『一睡の夢』 評 雨宮由希夫
副題に「家康と淀殿」とあるように、戦国
の世を生き抜いた二人を主人公とし、豊臣
家が滅亡した大坂の陣の真相を活写した歴史
小説の大作だ。
最大の読みどころは慶長五年(一六〇〇)の
関ヶ原の戦いの勝利で覇権を握った徳川家康
が、豊臣家と秀吉の側室であった淀殿を追い
詰めていく慶長十年代の政局を、丹念かつ緻
密に描くところであろう。家康は「関ヶ原」
の二年半後には征夷大将軍の宣下を受けるが、
「徳川将軍家」を揺るぎないものにすべく、
短期間で将軍職を息子の秀忠に譲るとともに
、頼りない秀忠を叱咤激励するという、した
たかな戦略をすすめていた。一方、誇りを貫
くばかりの淀殿は、家康への臣従よりも死を
選ぶとの壮絶な道を突き進む。戦略は家康の
老衰死を待つのみだ。
事の次第があまりにも有名な「方広寺鐘
銘事件」を経て、慶長一九・二〇年の大坂冬
・夏の陣へ。
織田信長と秀吉の二人と比べて凡庸な家康
は、凡庸だからこそ忍耐強く乱世を生き抜き、
天下をとることは「一睡の夢」と知りつつも
覇者となった 。筆者は、そんな読み応え抜
群の新しい「家康像」を造形している。
秀吉の正妻の北政所と、跡継ぎ秀頼の生母
の淀殿は「糟糠の妻と愛人」であり、宿命の
確執があったとするのが通説であったが、近
年のめざましい史学の研究成果を踏まえて、
「二人の正妻」である淀殿と北政所が豊臣存
続ためにひそかに連携していたと物語られて
いる。
戦国の世を生き抜いた実在の人間を深く洞
察し、その実像に迫った本作は、関ヶ原の戦
いをダイナミックに活写した直近作『天下大
乱』同様、史実と定説さらに新説を吟味した
上で、自らの解釈を導き出すことを信条とす
る歴史小説家、伊東潤の本領発揮の佳品であ
り会心作である。