江戸歌舞伎を代表する名門の市川宗家で、屋号を成田屋とする、二代目市川團十郎が生まれた日です。
元禄元年(1688年)10月11日のことでした。
初代市川團十郎と初代市川翠扇との間に長男として生まれた2代目は、舞台上で生島半六に刺し殺された初代の跡を16歳で襲名します。
正徳4年(1714年)に起きた江島生島(絵島生島)事件に連座しますが、江戸歌舞伎の第一人者へと上り詰めた2代目は、享保6年(1721年)には、給金千両の「千両役者」となり、自ら工夫した隈取りの荒事に和事味を加え、市川家の芸の礎を築きました。
享保20年(1735年)、名を海老蔵と改めた2代目は、以降江戸劇壇で長く活躍し、宝暦8年9月24日(1758年10月25日)に亡くなりました。 文人との交際も広く、俳諧や狂歌に優れ、三升・才牛斎・栢莚(はくえん)・雛助(すうじょ)の俳号をもっていました。
[平成30年(2018)11月3日]掲載