頼迅一郎(平野周) 頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー

第56回「江戸の旬・旨い物尽し」(学研新書)

頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー56

『江戸の旬・旨い物尽し』 「江戸の旬・旨い物尽し」(白倉敬彦、学研新書)
 インバウンド(訪日外国人)の人数は、日本政府観光局(JNTO)の発表によると、令和6年(2024)11月で3,187,000人でした。前年同月比で30.6%増、令和2年(2019)同月比でも30.5%増だそうです。これは11月としては過去最高の数字で、そのうえ、令和6年(2024)1月から11月までの累計訪日外国人客数は33,379,900人に達し、過去最高だった令和2年(2019)の年間累計を上回ったとのことです。
 では、彼らの訪日目的は、いったい何でしょうか。観光庁の調査によると、訪日前にもっとも期待していたことは、「日本食を食べること」で70.5%だったそうです。では、実際に「今回の日本滞在中にしたこと」を尋ねたところ、やはり「日本食を食べること」で、96.2%だったそうです。(注)
 鮨、刺身、天ぷら等々、和食(日本食)は、2013年にユネスコの無形文化遺産に登録されましたが、現在の和食(日本食)の原型は、江戸時代に作られたと言っても過言では無いでしょう。
 保存設備の拙い江戸時代には、旬のものを旬に食べるということが前提でした。そしてそれは、いつでもどこで食べられる今日から見れば最高の贅沢でもありました。
 本書はそんな江戸時代の食について書かれたものです。
 全体2部構成で、第1部は江戸時代の旬の食材を季節ごと(夏、秋、冬、春の順)に調理法を含めて紹介しています。
 第2部は、江戸人は何をどこで食べていたかについて述べています。
 
 本書の奥付を見ると2008年3月発行とあります。ちょっと手に入りにくいと思いますので、今回は本書の構成に沿って見てみましょう。
 第1部冒頭では、「味の最もよい時」すなわち食の「旬」について考えてみようと提起して、具体的に季節毎にその「旬」のものを紹介しています。

夏の章
 卯 月 初がつお、たけのこ田楽、鮎の甘露煮、蒸しあわび
 皐 月 柏餅、あじ・こはだ・穴子の鮨、なす・きゅうり、梅の実
 水無月 冷麦、じゅんさい、鰻の蒲焼、上方のはも、どじょう鍋
秋の章
 文 月 贈答用のさば、江戸前のきす、水菓子にすいか、いんげん豆
 葉 月 衣かつぎ、ぶどう・柿、すずきの洗い、山芋のとろろ飯
 長 月 秋にはさんま、松茸・しめじ、梨、柚子、新蕎麦で一杯
冬の章
 神無月 豆・栗・柿・亥の子餅、風呂吹き大根、南禅寺の湯豆腐
 霜 月 ふぐ鍋・白子・ひれ酒、深川の牡蠣、なまこの珍味
 師 走 あんこう鍋、寒ぶり・新巻鮭、しらうお、餅つき
春の章
 睦 月 田作・数の子・黒豆、煮染、七草粥、骨正月、鱈鍋
 如 月 さより、ふきのとう、わらび、春菊、水菜で鯨のはりはり鍋
 弥 生 菱餅・白酒、はまぐり、さわら、うど、花見の御馳走

 夏から始まっているのがいいですね。いわゆる年度を意識したものだと思われます。ただし、卯月は4月ですが、新暦ではほぼ5月ですので注意が必要です。
 紹介されている旬のものは、目次通りなのですが、それでも現代の私たちには「?」と思う物がありますので、順を追って本書をのぞいてみましょう。
 まず、初鰹については余りにも有名なので説明は必要ないでしょう。たけのこ田楽とはどのような料理でしょうか。それは、堀りたての筍を紙に包んで焚き火の下に入れて焼き、それを味噌田楽にして食べるものらしいのです。最も風味豊かと紹介されています。
 皐月のあじ・こはだ・穴子の鮨ですが、江戸の鮨は、こはだの押し鮨から始まったといわれているようで、この行商鮨のことを「仕出し鮨」と呼んで、大きな問屋が沢山こしらえて売り子に渡したものらしいです。また、江戸前の穴子は、幾分小振りで身が締まっていたらしいです。
 茄子、胡瓜は夏野菜ですが、秋茄子は嫁に食わすな、という言葉があります。本書ではそのことにも触れています。
 はもの料理は上方では有名ですが、江戸ではあまり食べなかったようです。それに対抗するものとして本書では、鰻と泥鰌を上げています。
 いんげん豆というと、明の帰化僧隠元禅師が中国から伝えたことからその名があると言われていますが、隠元禅師が持ってきたのは、「藤豆」といっていんげん豆とは別種のものだという説もあるようです。
 衣かつぎとは、里芋を皮付きのまま煮て食べるから付いた名で、葡萄、葡萄酒も当時からあったようです。
 蕎麦は江戸の名物ですが、もともとは蕎麦掻きで、現在のような「蕎麦切り」になったのは、寛文4年(1664)頃だそうです。けっこう早い時期ですね。
 神無月の亥の子餅というのは、10月(神無月)の上亥の日に玄猪の祝いといって、亥の刻(午後10時頃)に餅を食べたことからついた名前のようです。万病を除くためといわれています。ちなみに、武家は紅白の餅、町家は牡丹餅だったようです。
 当時、牡蠣は深川沖でも採れたそうで、深川名物の一つだそうです。ただし、現在のように生では食べなかったようです。
 あんこう鍋は、江戸でも美味で知られていたようです。ちなみに、寒いこの時期は、薬喰いと称して馬(桜肉)、鹿(紅葉)、猪(牡丹肉)、山鯨などといって獣肉を食べたと紹介しています。たいていは鍋だったようです。
 田作は「ごまめ」と読みます。「おせち」の定番ですが、上方では「おせち」といわず「お煮染め」といいたようです。「おせち」に欠かせない数の子ですが、江戸では下卑た食品だったといいます。現在では高級品ですね。
 さて、七草ですが、春の七草は「せり、なづな、御形、はこべら、仏の座、すすな、すずしろ」の7種です。ただ、なづなはぺんぺん草、御形は母子草、すすなは蕪、すずしろは大根のことだと知ると、興が失せてしまうのは私だけでしょうか。
 水菜は上方の名称で、江戸では京菜あるいは特産地の名前をとって壬生菜といわれていたようです。
 以上、私の興味で述べてきましたが、本書ではそれぞれについて解説しています。それが、江戸という次代を思い起こさせて興味深いものがあります。
 紙数の関係で第2部については省略しますが、しゃれっ気の多い江戸人は、「おかず番付」なるものを作っていたといいますから、興味のある方はぜひ……。

(注) 引用元:「知るギャラリー」https://gallery.intage.co.jp/hounichigaikokujin/

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