日英和親条約が締結された日です。
安政元年/嘉永7年(1854年)8月23日のことでした。
安政元年/嘉永7年閏7月15日(1854年9月7日)、クリミア戦争で敵対していたロシアの艦隊を追って、英国艦隊率いるジェームズ・スターリングが長崎に入港しました。
英露に対し中立を求めただけのスターリングに、日米和親条約を結んだばかりだった長崎奉行の水野忠徳は外交交渉のための来日と履き違え、目付永井尚志ともに幕府の許可を得た上で、日英和親条約に調印しました。
薪水の供給、下田と箱館の開港、片務的最恵国待遇の承認、罪を犯した乗組員の引き渡しなどが定められ、その後、あらためて日英修好通商条約が締結されました。
[平成30年(2018)10月14日]掲載