎮魂」をどのように取り上げているか紹介したいと思います。
 紫式部は、寒門貴族藤原為時の娘に産まれ、同じ藤原氏の一族である藤原宣孝の妻となりますが、彼女は世界最古の小説『源氏物語』の作者としての方が有名です。
 藤原道長の娘で一条天皇の中宮彰子に仕える女房(女官)となり、そのときに『源氏物語』を完成させています。才女として知られ、他の後宮に仕える女官たちとともに文化サロンを形成しますが、この才女同士の競争が熾烈だったようです。
 本書では『紫式部日記』から清少納言への辛辣な人物評を紹介していますし、彼女自身そのような世の中を「濁り深き世」と表現しています。
 後宮を辞した後の紫式部については伝わっていません。しかしながら、才女の落剥伝説は凄まじく、本書では「『源氏物語』という虚言(そらごと)を書いて世を惑わしたため、地獄に落ち、救済を求めて苦しむ」人物評を紹介しています。『源氏物語』は小説ですので、虚言が当たり前なのですが、漢詩や歴史を重んじる当時の傾向からは、やむを得ないことだったようです。
 しかしながら、そんな紫式部の魂も救済のときを迎えます。
 藤原定家の父俊成は、「源氏見ざる歌詠みは、遺恨のことなり」と評価し、以降中世の歌人たちにとって『源氏物語』は宝典のような存在になっていったといいます。
 そして、本居宣長という最大の理解者を得て、「(紫)式部自身の物語観の継承者にようやく恵まれた」とし、式部の魂は「各時代の文人たちの手により不死の生命を付与されることを通じて鎮魂」されたと結んでいます。
 では、紫式部の闘諍は何だったのでしょうか。
 紫式部の父は藤原為時です。為時は漢学に優れ、藤原北家流に属するのですが、北家流といえども主流を外れています。当寺は、家柄や血筋によって官職が固定化されつつあり、為と肝猟官運動に相当な苦労をしています。
 父為時の知識、素養を尊敬していた紫式部は、「理想的な貴族官人にとって必要なものは、家柄・血筋などではなく、政治風教の基礎となる学問=漢学であることを(『源氏物語』(乙女巻)によって)訴えた」といい、女性の価値を低く見る時代への現状批判こそ紫式部の闘諍だったのです。

 最後に紫式部を主人公とした小説の紹介をしたいのですが、今回はその子孫について触れて見ましょう。
 紫式部と藤原宣孝の子は、大弐三位という女性一人のみです。系図的には男性でつなぎますが、血の流れで行くと、平重盛に行き着きます。
 その夫宣孝は、正五位下、右衛門権佐を最後に亡くなっていますが、男性でつなぐ系図で見ると、その子孫は、歴史に埋もれることなく、中世において大活躍しています。
 興味のある方は、系図をたどって見てください。思わぬ人物を発見することでしょう。歴史の面白さを改めて認識するのではないでしょうか。

 ちなみに、紫式部の父為時も正五位下、越後守が最後ですが、正五位とは、最下位とはいえ昇殿を許された位階です。そこまで行き着けない官人も大勢いました。私自身は「寒門」という表現には違和感があります。

 

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