頼迅一郎(平野周) 頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー

第55回「征夷大将軍・護良親王  (シリーズ・実像に迫る7)」(戎光祥出版)

頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー55

「征夷大将軍・護良親王  (シリーズ・実像に迫る7) 」(亀田俊和、戎光祥出版) 「征夷大将軍・護良親王  (シリーズ・実像に迫る7)」(亀田俊和、戎光祥出版)

 護良親王とは、言わずと知れた後醍醐天皇の皇子で、足利尊氏と争い、弟の足利直義に命じられた淵辺義博によって殺害された悲運の人物です。
 「モリヨシシンノウ」と読むか「モリナガシンノウ」と読むかで世代が分かってしまいますが、最近は「モリヨシシンノウ」の読みが普及してきました。私は今でも「モリナガシンノウ」と読んでしまいますが、この文章を書くのに使っているATOKでも「モリヨシ」でないと変換できないようで、改めて「モリヨシ」と入れ直しています。
 さて本書では、なぜ2つの読みがあるのかについて触れています。それによると、「モリナガ」読みの根拠は、『緯訓抄』(一条兼良作と伝わる)に「モリナガ」とルビがあることのようです。ただし、この本は江戸時代前期の写本であるため、史料としては新しいという問題点がありました。
 一方、「もりよし」の読みは、大正の頃から「○良」を「ヨシ」と読むべきだとの主張はあったようですが、その後、『保曆間記』の写本に「なりよし親王」と仮名書きされたものがあることから「モリヨシ」と呼ぶことが主流となったようです。ただし、「モリヨシ」と直接仮名書きされたものは見つかっていないようです。護良だけ「モリナガ」と読むのは、合理的では無いということなのでしょう。
 そういえば、一条兼良も昔は「いちじょうカネラ」と読んでいましたが、本書では「いちじょうカネヨシ」とルビが振ってあります。もちろん私は、今でも「カネラ」と読んでしまいます。
 日本語の難しさといってしまえばそれまでですが、歴史上の人物が、本当はどう呼ばれていたのか。どういう読みが正しいのか、それを調べるのも逆に日本史の楽しさといってよいのではないでしょうか。
 参考までに、昔は漢字の当て字が多く、それほど正確さを期していなかったようです。そのため、その当て字によって正確な読みがわかるということもあるようです。
 護良親王は享年28歳で殺害されたこと、後醍醐帝に疎まれ、足利尊氏とも対立したこと、その後に南北朝の内乱が本格化したことから、その事績についてはわからことが多く、本書では諸説を紹介しながらその人物像に迫っています。
 本書は2部構成で、目次は以下の通りです。
 第1部 倒幕の急先鋒
  第一章 天台座主・尊雲法親王
  第二章 決死の倒幕ゲリラ戦
 第2部 護良の戦い、興良の戦い
  第一章 足利尊氏との死闘
  第二章 護良の遺児・興良親王
  
 後醍醐天皇は、皇子17人、皇女15人の計32人の子がいたといわれていますが、護良が何番目の子なのかはハッキリしないようです。
 母親は民部卿三位と呼ばれた女性ですが、実はこの女性についてもハッキリとはわかっていません。母親の出自がよく分からない護良は、皇位継承者として見られていなかったのではないかと著者は見ています。15歳前後に梶井門跡に入室しているところを見てもその通りなのでしょう。
 入室後は、尊雲法親王と名乗りますが、「法親王」とは、僧籍に入った親王のことです。
 ところで、後醍醐天皇は、初めから倒幕を志していたわけではないようです。ですが、護良親王は、入室後も仏道修行よりも武芸に熱心で、早くから反幕府の志を持っていたようです。後に比叡山を下りて楠木正成と連携し、自らゲリラ戦を指揮して反幕府の行動にでます。
 その理由は何でしょうか。本書では、「護良が入った当時の梶井門跡は、承久の乱における敗者が支配的な寺院で、反幕的な気風が強くみなぎっていた」からだと推測しています。
 おそらく、幕府とともに「武家」に対する反感も醸成されたものと思われます。
 さて、後醍醐天皇が隠岐の島に流された後、護良親王は盛んに令旨を発して倒幕の活動を続けますが、この令旨には所領の安堵等も含まれており、天皇の綸旨と矛盾するものがありました。これが建武の新政直後の政治に少なからぬ混乱をもたらしたようです。
 後醍醐天皇は、護良親王に比叡山に帰って仏教界を掌握してもらいたかったようですが、護良親王は、足利尊氏を警戒するとともに自ら征夷大将軍を望みました。これが尊氏と対立することとなり、最後は悲劇的な最後を迎えることとなります。
 なお、北畠顕家で名高い陸奥将軍府構想について、護良親王のアイディアではないか、という説があります。本書ではそのことについても考察されています。
 最後に護良親王の子興良親王ですが、始めは常陸、後には中国地方で活躍しています。後に消息不明となっていますが、護良親王とともに興味引かれる人物ですね。
 今回も駆け足で著書の紹介となりましたが、護良親とその子興良親王は、興味溢れる小説の素材ではないでしょうか。

 

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