頼迅一郎(平野周) 頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー

第52回「三好一族 ―戦国最初の『天下人』」 (中公新書)

頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー52

三好一族―戦国最初の「天下人」 (中公新書) 「三好一族 ―戦国最初の『天下人』」 (天野忠幸、中公新書)

 応仁の乱の最中、文明5年に9代将軍になったのは足利義尚です。その後、10代が足利義材、11代が足利義澄、10代義材が返り咲いて足利義稙、そして12代が足利義晴……。
 ここまでは将軍交代の背景、畿内大名の動き等何となく分かるのですが、足利義晴即位から織田信長上洛辺りまでになると畿内近国の動きはよく分からないというのが正直なところです。
 その理由は、大名から守護代、さらには国人まで入り乱れての抗争のため、とにかく登場人物が多いこと、さらにそれら人物が現れてはすぐに消えてしまうため、その魅力が伝わってこないのです。
 ある意味、享徳の乱以降の関東の状況に似ていなくもありません。関東では、太田道灌という知名度のある武将が登場し、その悲劇性と相俟って興味をかきたてられます。さらには北条早雲という魅力的な人物も登場します。
 しかしながら、畿内近国では有名武将の登場もなく、なかなか一般書でもその頃の状況を知るのは困難な状況でした。とはいえ最近は、三好長慶という人物が取り上げられるようになりました。ある意味畿内近国の太田道灌のような存在でしょうか。
 しかしながら、三好長慶は太田道灌に比べてはるかにスケールの大きい人物です。
 本書は、そんな三好長慶を産んだ三好一族を取り上げた本です。三好氏は、清和源氏のうち信濃源氏小笠原家の末流で、鎌倉時代に阿波国守護となった小笠原氏の子孫と伝わっています。
 室町時代に阿波国守護となった細川氏に仕え、長慶の曾祖父三好之長の代になってから、しばしば歴史の表舞台に登場するようになります。
 本書は長慶の曾祖父之長から徳川家康の家臣となるまでの三好一族を取り上げていますので、先に述べたよく分からない時代も鮮明になることでしょう。
 さらには、長慶亡き後の三好氏の動きもよく分かります。
 同時に従来わたしたちがイメージしていた織田信長登場後の畿内近国も新たな発見があって非常に面白い本です。
 本書は6章構成で、目次は以下のようになっています。

 第一章 四国からの飛躍 ―三好之長と細川一族
 第二章 「堺公方」の柱石 ―三好元長と足利義維
 第三章 静謐を担う ―三好長慶と足利義輝
 第四章 将軍権威との闘い ―三好長慶・義興と足利義輝
 第五章 栄光と挫折 ―三好義継・長治と足利義昭
 第六章 名族への道 ―三好康長・義堅と織田信長・羽柴秀吉
 終 章 先駆者としての三好一族

 各章の副題にある人物名が三好家の惣領でもう一つの人物名が時の権力者といって良いでしょう。
 管領細川政元が将軍足利義澄を担いでから畿内近国は、足利氏と細川氏を中心に動いていきます。そこに畑山氏が絡む展開です。
 細川氏の惣領家を京兆家といいますが、惣領政元に子はありませんでした。そのため、公家の九条家から澄之を養子としますが、同時に阿波細川家から澄元も養子としたのです。ここに政元後を巡って壮絶な家督争いが生じます。
 京兆家に次いで力のあった分家が、阿波守護家でした。政元としても阿波守護家の影響力は無視できなかったのでしょう。その澄元を助けて上京してきたのが、三好之長でした。
 一方、早くに脱落した澄之に代わって細川高国という人物が、大内義興と彼に担がれた足利義稙と結び、京兆家の家督を我が物としました。野州家という分家の出身でしたが、状勢を見る目、乱世を泳ぐ力はこの時代随一といってよいでしょう。
 京兆家の惣領は、高国と澄元の争いになりますが、細川高国、大内義興に敗れた三好之長の子長秀は、伊勢で自害してしまいます。
 そして之長も京都で大敗を喫し、降参したのですが、切腹をさせられてしまいました。之長は「公家社会では悪人として忌避されたが、たびたび徳政一揆を主導し」「京都やその近郊の都市民・百姓らの機微に通じた人物で」「軍事的才覚にも通じた人物」(25ページ)だったのです。之長の活躍なくしては、後の三好氏の興隆はなかったかもしれません。
 三好元長と長慶父子は澄元の後を次いだ晴元と対立しつつ、元長亡き後長慶は、足利家を仲介せずに直接朝廷と結びつくこととなります。
 これは足利義晴の後を継いだ足利義輝が、将軍としての務めを果たさなかったからだとされています。改元の提案や金銭の工面を行わなかったため、朝廷は義輝を見限り、三好氏と直に接するようになります。義輝は、歴代足利将軍の中で公卿(三位以上)に任じられませんでした。
 朝廷の信頼は三好長慶にあり、そのことを知っていた長慶は、天文22年8月に足利義輝を近江国に追放します。これをもって本書では「戦国最初の『天下人』」としているようです。
 この考え方は、とても新鮮で刺激的なものでした。(ちなみに足利義輝は、上杉謙信や毛利元就など地方大名の力を借りて足利将軍の権威を回復しようと考えていたようです。そのため、畿内近国の勢力は眼中になく、そのことが結果として三好氏の足利氏離れを起こしたともいえそうです。)
 足利義輝を討ったのは三好長慶の養子義継(嫡男義興は早くに亡くなっていた)ですが、彼は「甘い予測であったが、誰もが常識に囚われ成し得なかった将軍殺害という方法で、取って代わろうとした」(155ページ)人物だったと評価しています。
 残念ながら肝心の器が「天下人」たり得なかったようです。
 もしかして三好義興が早世せず、長生きしていたら三好家が征夷大将軍に任じられていたかもしれません。
 この他にも三好家に忠義を尽くした松永久秀、足利義昭から将軍位を奪うことができなかった織田信長など新しい視点が随所に叙述された非常に刺激的な一冊です。
 実は織田信長もそれほどの革命性は有していなかったのではないか。畿内近国を中心として振り返ってみると、まさに目からウロコの歴史が見えてきそうです。それは、織田信長を相対化する歴史観かもしれません。
 今回は関連した小説のご紹介は省略します。


 

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