シネコラム

第614回 その木戸を通って

飯島一次の『映画に溺れて』

第614回 その木戸を通って

平成二十年十一月(2008)
銀座 丸の内TOEI②

 

 かつて映画はフィルムカメラで撮影され、現像されて編集され、映画館で上映フィルムとして映写されていた。いつしかデジタルで撮影され、それがフィルムに加工されて上映、やがて二〇一〇年頃から映画館でもデジタルデータでの上映となった。デジタル映写機導入には多額の予算がかかるので、それを機に閉館する映画館が相次いだ。
 TVは映画より早い時期からデジタル撮影で、市川崑監督が一九九三年にハイビジョンで撮ったTV時代劇が放送から十五年後の二〇〇八年に映画館で上映された。シネマコンプレックスを主体として徐々に映画館がデジタル上映に移行し始めたのがこの頃である。
『その木戸を通って』は撮影当時最新の技術であったハイビジョンのための作品とあって、映像の美しさが大画面でより堪能できる。時代劇とはいえ、山本周五郎が原作で、チャンバラ場面はなく、ミステリーのような、ファンタジーのような、不思議な奇談である。
 ある地方の藩で、城勤めの若い武士、平松正四郎の家に記憶をなくした女が訪ねてくる。正四郎には心当たりはないが、口の利き方、物腰から、どうやら武家の娘らしい。女はこの屋敷にとどまることとなり、ふさと名づけられる。
 正四郎は近々家老の息女との婚姻が決まっていたのだが、やがてそれを断り、ふさを妻に迎える。武家社会なので上司の養女という体裁をとる。子供が生まれ、しあわせな日々が続き、ある日、ふさは家を出て行き、行方はわからない。
 時が流れ、ふさとの間に生まれた娘が嫁ぐ日がきても、正四郎はいなくなったふさのことをずっと思い続けている。ふさとはいったい誰だったのか。ある日突然現れ、そしてまた、いなくなる。ふさがいた間、正四郎は幸せだった。ふさがいなくなっても、彼は幸せだった日々のことを思いながら生きている。彼女の正体は最後まで謎のままで説明はないが、正四郎の心の動きはよくわかる。
 淡々としていて、劇的な盛り上がりはほとんどないのに、妙にあとあとまで心に残る。これはいったい、なんだったのだろうか。

その木戸を通って
TV放映1993/劇場公開2008
監督:市川崑
出演:浅野ゆう子、中井貴一、フランキー堺、井川比佐志、岸田今日子、石坂浩二、神山繁、榎木孝明

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