雨宮由希夫

書評『熱河に駆ける蹄痕 小説小日向白朗』

書 名   『熱河に駆ける蹄痕 小説小日向白朗』      
著 者   織江耕太郎
発行所   春陽堂書店
発行年月日 2022年8月31日
定 価    ¥1800E

 


 大陸浪人馬賊の大頭目となり、赤い夕陽の満州を流転した人物としては、檀一雄の小説『夕日と拳銃』のモデルとなった伊達順之助が著名だが、張作霖・学良父子や蒋介石と深く交流し、満洲国の建国から崩壊までを目の当たりにした人物・小日向白朗を知る人は少なかろう。 
 本歴史小説は第一章「熱河 1917~1931」、第二章「華北 1931~1940」、第三書「上海 1940~1950」の三部構成。

 第一章「熱河 1917~1931」――。

 小日向白朗は明治33年(1900)新潟県南蒲原郡三条町(現・三条市)に生まれた。冒険譚を読むうちに満州への憧れが強くなり、大正5年(1916)12月 日本を脱出し満洲を目指した。時に16歳。新潟県人会に出入りし、坂西(ばんざい)利八郎(りはちろう)陸軍中将を紹介され、土土肥原賢二板垣征四郎といった青年将校たちの知遇を受ける。坂西から「軍事探偵」という役を与えられ、北京を出発した白朗は馬賊集団に襲われる馬賊に捕らえられ。熱河の千山を根城に馬賊として生きていくことを決意し、のちにはその総攬把(大頭目)となる。

 転機が訪れたのは関東大震災の翌年の大正13年(1924)の夏。白朗は配下を率いて、張作霖軍に入る。当時の中国はまさに軍閥割拠の状況にあり、白朗の母国・日本は満蒙権益の擁護と拡大を日露戦争以来の国策として中国を侵略している。
 張作霖日露戦争では日本軍の別働隊として暗躍。日本は張作霖らの軍閥を利用して、ひたすら満洲での権益の拡充を図ってきた。が、馬賊と土匪・匪賊との区別ができない関東軍は「張作霖馬賊上がりだ」と侮辱し容易に傀儡化できると踏んでいた。それが日本の満蒙政策であった。
 白朗は「乱れた世の中を平定し、民衆を守れ」との“神の啓示”を実現するには、すでに奉天支配下に収めている張作霖軍に入るのが近道だと思い、張作霖の大陸平定の夢に己の夢を重ねて奉天軍に従軍し、第二次奉直戦争を戦う。
 大正元年(1926)7月1日 蒋介石は北伐開始を宣言するが、このころ「関東軍はすでに張作霖を見捨てたのではないか」と白朗は見ている。
 歯車が狂ってきたのは何か? 張作霖政権のキーマンである王永江の辞表を契機に、「大元帥張作霖の歯車が狂いだし、没落への道を一途に辿ったと白朗は見る。
 第二次奉直戦争から張作霖爆殺事件までの4年間、張作霖が何を考え、何を夢見ていたのかは一切不明である。彼は沈黙を守り続けたからである。
 張作霖爆殺事件――。昭和3年(1928)6月4日早暁、北京から奉天(現在の瀋陽)へ向かう特別列車に乗車した張作霖関東軍の謀略により列車ごと爆破され謀殺された。
「国民党は敵であるが、仇ではない。父の仇は日本帝国主義だ」。父の敵であった国民党の青天白日旗を掲げる張学良28歳の言葉を聞いて白朗は心底驚く。やがて学良は日本の侵略に抵抗する意を鮮明にして東三省の国民政府への合流を通電する(易幟革命)。政治情況の激変の中で、在満日本人は抗日姿勢を鮮明に出すようになる中国のナショナリズムの高揚に直面するのだが、日本及び日本人の大多数は日本の国益を尺度とする目線のみでしか日中関係を見ない。

第二章「華北 1931~1940」――

 張作霖爆殺事件は満洲事変(1931)、満洲国の建国(1939)、大東亜戦争へと続く昭和動乱の出発点である。つねに軍部の独断で事を起こし、政府が後から追認する。「事変」「事件」の名の下に、国家政略が何もないまま国を挙げての戦争がはじまり、戦争の拡大を誰も止めようとしないのだ。
 昭和6年(1931)9月18日 満州事変――。勢いに乗った関東軍は張学良ら抵抗する者たちを全て「匪賊」とみなすと共に、捕虜にした匪賊を編成して帰順軍をつくり、大陸浪人馬賊の伊達順之助に指揮をとらせた。「伊達が大将を自称(詐称)して権威を笠に非道の限りを尽くした」ことに白朗は怒る。
 昭和7年(1932) 満洲国の建国――。阿片という軍事物資をメインとした満洲の利権が絡んでいる満洲国は能吏型軍人、行政テクノクラート特殊会社経営者のいわゆる「鉄の三角錐」によって運営された。「満洲国」の時代はわずかに13年5ヶ月の命であったが、満鉄は日本の野望を実現するための重要な会社として満州国を支えた。

 第3章「上海 1940~1950」――。 

 日中戦争は拡大の一途を辿り、いまや戦火は中国全土に広がり、泥沼に陥っている。蒋介石の国民軍、毛沢東八路軍と新四軍、そして日本軍の三つ巴の乱戦から、汪兆銘南京政府軍を含め四すくみの複雑な様相を呈するに及び、その状況を打開すべく、政治家、軍人、民間有力者が水面下で、和平工作の摸索を始める。
「おぬし、蒋介石に会えないか」と土肥原賢二から電話があり、白朗が四すくみの諜報戦、謀略戦の決戦場と化した上海に向かうのはこの時である。
 土肥原賢二は白朗が生涯にわたって付き合った人物である。陸軍きっての「支那通」で「満洲のローレンス」と言われた土肥原は、華北5省を南京政権から分離して第二の満州国化する謀略工作を推進したとされ、極東裁判でA級戦犯、絞首刑に処せられる。
白朗と関東軍とは付かず離れずの関係にあり、関東軍の無理解と無謀な判断を一方で切り抜けつつ、一方で真っ向から受け止めるのが矜持と誇りを持った白朗の身の処し方であるとする、一方、「自分は何者なのか」と自分のアイデンティティを絶えず白朗は悩み続けていたと作家は記している。
「上海で日本軍の侵略を阻止し、平和を求める活動をしていきたい」白朗は阿片ルートを絶つべくある意味、熱河とは真逆の上海の地を踏む。いまもなお白朗の心の支えは馬賊魂にあり、若き血潮をたぎらせて生き抜いた熱河の地は白朗の原点であった……。
 日本という国は近代の目覚め以降、何を追い求め、何に追われて疾駆してきたのか。日本はロシアの南下に対する防衛目的のために朝鮮半島を日本の防波堤にしたが、どこでどう道を踏み違え、遂には「満洲は日本の生命線」との論理で自滅していかねばならなかったか。
 逃げ出したくなるほどに重い歴史の課題を、小日向白朗の生きざまに照準を当て、平易に、かつ興趣をこめ緩急自在にときほぐす作家の筆力、作者の見識の高さにはあらためて脱帽せざるを得ない。
 世の中の仕組み一切が重苦しい戦雲に覆いつくされ、個人の生涯が袋小路におしこまれようとする時代の下、それぞれの生が交錯するように、白朗が接触した人々との「会話」が何より生きている。実在、架空を問わず、キャラクターの造形が鮮やかであるが、とりわけ歴史上の人物の評価は教科書的な評価とは一線を画す独特なもので、動乱の昭和史を鳥瞰するかのような人物素描に、読者は共感することであろう。
 敗戦時に北京で国民政府軍に漢奸(かんかん)(=売国奴)として逮捕され処刑された “東洋のマタハリ川島芳子は白朗を「お兄ちゃん」と呼び、「日中の両方を知っているのは僕とお兄ちゃんだけだ。お兄ちゃんは、中国を体で知っている」と。処刑場に引き出され死を目前とした芳子との会話の一コマである。二人に共通するのは、国に、戦争に翻弄され、踏みにじられてきたことであり、この数奇な運命を作家は熱量高く描いている。
 蒋介石張作霖・張学良父子、東條英機牟田口廉也、「阿片王」里見甫らの人物造形にもひきつけられた。
 架空の人物としては、白朗が抗日軍の指揮を執る熱河時代より、実の妹のように愛した女馬賊・徐春甫の存在が痛ましいほどに眩しい。エピローグで、八路軍の兵士となって現れる徐春甫は上海から脱出しようとする白朗を黙殺、見て見ぬふりをする。かつて生死を共にした同志がいまや生死を制するものとして相まみえるのである。   
 主人公小日向白朗を総括して、「白朗は、所詮は戦乱の申し子なのだ」としているが、この小説の生命は、「馬賊」を中心に据えて、中国近現代史を見直し、中国共産党公認の”正史”とは違ったもう一つの中国史を浮かび上がらせたことである。

           (令和5年3月12日 雨宮由希夫 記)