頼迅一郎(平野周) 頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー

第58回「現代語訳 応仁記」(ちくま学芸文庫)

頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー58

現代語訳 応仁記 (志村有弘訳、ちくま学芸文庫) 『現代語訳 応仁記』 (志村有弘訳、ちくま学芸文庫)

 ご承知のように「応仁の乱」は、応仁元年(1467年)から文明9年(1477年)まで約11年間続きました。その間の元号から「応仁・文明の乱」と呼ばれることもあります。この乱を契機に戦国時代が始まったともいわれています。
 この乱で京都は焼け野原となり、よく知られている、

汝(なれ)や知る 都は野辺の 夕雲雀(ひばり) 上がるを見ても 落つる涙は

 という歌は、『応仁記』に収録されているものです。
 第2次世界大戦でもほとんど戦火を受けなかった京都の人たちは、先の戦争(合戦)というとこの応仁の乱をいうそうです。
『応仁記』その応仁の乱を記録したいわゆる「軍記」と呼ばれるもので、16世紀前半には成立していたといわれています。
 100年くらい後には成立しているので、史料としての価値は高いということになります。原文は漢文ではなく、漢字カナ交じり文と呼ばれる文体で書かれています。次のように始まります。旧字は新字にしました。(以下同じ。例:應 ⇒ 応)

「応仁丁亥ノ歳。天下大ニ動乱シ。ソレヨリ永ク五畿七道悉ク乱ル」(「応仁記」(巻第一)、『群書類従』(第二十輯 合戦部403ページ)

 読んで読めないことはありませんが、やはり現代語訳のほうが読みやすいのではないでしょうか。
 本作はその『応仁記』の現代語訳で、たいへん読みやすく、かつ訳者の解説付きとなっています。
 今回は、本作の紹介ですが、内容の要約というよりも、作中に登場する骨皮道賢について考察してみたいと思います。

 今上映されている映画『室町無頼』(2025年1月17日劇場公開)にも登場する骨皮道賢は、映画では堤真一さんが演じておられますが、実在の人物です。
 応仁の乱を語るとき、最近は必ず引っ張り出される有名人物なのです。なぜなら、彼こそこのときに登場した足軽大将の嚆矢と目されているからです。

 本作に登場する骨皮道賢は、

「ここに、目付として骨皮左衛門道源といって多賀豊後守が所司代のとき奔走していた者の手の者どもが京の中や山城周辺に多かった」(116ページ)

 と、なっていたのです。わざと太字にしましたが、「道賢」ではなく「道源」となっています。
 ちなみに、『群書類従』の該当部分は、

「爰ニ目付ニ骨皮左衛門道源トテ。多賀豊後守。所司代之時走舞タルガ。手ノ者共京中山城脇ニ多カリケリ」(403ページ)

 訳の間違いではないようなので、他の文献をあたることにしました。
 『応仁記』には、『応仁別記』という続編のような軍記があります。同じく『群書類従』に収録されていますので、該当分を見てみました。

「爰ニ目付ニ骨皮左衛門道源トテ。多賀豊後守所司代之時走舞タルガ。手ノ者共。京中山城脇ニ多カリケリ」(497ページ)

 記述は同じでした。別記なのでやむを得ないと思いました。
 研究者はどうでしょう。比較的記述の多い「日本国王と土民」(今谷明『集英社版 日本の歴史⑨』では、

「ここに紹介する骨皮(ほねかわ)道(どう)賢(けん)は、記録に出現してから死ぬまでがわずか六日間という極端な短さである」(259ページ)

 と、なっていました。
 六日間の記録というのは、京都五山の一つ東福寺の僧太極の日記である『碧山日録』のことです。その中の応仁2年3月15日の条を引用していますが、名は「道元」となっていて「元」の字の横に「賢」の字をルビしてあります。
 原文はどうなのでしょうか。
『碧山日録』は、『増補 続史料大成』(竹内理三編、臨川書店)に収録されています。その応仁2年3月15日では、

「居獄吏之下、克知溫賊乃挙止者、号目附、其党魁、名道元、率其徒三百余人、而蝿集於稲荷、絶西軍之糧道」
(獄吏の下(もと)に居(お)り、よく盗賊の挙止(きょし)を知る者を、目付(めつけ)と号す。その党(とう)魁(かい)名は道元、その徒三百余人を率(ひき)い、稲荷に蝿集(じょうしゅう)して、西軍の粮道を絶(た)つ)

 と、なっています。()の読み下し(訳)文は、日本国王と土民」(259ページ)のものです。
 よく知られているように、中世では正しい漢字でなくとも読みが同じであれば、他の文字を宛てる習慣がありました。特に人名に多いのですが、又聞きによることが多かったからだと思われます。
 しかしながら、それにより音声データとして残らない中世人の人名の読みがわかることがあります。
「応仁記」「応仁別記」は軍記ですが、『碧山日録』は、応永28年(1421)に生まれ文明10年(1478)頃に亡くなった僧侶太極(諱は不明らしい)の同時代の日記ですので、史料としての価値は高く、骨皮道賢は、「骨皮道元」又は「骨皮道源」と記すのが正しいのではないでしょうか。
 現在の歴史書では、「骨皮道賢」となっており、なぜそうなったかは、結局わかりませんでした。過去の歴史学の積み上げにより「道賢」と記しているのかもしれません。
 しかしながら、その場合でも読みは「どうげん」とすべきではないでしょうか。

 今回は細かいところに拘ってしまいましたが、いつものように他に紹介する小説は以下の通りです。

『室町無頼 上』(垣根涼介、新潮文庫)
『室町無頼 下』(垣根涼介、新潮文庫)

 映画と共に原作をお楽しみください。

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