シネコラム

第601回 パリタクシー

飯島一次の『映画に溺れて』

第601回 パリタクシー

令和五年四月(2023)
新宿 新宿ピカデリー

 

 世の中には無愛想なタクシー運転手がけっこう多い。無礼な客や無理を言う客、横柄で偉そうな客たちに度々出会うと、自然と不機嫌になるのもわからないではない。
 パリのタクシー運転手シャルルは看護師の妻と幼い娘と三人で暮らすが、仕事は忙しくて大切な家族と過ごす時間は少ない。金にも困っていて、裕福な兄に頼ろうとしても冷たくあしらわれる。交通違反あと一度で免許を取り消され失業の運命にさえある。
 客を目的地に送り届ける仕事にありつき、家まで迎えに行き、ブザーを押してもだれも出てこない。クラクションを鳴らすと、すぐ横に老女が立っていた。彼女は九十二歳のマドレーヌ。行先はパリの反対側。彼女は言う。近くに行くならタクシーは呼ばないわ。
 独り暮らしの彼女は家を引き払い、これから終身の介護養老施設に向かう。パリの町は見納めであり、途中で様々な寄り道をしながら、人生の断片をシャルルに語る。
 ドイツ軍占領下で父がナチスに処刑された場所。戦後、米兵と恋仲になり、ダンスを踊った場所。米兵は帰国するが、身ごもったマドレーヌは母の勤める劇場でいっしょに衣裳係として働き、新しい恋人と結婚する。一九五〇年代、夫は彼女と息子を虐待し、彼女は事件を起こして裁判となる。当時は女性の地位が低く、権利はほとんど認められていなかった。長い実刑を終えたマドレーヌを迎えたのは成人した息子のマチュー。報道カメラマンとなった彼は母の出所と入れ違いに戦時下のベトナムへ取材に旅立つ。
 マドレーヌの思い出の場所を巡りながら、不愛想なシャルルは心を開き、自分の家族のことも話す。そして、施設に到着する時刻は大幅に遅れながら、ふたりでレストランで夕食。しかも食事代までシャルルが支払う。独り暮らしの老女の話をこんなにも親身になって聞いてくれる運転手にマドレーヌは感謝し、施設の入口で別れる。あ、タクシー代も払っていなかったわ。シャルルは言う。近いうちに妻と訪ねるよ。そのときに貰うから。
 九十二歳のマドレーヌを実年齢で演じたのは一九二八年生まれのリーヌ・ルノー。運転手シャルルは『ミックマック』のダニー・ブーン。現代と過去のパリの風景が交差する心温まる佳作である。

パリタクシー/Une belle course
2022 フランス/公開2023
監督:クリスチャン・カリオン
出演:リーヌ・ルノー、ダニー・ブーン、アリス・イザーズ、ジェレミー・ラユルト ドール、ボイド・ホルブルック、トーマス・クレッチマン、カレン・アレン

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